あなたの本を未来へつなぐ
2019.09.08
古書店インタビュー
西荻窪によみた屋が開業したのは1992年のこと。複数の店舗を運営していた時期を経て、2000年から拠点を吉祥寺へ移す。
駅の南側、井ノ頭通りを行き交う人の波は、年齢も性別もさまざま。
背広姿の男性や買い物袋をさげた女性が、店頭の棚の前でふと立ち止まる。
約6万冊にのぼる蔵書の中心となるのは人文科学の専門書。
しかし店内には、児童向けの雑誌もあれば現代美術家の手がけたポスターもある。
“女と男と子どものための総合古書店”という謳い文句のままに、多彩な本が集まっているのだ。
代表の澄田喜広さんは、店長を務める妻・佳奈さんと力を合わせてお店を営んできた。
その背中を見て学んだ従業員の中からは、古本屋の経営者が続々と生まれている。
── 古本屋を始めたきっかけは何だったんですか?
澄田 今から35年ほど前の話です。僕が学生時代に住んでいた六畳一間のアパートには数百冊の本がありました。
というか、本しかなかったんです(笑)。
それも、ただ漫然と並べるのではなく、心理学や社会学、哲学などの本を、それぞれの分野ごとに分けて本棚に収めていました。
アルバイトをしようとなったときに、僕のそういう整理の仕方を知ったうえで「働くなら古本屋がいい」
と背中を押してくれたのが、当時付き合っていた今の奥さんなんです(笑)
代表の澄田喜広さん
── 奥様のアドバイスはすぐに実行に移されたんですか?
澄田 相談にのってもらった直後に通りかかった古本屋で、ちょうどアルバイト募集の貼り紙を見つけたんです。
それが、のちに大型古書店の先駆けともなる高原書店でした(2019年5月に閉店)。
幼い頃、親に連れられて行った古本屋って、あんまりいい印象を持っていなかったんですね。子どもの読むような本はなかなか置いてなくて。
でも実際に働いてみたら、割と自分に合っていたんです。
1ヶ月くらいでそれに気づいて、半年後にはもう天職だと思うようになっていました。
── 新刊を扱う本屋じゃダメだったんですか?
澄田 新刊書店でのアルバイトもしたことがあったのですが、僕らに任せてもらえる仕事となると、
例えば返品作業であるとか、限られてくるんですよ。
それに比べて大半の古本屋は規模が小さいので、あらゆることをやらせてもらえます。
本に関わるすべての業務が面白かったんです。
この業界に大規模な事業の発展を望むのは難しいかもしれません。
でも、大好きな本に直に触れながら、なんとかお店を維持していく喜びがあるということをそこで学びました。
── 古本屋の役割はどのようなところにあると感じられますか?
澄田 残念ながら、出版された本の大部分は古本にならずに捨てられちゃっていると思います。
それを少しでも多くすくい上げるのが僕らの仕事です。
特に、いい本をみんな捨てちゃうんです。
家の建て替えや引っ越しで蔵書の処分をする際にも、かなりの程度、お客さんご自身で捨ててから古本屋に依頼されることが多い。
だいたい、時代を経てきた本は古ぼけて見えますから、古紙回収に出してしまうんです。
でも、そういう中に実は貴重なものが入っていたりします。だからこそ、古本屋ががんばって「買い取ります」と声を大にして言わないといけない。
人文科学の本が並ぶ棚
── お店では、1ヶ月にどれくらいの量の本を買い取っているのですか?
澄田 変動が大きいのですが、平均すると毎月2万冊以上はお客さんから買っている計算になります。
目立って多いのは春です。引っ越しの時期というのもあるのですが、うちは大学の先生の片づけを依頼されることが少なくありません。
退職する2月とか3月くらいに研究室を明け渡すため、そこにある本をすべて持って行くとなると、それだけで何千冊になったりします。
── 大量に本を買い取るときの値付けはどのようにされているのですか?
澄田 まず全体をパッと見て、いくらくらいになるのかを判断します。
一日に何万冊も扱う古書の市場などに顔を出している古本屋は、短時間で概算する訓練を積んでいるので、だいたいひと目でわかります。
ただ、それだけだとお客さんに申し訳ないので、あとできちんと1冊ずつ積算します。
人によってやり方は違いますけど、僕の場合は1000円や5000円の山に分けて、最後にすべてを足す。
すると、おおよそ最初の計算と同じになるんですよ。
例外として、実際に手で触れて本の状態を確認した際に大量の書き込みなどが見つかると、買値が下がることはありますが。
── 中にはどうしても値段の付けられないような本もあるのでしょうか?
澄田 先ほど言ったことと矛盾しますけど、本って同じものがそれなりの部数で刷られているわけですから、1つ残らず次の世代に受け渡すのは難しい。
特にベストセラーの本なんかは、時間が経てば経つほど古本として流通しにくくなっていきます。
場合によっては廃棄することも必要です。古本屋というのは、そういう本の自然淘汰が起こっている場でもあるんです。
よみた屋の外観
── よみた屋では、古本屋をやりたいという方の独立支援もしているそうですね。
澄田 大資本の企業とは違い、ここに一生いて、だんだん出世していってみたいなのは無理なんですよ。
うちのお店の枠の中で仕事をしていると、どうしても限界がある。5年もすれば業務として新たに覚えるべきこともなくなってきますし。
言わば僕自身が蓋みたいになって、その下で働く人がそれ以上に成長できなくなってしまうんです。
そうなるくらいだったら、こちらで独立のサポートをして、やりたいと思う古本屋を自分なりのやり方で展開してもらったほうが、
その人の人生にとってもいいのかなって。
── 実際、古本屋を志す人に教えるとなったときに、気をつけている点はありますか?
澄田 すごく経営手腕のある人であれば、言われずとも初めからクリエイティブな仕事ができると思います。
僕のような特別な才能のない人が、「本が好き」「お店をやりたい」という情熱だけで古本屋の経営を成り立たせるにはどうしたらいいのかを、常に考えてきました。
「センスを磨いてください」で終わってしまっては、ノウハウを伝える意味がありません。
天分のあるなしにかかわらず、古本に携わる人たちの裾野を広げたいんです。
それがひいては、高原書店を含め、僕を育ててくれたこの業界への恩返しになればと願っています。
── いいと思ったものを他の人と共有したいという気持ちは、昔からあったのですか?
澄田 ただ黙っていられないだけかもしれない(笑)。
自分がやってみてうまくいったことは、すぐに自慢したくなっちゃうんですね。
「こうやったらうまくいったよ」って。
小学校の社会科の授業で、「江戸幕府を開いた人、知ってるかな?」と先生に聞かれて、間髪入れずに「徳川家康!」って答えちゃう子がいたでしょう。
あれと一緒なんです。
僕が気づくようなことは、だいたいみんな、そのうちに気づくんですよ。
だったら早めに教えちゃって、「自分の手柄だ」みたいな顔をしていたほうがいいじゃないですか(笑)。
── 2000年前後から、古本屋を開業する若者も増えてきているそうですね。
澄田 これから、古本屋はますます重要な職業になっていくと思います。
1970年代から80年代にかけて迎えた大量出版の時代が終わり、新刊のタイトル数は相変わらず多いけれども、1冊1冊の販売部数は以前に比べてだいぶ少なくなっています。
今後は個別に本を見て、その価値を見極める力が問われるようになるでしょう。
コンピュータなどによる作業の自動化を推し進める中で、古本屋の知識や経験、勘といったものにより一層、光が当てられるようになると僕は考えています。
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