コラム

2020.05.11

コラム

カラサキ・アユミ 古本奇譚 第5回 「ニューヨーク古本回想紀行」

 

元通りの日常が戻ってこないままの5月の日々が淡々と過ぎていこうとしています。日記も兼ねたスケジュール帳にその日の出来事を書き留めながら、5月のページに赤い斜線を引かれた文字が名残惜しそうに存在感を放っているのを私は気にせずにはいられませんでした。

 

本来ならば、今春は念願の欧州古本屋巡りの旅に繰り出していたはずだったからです。半年以上も前から計画を立て、年明けと同時に新調したスケジュール帳に早々と旅の日程を嬉々として書き込んでいたのでした。旅に向けて現地の古本屋情報や本にまつわるスポットのリサーチにも余念なく励んでいたのは言うまでもありません。が、我が胸に咲きつつあったこの希望に満ち溢れた新しい古本愛の花は儚くも蕾のまま摘み取られてしまう結果となったのでした。

 

…しかしいつまでもシンミリしていたって何も始まりません。いい加減この未練と恨みが錯綜する気持ちを整理するべく、机の上に未だ積みっぱなしにしている活用する機会を失った旅の計画表やらガイドブック等を仕舞おうとそれらを抱えながら押入れから旅関連の資料をまとめて保管している箱をよいせっと引っ張り出しました。

 

箱を開き、さぁここでオネンネしてなさいと抱えたノート達を詰めようとした際に1冊の小さなアルバムが目に留まったのです。ふいに懐かしい気持ちに駆られて手に取りました。それは初めてニューヨークに訪れた時の旅の記録帳でした。アルバムに貼られた当時撮影した古本屋の店先や店内の写真を眺めていく内にあのかけがえのない時間の一つ一つが私の頭の中に風のように吹き抜けてきたのです。そう、私の人生において自分と古本との濃い繋がりを全身で体験させられた唯一無二の異国の地、それがニューヨークでした。

 

海外旅行超初心者だった私にとって飛行機に数十時間も揺られて見知らぬ異国の地に行くことはかなり恐怖と緊張感を伴うものでした。が、不思議なことに異国の地の古本屋となると躊躇なく行動的になる自分がいました。事前にインターネットで「NY 古本屋」と検索すると出てくる有名店を中心に情報を収集しておき、現地に着くなり時差ボケもなんとやらホテルに荷物を置いてすぐさま古本屋行脚に繰り出したのでした。マーカーと書き込みだらけの自作の地図を片手に。古本愛の馬鹿力というか怖いもの知らずというか…。いやはや。

 

恐怖の地下鉄移動も古本屋に行くためならなんのその、時には今乗っているこの電車が目的地の駅に無事停まるのかが心配になり隣に座っていた見知らぬブロンド女性に尋ねたりしました。又、道がわからずにたまたま通りかかった地元民らしきマッチョなお兄さんに地図を見せながら藁にもすがるような気持ちで場所を聞いた際は、まさかの「あぁ! この店、俺もよく行くよ。こっちだ、付いてきな」と言わんばかりの笑顔で古本屋まで案内してもらったりもしました。お兄さんの後ろを歩きながら「センキューセンキュー」と壊れたおもちゃのようにただただ繰り返す事しか出来なかったその時の自分の不甲斐なさったらなかったです。こうした心優しきニューヨーカーの助けもあり、私の初めての海外古本行脚はハプニングもなく安全快適に進んだのでした。

 

とにかく時間が許す限り欲張って様々な古本屋を巡りました。

ベテランの風格を漂わせる知的な女性店員ばかりの古書店、子供たちが絵本を買いに来る街の小さな古本屋、天井から床まで本が積み上げられたうなぎの寝床のような古本屋、倉庫のような巨大古本屋、偶然歩いていたら見つけた学生街の古本屋、リサイクルショップの片隅にあった雑多な古本コーナー…。

 

訪れた店の数だけ戦利品の古本達も増えていきました。もちろん日本での古本漁りとは勝手が違いました。私は英語はてんでダメで唯一声高らかに言えるのがサンキューかソーリーくらいです。時々日本語すらも怪しいのではと思う時もあったり…。となると必然的にそういった人間が異国の地で古本漁りをするとなるとその方法は限られてくるのであります。

 

中身はもちろん背表紙に書かれている文章の意味もわからない、理解できる単語は至極少ない。そのような状況下ではもはや己の感覚と直感と本能だけを頼りに自分好みの一冊を嗅ぎ分けるしか探書の術がないわけです。そして運に寄り掛かる部分も大きい。自由の女神ならぬ古本の女神が、観光地に目もくれずひたすら一生懸命に古本を漁るいたいけな我が姿に心打たれ、ならば良書を与えんと微笑んでくれるというファンタジーな筋書きを淡くも期待したりしました。

 

英語で書かれた膨大な量の背表紙群、うず高く積まれた洋書達、どれがどのような本なのか皆目見当も付かない…。そんな中を五感フル活用&全身全霊で漁書に挑んだ結果、写真集やデザインや挿絵がユニークな本を中心に視覚で楽しめる面白げな古本達がたぐり寄せられたのでした。

 

店先の均一ワゴンに張り付いて真剣な表情で本を吟味するお爺さんや立ち読みをするスーツ姿の男性、両手に戦利品が入った紙袋を引っさげながらも名残惜しそうに棚を眺め続けるおじさん、片手に沢山の本を抱えながら黙々と本を探す学生さん。こうしたお客さん達の様子を目にして、“古本と向き合う人々の姿は国も言語も人種も関係なく同じ空気を纏っているのだなぁ”と静かに感激したり、又、個性豊かな古本屋店主と触れ合う束の間のひと時も楽しみました。

 

宇宙戦艦ヤマトが大好きで日本人のお客が来た時は必ずテーマソングを店内BGMで流すという気さくな店主、新品の紙幣で支払う時の注意点(紙が薄いので重なった状態でも気付かない事があるから必ず紙をクシャクシャにしてから使うように、等)を親切に教えてくれた店主、レジを打ちながら「素敵な本を見つけたのね」とウィンクしてくれた店主。とりわけチェルシー地区で偶然出会った路上で古本を売っていた男性店主はとても素敵な人物でした。月に数回だけ気まぐれに道端で古本を売っているというその店主は言葉が通じないながらも身振り手振りで話しながらオススメの本を次から次へと広げて私に紹介してくれるのでした。並ぶ本は様々なジャンルで、興味津々に古本を眺める私に応えてくれるように一生懸命説明してくれる店主の姿に私は大変胸が熱くなりました。決して売りつけようとしている訳ではなく、純粋に自分が好きな世界を知ってもらいたいという店主の古本愛がヒシヒシと伝わってきたからです。しかし情熱的に話してくれればくれる程、私は申し訳ない気持ちにもなったのでした。私の乏しい語学力では“僕は古い児童書が好きで昔から集めているんだ、君もきっと気にいるよ。ほら、この絵が素敵だろう! この作者はとても可愛い絵を描く人なんだ!”と話の3割程度の意味をなんとなく理解するのがやっとだったからです。この時ばかりは、過去にタイムスリップして英語の授業中に頰杖をついて教科書の挿絵に落書きばかりしていた高校時代の自分に「頼む‼︎ もっと真剣に学んでくれ‼︎」と強く言って聞かせたいと心底思いました。この店主と古本談話が出来たらどんなに楽しいものになったでしょう。悔やみながら私は笑顔で広げられた本と店主の顔を交互に見つめ続けました。

 

やがて1冊の古い写真集に目がとまり購入を決めました。人形の女の子と小さなテディベアが初めて海を見に行くというストーリーがモノクロ写真で構成されていて、そこにはなんとも温かな情景が広がっていました。初めて目にするのに懐かしいような優しい気持ちが胸一杯に込み上げてきたのです。

 

私に本を手渡しながら最後に店主が笑顔で力強くかけてくれた言葉の意味だけはハッキリとわかりました。「この本を見つけてくれて僕はとても嬉しい。僕もこの本が大好きなんだ。きっと幸せが訪れるよ」と。こうして私は言い尽くせない喜びを本と一緒に受けとったのでした。

 

まさか日本から1万キロ以上遠く離れた異国の地でこのような出会いに恵まれるとは夢にも思っていませんでした。

これもきっと古本が導いてくれた縁だったのでしょう。

 

“古本あるところに喜びの出会いあり”

あぁ、またいつか必ず旅に出向きたいです。

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県に生まれる。幼少期よりお小遣いを古本に投資して過ごす。

奈良大学文化財学科を卒業後、(株)コム・デ・ギャルソンに入社。

7年間販売を学んだ後に退職。

より一層濃く楽しい古本道を歩むべく血気盛んな現在である。

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