2022.08.09
コラム
マレー人、インド人、華人を中心に多民族の人たちが暮らすマレーシア。この地に生まれ育ったマレーシア華人3世の陳淑韵(35)さんは、中国語書籍のみを取り扱うオンライン古書店「沈香二手書館」を経営する。同時に、陳さんには中国の名門・復旦大学の修士課程で考古学を研究する大学院生としての顔もある。
「古書を扱うなかで、考古学への興味が生まれたのです」と語る陳さん。「沈香二手書館」創業までの経緯、大学院生として学ぶようになったきっかけ、多民族国家マレーシア特有の書籍事情など、さまざま話を伺った。
「沈香二手書館」創業者の陳淑韵さん。 自宅兼事務所にて。
―― 古書店をはじめるまでの経緯を教えてください。
高校卒業後、台湾の国立東華大学文学部に進学し、2006年から2011年まで台湾で暮らしていました。留学をしていた際に、台湾の友達に連れられて初めて古書店を訪れました。台湾では当時からすでに各地に独立古書店がオープンしていて、古本文化が社会に根付いていたんですね。
初めて古書店に足を踏みいれたとき、「こんな世界があったんだ」と感銘を受けました。また安く本が手に入るというのも、学生だった自分にとって魅力的でした。その後、アルバイトでお金を貯めて、台湾全土にあるさまざまな古書店を訪れる旅に出ました。当時のインターネット上にはまだ古書店に関する情報は多く出ていなかったので、旅先で偶然素敵なお店に出合あうことがよくありました。その頃は、将来自分がお店を持つことなどは全く考えていませんでしたが、今振り返るとそうした経験からの影響も受けていたと思います。
台湾留学を終えてマレーシアに帰国した際、私自身もたくさんの中国語書籍の古本を持って帰ってきました。最初はそれを処分したくて、身近な友人に本を売ったり、譲ったりしていたのですが、いつしかその行為自体に楽しさを強く感じ始めたんです。気がつけば自分から友人たちに「家に余っている本はない?」と聞き始めるようになりました。
周りには私と同じように台湾やアメリカに留学していてマレーシアに帰国した人たちがたくさんいました。その人たちも留学先で手に入れたさまざまな中国語書籍を持って帰ってきていたのですが、ほとんど読まないまま場所だけを取られていたようでした。マレーシアでは古書の仕入れに関して届出なども必要ないので、その人たちを訪れて、本を買い取らせてもらいました。
すると今度はその人たちが口コミで私のことを伝え広めてくれて、どんどん私の元に本が集まるようになったんです。そこで、自宅を事務所としたオンライン古書店を創業しました。本の仕入れに関しては、基本的には同じ状況が今も続いています。とても有難いことに、本の仕入れのためだけに、中国や台湾を訪れたりしたことは一度もありません。
―― 台湾留学の前に、マレーシアで古書店を訪れたことはなかったのですか。
当時のマレーシアでは、古書店は全国で10店舗あるかないかという状況でした。というのも、人々の意識としては、読み終えた本はリサイクルセンターなどに持っていって再生紙としてリサイクルするというのが一般的でした。
また言語面との関係で言えば、中国語書籍の読者は基本的には華人に限られます。人口全体のうち、マレー人が7割を占めるのに対し、華人が占める割合はたったの2割程度。そのなかで華人の読書家がどれくらいいるかと考えても、その規模は日本や台湾には遠く及ばないでしょう。
つまり、事業者の目線で考えると、古書店経営や中国語書籍の出版事業などは採算の取れる見込みが極めて薄い分野なのだと思います。
―― そうしたなかで、陳さんが中国語書籍専門の古書店経営に参入したのは何故ですか。
古書店を始めた理由自体はとてもシンプルです。「まだ読むことのできる本を誰かに読んでもらいたい」――そう思って「沈香二手書館」を始めました。ちなみに屋号の「沈香」は私の大好きな祖母が幼少期に移り住み、育ったマレーシアの町の地名です。漢字をよく見ると、「沈むほどに香りが立つ」と解釈できると思って、それはどこか歳月の洗練を受けるほどに味わい深くなる古書の魅力に似ているなと思ったんです。
収益面で言えば、最初の数年間はほとんど利益がありませんでした。私自身、大学卒業後は金融関係の会社に就職をして、古書店経営はあくまでも副業でした。本業は長期の海外出張もある仕事で、正直なところ多忙なときには古書店経営から手を引くことを何度も考えました。
あるとき、注文が入ったものの出張が重なってしまい、すぐに本を発送できないということがありました。「2ヵ月後の発送になりますが構わないでしょうか」と申し訳ない気持ちで先方に連絡すると、「それで全く構いませんよ」と言っていただいて。そうしたお客さんをはじめ、多くの人に支えられて今日まで古書店を続けられています。
「沈香二手書館」のFacebookページ。
―― 今も金融系の会社に勤めながら古書店を経営しているのですか。
いいえ。実は2020年にコロナ禍が始まって以来、人々の在宅時間が増えたことがあって、お店の売り上げが急激に伸び始めたんです。当店はFacebookの専用ページを主な販売プラットフォームとして利用しているのですが、コロナ禍になってからページについた「いいね」の数もそれまでの5倍近くに増加しました。しばらくして、古書の売り上げだけで自分の生活を賄えるようになりました。
「このまま忙しいダブルワークを続けていいのだろうか」と自問を重ねる中、やはり自分が本当に望む生き方をしたいと思い、会社を退職しました。そして新たに手にした自由な時間を使って、古書店を営むかたわらで、大学院に進学することにしました。2021年9月から、中国・上海にある復旦大学の修士課程で学んでいます。専攻は考古学です。今は考古学全般について学んでいますが、もし将来的に研究を続けていくとしたら、文物や書籍などの文化財修復についても学びたいです。今はオンラインで授業を受け、文献を読み込んで、レポートを提出する日々です。
―― 考古学を専攻したのは何故ですか?
そのきっかけは古書がもたらしてくれました。
手元にさまざまな本が集まるようになり、そのなかにはひどく傷んだ状態のものもありました。創業したばかりの私はまだ本の修復ができなかったんです。そこで本の修復技術に関する情報を集めてみると、ちょうどその頃に台湾で有名な呉哲睿先生がクアラルンプールで書籍をはじめとする文物修復の講座を開く予定があると知り、それを受けることにしました。
呉先生の講座では古書籍やそれ以外の紙資料の修復などを学びました。当時、一緒に学んだベトナム人の受講生は、今はベトナムに帰国して歴史的な書物などの修復に携わっているようです。私も時折ボランティアとしてマレーシアの博物館に収められている古い書物の修復のお手伝いをしています。
歴史的な古い書物の修復をしている最中は、時間の流れが緩やかになると感じます。物事がせわしなく移り変わりゆく社会にあって、何百年も前に作られた書籍を手に取るとずっしりとした〝重み〟を感じます。この本は多くの人たちの手から手へとわたって、今私の元にやってきたのだと。
呉先生の下では2週間ほどしか学ぶことができませんでした。いつか文物修復とも密接に関わっている考古学という分野の見識を深めたい。胸のうちに秘めていたその思いを叶えるべく、仕事を辞めたのを契機に大学院への進学を決めました。今は復旦大学で学んでいますが、いつかまた呉先生の下で文物修復について学びたいとも思っています。
―― 「沈香二手書館」では中国語書籍のみを扱っているとのことですが、主にどの分野の本が多いのでしょうか。
文学、歴史、哲学の3つの分野の本を主に扱っています。私自身、最も興味を抱いているのがその3つの分野なのです。とはいえ、さまざまな本が集まるので、それ以外の分野の古書も扱っています。
実はマレーシアで発売されている中国語書籍のほとんどは中国をはじめ、香港や台湾で出版されたものなんです。マレーシアで出版されたものもありますが、先ほど言ったように華人の読書人口を考えると、出版される書籍量はそこまで多くはありません。
私のお店でもそれぞれの場所で出版された中国語書籍の古書を取り扱っています。ある意味では、客観的な視点でそれらの地域の思想を比較して読むことができる。マレーシアのこうした特殊な中国語書籍の環境は興味深いものだと思います。
「沈香二手書館」の商品の一部。簡体字と繁体字の古書を揃える。
―― お話を聞いていて思ったのですが、たとえば華人がマレー語で書かれた本を進んで手に取ったり、逆にマレー人が中国語書籍を手に取ったりといったケースは見られないのでしょうか。
全くないと言い切ることはできませんが、あまり多くはないでしょう。マレー語、中国語、英語の3つの言語にすべて精通している人というのは稀です。ある作品が民族の垣根を超えて広く読まれるためには、自民族の言語に翻訳されているかどうかがキーになると私は思っています。
私自身、最近注目しているサマッド=サイドというマレー人の詩人がいます。とても素晴らしい作品を発表しているのですが、マレー語で書かれているため、私の周りの華人の友人でそれを読んでいる人は少ないです。逆に黎紫書という華人作家は海外で多くの賞を受賞しているにも関わらず、マレー語や英語に翻訳されていないために、マレーシアでは華人以外にはあまり読まれていないんです。
お互いの民族が持つ優れた作品をもっと翻訳できれば、相互理解にも大きく寄与するでしょうし、出版市場の発展にも繋がるでしょう。最近では中国語を学ぶマレー人も増えていて、将来的には民族間の距離は縮まっていくと思います。
―― 興味深いお話をありがとうございます。最後にこの変化の激しい時代にあって、古書店を営むことの意義について、陳さんのお考えを聞かせてください。
本全般がそうですが、古書もまたそれ自体が特殊な空間です。古書は単に文字の記録だけではありません。そこには、以前にそれを所有していた人たちの思い出も含まれています。
以前、ある故人の本を引き取ったことがあります。本を開くとたくさんのメモ書きがされていました。どれも真剣な筆致でした。まるで他人の記憶を見たような瞬間でした。これらの本が所有者にどれほど深く愛されていたか、ひしひしと感じられました。
また、清朝時代に作られた本を仕入れたとき、とても不思議な気持ちになりました。糸綴じ製本されたその本は、南洋にやってきた移民第一世代の華人が持ってきたものでした。中国医学に関する本で、中国や南洋での生活のなかでどういった生薬を用いたかなどがメモされていました。時代はめまぐるしく移り変わっていくけれど、そのなかでも古書はずっと残り続けてきた。まるで遠い過去から現代まで古書がタイムトラベルしてきたかのようですよね。後にその本は中国医学の先生の手に渡りました。
私は、そして「沈香二手書館」は、古書にとっての〝乗換駅〟です。これらの古書が今後どこに向かうのか、私にはわかりません。でも、私という存在が消失したあとでも、古書は残り続けます。それらの本が長い時間をかけて旅をするなかで、私はその中の1つの乗換駅なのです。その役割を果たすことが、私にとって古本屋を営む意義です。
「沈香二手書館」公式Facebookページ: https://www.facebook.com/chenxiangSHB/