コラム

2020.03.26

コラム

古本屋見聞録5  岡崎武志

 

ホームズなら……

時々だが、古本そのものよりも、そこに付着したものが欲しくて買ってしまうことがある。今年2月に某店で『現代詩大系4 田村隆一・北村太郎・茨木のり子・渡辺武信・三好豊一郎』(思潮社/1967年)を100円で買ったのも、どちらかというとその「付着」の方に魅かれてだった。中身はすでに知った現代詩のスターたちの代表作選で、いまさらの感もある。
この函入りの本体を開くと、後ろ見返しにまず書店票が貼ってあった。「書店票」とは、その店が独自に作る価格シールで、たいてい上部が店のロゴ(書店名)、下部は切り離しになっていてそこに古書価が書かれている。帳場で購入の際、その下部が切り取られ上部は本に残るのである。もう最近ではほとんど見かけなくなったが、たまに古い本を買うとそのまま書店票が残されていて、この本が前にどこで売られていたかが分かる。私はこの書店票のコレクターで、珍しいものは上手にはがしてスクラップ帖に保存している。数えたことはないが、数百はあるだろう。
『現代詩大系』には「文紀堂書店」の書店票が貼られていた。茶色地の横長サイズで書店名の下に住所(渋谷道玄坂中程)と電話番号が記してある。たとえば買った人が、蔵書を処分しようとする時、この書店票が広告替わりになるわけだ。1990年春に上京した私は、2か月ほど働きもせず、東京中の古本屋をかたっぱしから巡ったことがあって、その際、渋谷「文紀堂」へも行った記憶がある。「戦前創業の古本屋です。元々は渋谷・道玄坂の中程で長い間営業しておりました。平成13年に世田谷区代沢(京王井ノ頭線池ノ上駅すぐ)に移転し、13年間営業。平成27年春、調布市仙川に新店舗をOPENいたしました。現在は、地元仙川育ちの3代目が店主を務めています。」とホームページに書かれている。その歴史の最初の痕跡が、この書店票によって残された。まちがいなく、このシールは道玄坂店の空気を吸っている。
それだけではない。この本にはほかにも、かつて神保町に店舗を構えていた古本屋「古書りぶる・りべろ」の即売会用短冊(古書価は500円)、それに新刊書店で挟まれているスリップ(売上カード)もそのまま残されていた。普通、スリップも即売会短冊も客が購入する時点ではずして、店側に残るものである。なぜ2度の関所を潜り抜け、この古本が放浪したか。ちょっとしたミステリーである。私には大体の想像はつくが、まあここは読者への宿題にしておきましょう。
さらにさらに、面白いなと思ったのが、本体に『竹内勝太郎全集』の月報が挟まれていたことだ。竹内は大正末期から昭和初期に活躍した詩人。全3巻の全集が『現代詩大系』と同じ思潮社から出されている。これで、本の持ち主がかなりの詩歌ファンだったことが分かる。ホームズなら、ここから持ち主の年齢や出身地、どういった風貌の人物かも言い当てるだろうが、私にはこれが限界。しかし、売られた店や所持者の痕跡を履歴書のように残して、また次の購入者へ手渡すのが古本の面白いところ。これを「面白」がらないような人は、何をやっても大成しません(本当かしら?)。

 

 

 

時代は変わる

一冊の本が50年以上かけて、古本屋での売買を通して人の手から人の手へバトンタッチされていく。私など、それだけで本が愛おしくなるが、これだけ清潔志向が蔓延すると、そんな考えもアナクロに過ぎなくなるかもしれない。私の古本との付き合いもちょうど50年くらい。靴底をすり減らして、大阪、京都と古本屋だけめがけて、街をうろついていた時代が懐かしい。あれはまさしく、若さから発動される情熱であった。そんな人種からすると、昨今の古本屋事情について、ときに驚愕するような話を聞くことがある。ボブ・ディランは「時代は変わる」と歌ったが、まさに「時代は変わる」のだ。
これは某古本屋さんが発信するブログで読んだ話(迷惑がかかるといけないので名を秘す)。ある時、アルバイトが店番をしている時に電話がかかってきた。この店で古本を買った客からだったが、「そちらで購入した本が好みではないので返品できますか?」と言った。「マジっすか?(冗談でしょう)」と聞き返したくなる言葉だ。もちろん、買った時には気づかなかった本の傷(ページの破れや汚れ、書き込みなど)がある場合は返品に応じる。しかし、この場合は違う。ラーメン屋でラーメンを全部食べて、汁も飲み干してから「これはまずい。金を返せ」というようなものである。
それを聞いた店主はこう書く。「この極端な一例を薄く伸ばした空気が確実に漂っていて、その濃度がだんだん高くなっている気がして怖い」と。ファストフード店、コンビニなど、店員の立場がもうこれ以上下がると崖から落ちるというところまで、下がり、へりくだり、客は王様と甘やかし続けた習慣が、もう取返しのつかないところまで蔓延している。万引きした少年を説諭して家に帰したら、あとで親が怒鳴り込んできたという話も聞く。普通は詫びるでしょうに、普通は。
また逆に、同じ店で起きたできごとで、こんなのもある。80代らしき老婦人がやってきて、店主にこう告げたという(多少、文章に手を入れて引用します)。曰く「目が悪くて眼医者に通い、もう左目がほとんど見えない。だから、本は読めない。でも、小さい頃からずっと本が大好きだった。だから、こうやって本が並んでいるところへ入ってくるだけで、ホッとして懐かしいの」。いい話だなあ、と私などは思う。「どうぞどうぞ、お客さん、ゆっくりしていって下さい」とも言いたくなる。資本主義の論理から言えば、「返品を要求した客」は、それでも購入したが、「目の悪い老婦人」は本を買わないから売り上げはゼロである。しかし前者を「善」で、後者を「悪」とは言えない。その間に深くて暗い河がある。古本屋という接客を含む小売業の難しさも喜びもその河の中にある。

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岡崎武志(おかざき・たけし)

1957年大阪府枚方市生まれ。1990年単身上京。雑誌編集者を経てフリーに。古本ネタ、書評などを中心に執筆。さかんに神保町かいわいに出没。「神保町ライター」と名乗ったこともある。著作に『女子の古本屋』(ちくま文庫)、『古本道入門』(中公文庫)、『蔵書の苦し

み』(光文社知恵の森文庫)、『ここが私の東京』(扶桑社)など多数。近著に『これからはソファーに寝転んで』(春陽堂書店)がある。

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