コラム

2020.02.23

コラム

カラサキ・アユミ 古本奇譚 第2回 「小銭いっぱいの巾着袋」

 

つい先日、小学生の頃まで住んでいた街に訪れる機会があり懐かしさに駆られ用事を早々と済ませて当時当たり前のように眺めていた風景を二十数年ぶりに歩いてみることにしました。

 

昔住んでいたアパートや秘密基地を作って遊んでいた裏山、春に祖母と一緒につくし採りをした野原、父の煙草を買いにお使いに行った自販機、ずらりと並ぶ団地のベランダを数えながら歩いた通学路…。あの頃のままの変わらない懐かしい風景が残っていました。二度と戻っては来ない子供時代…、感傷的な気分に浸りながら歩き続けていると自然と当時の色々な記憶が蘇ってきました。

 

思えばこの街に暮らしていた子供時代は様々な漫画作品に出合えた、言わば私にとって〝第一次古本黄金期〟のような豊かな時代でもありました。この頃に出合った漫画達からは今日までの自分の価値観や思想にかなり強い影響を与えられたと思います。又、古本屋という存在を強く意識するようになったのもこの頃で、少ないお小遣いで魅力的な漫画本を沢山得るには古本屋に行くべし、という私の古本に対する貪欲さが自然と培われた時期でもありました。その姿勢は私の古本行脚人生の出発点であるとも言えます。

 

そんな事をしみじみ振り返りながらふと「そうだ‼︎あそこにも行ってみよう…」と大切な記憶を思い出した私は、嬉々として足取りを更に軽快にしてとある場所へと向かいました。住宅街を抜け、公園を通り抜け、橋を渡り、交通量の多い大通りをさらに渡り、ようやく目的地付近までやって来ました。その目的地とは、当時の自分にとって唯一身近に存在した古本屋でした。身近とは言え大人の足で15分。子供の頃の私はその倍の時間をかけてこの道を歩いてきたのです。その店の存在を知ったのは両親が運転する車の後部座席の窓からでした。たまたま見つけた“古本”の看板文字に取り憑かれた私は、店への道のりを窓から見える風景や情報を頭の中に必死に念写した記憶があります。確かその翌日、両親が共働きで鍵っ子だった私は小学校が終わるとランドセルを家に放り投げて、すぐさまその場所に向かったのでした。己の事とは言えども、当時のこの健気な古本少女に対していじらしさを感じずにはいられません。

 

記憶を辿るとその古本屋に並ぶのはほとんどが漫画本で、他にはグラビア写真集やアダルト雑誌も多く置かれていて蛍光灯の光のせいかやや薄暗い印象の店内でした。幅広い年齢層の男性客達が常に立ち読みをしていました。そしてレジにはいつも50代の女性の方が店番をしていて、このおばさんがこれまたとても優しい方で、頻繁ではないにしろ、時々訪ねてくる小学生の私の顔もしっかり覚えてくれていて毎回「いらっしゃいませ」と温かい笑顔で声をかけてくれたのでした。

 

初めて入店した日の記憶はもう朧げになってしまっていますが、目の前に飛び込んでくる漫画の量に圧倒されながら緊張して店内をキョロキョロしている私の側にやって来て中腰になり、艶かしい女体が表紙の写真集や成人向け漫画が置いてある区画を遠巻きに指差して「あそこにはね、行っちゃ駄目だよ。あの場所以外の本は全部見ても大丈夫だからね。どうぞごゆっくり」と言われたのはよく覚えています。 一人前のお客として扱ってもらえた事が嬉しかった私は大きく頷いたのでした。やがてこの少女は一冊の画集を見つけ、その一冊を手に入れるまでこの古本屋に何度も通うことになります。

 

私が心奪われたのは漫画のカラーイラストが収録された大判の作品集で、値段は3000円。小学生が買うにしてはなかなか高価な金額でした。勿論、手持ちのない私にはすぐに買えるものではなく、その日、本は静かに棚に戻されたのでした。当時は必要な時のみ(そして両親からヨシと判断してもらって初めて)お小遣いが発生する仕組みになっていて、一冊の本、それも漫画イラストの画集を買うために3000円という大金を易々ともらえるはずがないとあらかじめ諦めていた私は、学校で必要な文房具を買うためにと両親に申請して支給された微々たるお小遣いを元手に、ノートや鉛筆を買った後に出たお釣りをコツコツと貯める作戦に出たのでした。と言っても、数十円や数百円の蓄積では3000円まで到達するにはかなりの時間を要します。その間にあの画集が売れてしまうのではないかとヒヤヒヤしていた私は定期的に古本屋に在庫を確認しに出向くようになりました。三回ほど通った頃には店のおばさんは私のお目当ての画集を把握してくれて、毎回要領を得たように、入店した私の顔を見るなり「大丈夫、まだあるよ」と声をかけてくれるようになりました。そして安心した私はその言葉を聞いてすぐに回れ右をして店を後にする、というのがいつもの流れとなりました。

 

数ヶ月が経ち、とうとう、ようやく、画集を買う資金が貯まりました。3000円分の大量の小銭を入れた巾着を手に、古本屋に向かった時のあの高揚感。未だに忘れられません。一冊の本を買うためにあれだけストイックになれたのは後にも先にもこの時だけだと思います。

息を切らせながらお店のドアを開けると、「あらっ」とおばさんがいつものようにレジから顔を覗かせていました。店に入るなり、お目当ての画集が並ぶ棚に直行した私を待ち構えていたのは衝撃的な光景でした。「ない、ない!あの本がない!」。あの画集の背表紙があるべき場所に見当たりません。「売れちゃったんだ!」。一瞬にしてどん底に突き落とされた気持ちになりました。

 

そんな打ちひしがれている私の背後から、脚立を手にしたおばさんが笑いながらやってきました。「大丈夫、大丈夫」と言いながらおばさんは組み立てた脚立に登り始めました。その声に付いていくように頭上を見上げた私の視線の先には、なんとあの画集があるではないですか。「売れないようにね、目立たない場所に移動させておいたんよ。はい、どうぞ」。そう言いながら画集が手渡された瞬間、私は間違いなくこの世で一番の幸せ者だったと思います。

 

レジで小銭を一枚一枚数えてくれたおばさんは最後「オマケしてあげるね」と百円玉五枚を私の手に返してくれたのでした。嬉しいやら申し訳ないやらで、でも小学生の自分には月並みな感謝の言葉しか持ちあわせておらず、「ありがとうございます」を何度も何度も伝えるのが精一杯でした。画集が入った紙包みを手にした帰り道、喉がカラカラに乾いていたことに気付きました。巾着に入った五枚の百円玉のうちの一枚を取り出し自販機でジュースを買って近くの公園のベンチに座って一気に飲み干したのでした。

 

しかし、思い出の場所であるその古本屋に大人になった私は再び訪れることは出来ませんでした。古本と書かれた看板は既になく、薄暗い建物の内部はすっかりピカピカに様変わりしており、最新式のお洒落なコインランドリーになっていました。残念ながらあの頃の風景は微塵も残っていませんでした。いつ頃閉店したのか、お店のおばさんはどうしているのか、この街を離れて以来二十数年足が遠のいていた私には知る由もありません。

 

ただはっきりしているのは、誰かにとってはたかが一軒の古本屋だったであろうこの店も、少女の私にとってはとびきりの人生経験を味わわせてもらったまぎれもなく特別な一軒だったということです。店がなくなってしまっても一冊の古本を求めて体験したあの古本屋での出来事は、永遠に私の胸を熱くさせワクワクさせるものであることに変わりはありません。あの日少女だった私の心に灯された小さな炎は、お店なき今もこれからも、ロウソクの灯りのように消えることなく古本道を歩む私の足元をそっと照らし続けてくれるのです。

 

その場を離れながらポツリと「ありがとうございました」と店の跡地に向かって言葉を投げかけたある日の午後でした。

 

 

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県に生まれる。幼少期よりお小遣いを古本に投資して過ごす。

奈良大学文化財学科を卒業後、(株)コム・デ・ギャルソンに入社。

7年間販売を学んだ後に退職。

より一層濃く楽しい古本道を歩むべく血気盛んな現在である。

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