コラム

2019.11.28

コラム

樽本樹廣氏インタビュー 古本屋革命 第1回「百年、誕生」

吉祥寺駅の北口から徒歩数分。昭和通りに面したビルの2階に百年はある。

取材に伺ったのは、平日のお昼12時。ちょうど店主の樽本樹廣さんが開店準備を終えるところだった。

店内でお話を聞く2時間あまり、お客さんの出入りはついに絶えなかった。それもほとんどが女性だ。

 

新鮮なのは客層や客足ばかりではない。

「最近、家を買ったんですよ。古本屋さんでも、普通に結婚して、子どもを育てて、ローンを組むことはできるっていうのを、ちゃんとアピールしていきたいなと思っています」

そう語る樽本さんは、「古本屋」という仕事のあり方をも塗り替えようとしている。

 

百年はどのように生まれ、これからどこへ向かっていこうとしているのか。

百年が登場する前と後で変わったもの、変わらなかったものは何だったのか。

これから4回にわたってお届けする樽本さんのインタビュー。静かに語りかけるその声に耳を傾けたい。

第1回目は、百年が生まれた経緯について。

 

 

ふたつの違和感

── もともと本はお好きだったのですか?

 

樽本 物語や小説は幼い頃からよく読んでいたのですが、転機になったのは大学生のときです。美術評論家の椹木野衣が1998年に出版した『日本・現代・美術』。この本がきっかけになって、いろいろな分野のことを勉強し始めました。

漫画家の岡崎京子とか、現代美術家の村上隆とか、哲学者の東浩紀について深く知るようになったのもその頃です。アートや現代思想などがジャンルの垣根を超えて連帯していく感じが面白かった。読書会に行ったりもしていました。

あと、中沢新一の影響も大きい。2002年の『緑の資本論』や、「カイエ・ソバージュ」シリーズの一冊として有名な2004年の『対称性人類学』。そういった読書が、のちに本屋をやる遠因になっています。

 

 

店主の樽本樹廣さん

 

── ご自分でお店をやろうと思われたのはなぜですか?

 

樽本 大学を卒業したあと、5年間は都内の新刊書店で働いていました。本に関わる仕事がしたくて自分で選んだのですが、なんかしっくりこないなと感じるようになって。振り返ってみると、その違和感の出どころはふたつあったように思います。

新刊書店なのでどんどん新しい本が入ってくるんだけど、その流通を決める大手の出版取次から勝手に本が送られてきたり、逆にこちらが望んでいるような配本がなかったりするんです。本がただ右から左へと流れていく。少なくとも、あの頃の僕の目にはそのように映っていました。あれだけ好きだった本が、単なる商品としてしか扱われないような状況にもどかしさを覚えたというのがひとつです。

 

また、今でこそ本屋でイベントを行うことは当たり前になってきたのですが、当時はあっても握手会とか、サイン会とか、その程度。

つまり、僕が働いていたような本屋を含め、著者と読者と書店をつなぐような場所がなかったんですね。そういった点も不満でした。

あと数年で30歳を迎えるという2006年。このまま何気なく人生をやり過ごすのはまずいなという気持ちもあって、思い切って店を開くことにしました。これまでになかったような空間をつくろうと。

 

 

おしゃれな本屋のアップデート

── 少し新刊も置きながら、主に古本を扱う店にするというのも、当初から計画されていたのですか?

 

樽本 実を言うと、本屋をやろうと決めた時点で、僕はあまり古本屋に行ったことがありませんでした。自分の店も、最初は新刊書店をやりたいなと思ったんですけど、調べていくうちに、個人で充分な売上を出して生活するのは難しいという結論に至って。古本屋だったら、自分ひとりでも始められるかなと。安易ですよね(笑)。

でも、それまで馴染みがなかった分、徹底的に研究しました。都内近郊の古本屋さんは、ほとんど行ったと思います。内装などはもちろんですが、それぞれのお店で何が足りないのか、どこを改善すればもっと良くなるのかを考えて見て回りました。

 

── たくさんのお店を訪れたことで、何か発見はありましたか?

 

樽本 流行に敏感な若い男女の集まるような古本屋がほとんどない中で、2000年代に入ってから新しいスタイルのお店がちょっとずつ出てきていました。いわゆる「セレクトブックショップ」と呼ばれているものですね。

そういう場所に行ってみると、普通の本屋には置いてないような本が並んでいたり、見せ方に工夫が凝らされていたり、たしかに目を引くものがあった。店内には20代と思われるお客さんの姿も見られる。

でも、普段から日常的に使う古本屋としてはちょっと物足りないなと僕は感じました。「素敵だね」「おしゃれだね」で終わってしまって、実際に何かを買うという行動にはなかなか結びつきにくかったりする。

所せましと本が並ぶものの、おしゃれで清潔感がある百年店内

 

── では、樽本さんご自身はどのようなお店を目指されたのですか?

 

樽本 そういった洗練されてはいるけれども、機能的とは言えない古本屋への“カウンター”というか、“批評”としてうちの店はつくりました。いい面も悪い面も分析したうえで、そこからもう一段階、バージョンアップさせたかった。

僕が思い描いたのは、町の本屋さんです。ホームページで公開しているコンセプトにも明記したけど、それこそ近くのスーパーに寄るような感じで、気軽に来てほしいなという気持ちがありました。だから百年には、大きな美術書から片手に収まる文庫まで、分野に別け隔てなく何でもあります。

なおかつ、女性も含めて、僕らと同世代の若い人たちが足を運べるような本屋にしたいなと思ったんです。お客さんのターゲットに関しては、自分と同じ年代の感覚以外はわからなかったというのもあるけど(笑)。

 

 

これからの「百年」

── 実際に独立して、苦労されたのはどのような点ですか?

 

樽本 僕は他の古本屋で修行した経験がありません。同業界で実店舗を運営するとなると、誰かのもとで働いてから開業するのがまだお決まりのルートだった時代です。僕のようなケースは珍しかったんじゃないかな。

オープンして1ヶ月後には古書組合に加入したのですが、まだまだ知り合いもほとんどいませんでした。当然、何かあったときに頼りにできる人もいない。何が正解かわからないまま、いろいろなことを試しては悩んで、悩んでは試してというのを繰り返していました。

 

── 経営が軌道に乗ったと感じられたのはいつ頃ですか?

 

樽本 店を始めて、3年目くらいだったかな。自分の給料をちゃんと出せるようになったんです。それまではバイトさんのほうが多かった(笑)。貯金を切り崩して、もうほぼないみたいな時期もありました。

よく言われることですが、古本屋にとって生命線となるのは仕入れ先の確保です。何回か「つぶれるな」という局面はあったんだけど、そのたびに偶然が重なって、本をたくさん売ってくださる方が出てきたりしました。お客さんに助けていただくことが多かった。

 

本の仕入れを維持できた要因をひとつ挙げるとすれば、1年目から店でやっていたイベントです。そこで僕自身の考えを発信していたので、共感してくださる人たちの中から買取の依頼も来るようになりました。

階段でビルの二階に上がると入口がある

 

── これから百年をどのように後世に伝えていこうと思われていますか?

 

樽本 うちは社員2人とパートさん2人、そして僕の5人で回しています。この店やその経営母体である会社(株式会社百年計画)を続けるためには、社員を育てる必要がある。開業したときからその考えは変わりません。社会保険の整備などをきっちりしたのもそのためです。

これからの課題となるのは、うちの社員たちの給料をもうちょっと上げること。それができれば、一応、僕の当初の目標はクリアできるかな。

実は、長い目で見たときに、百年を体現するのが僕じゃなくてもいいと思っているんです。僕はあくまで黒子。社員の誰かが思いを継いで店の柱になってくれれば、古本屋も長く続けていけると確信しています。

 

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