2019.11.29
コラム
しかしまあ、書くのは「古本屋」および「古本」のことだから、これはもう「古本ライター」を名乗る私にとっては、鮮魚店がサンマを売るようなものだ。
ふだん、ネットでしか古本を買わないような人にも、古本屋の実店舗に足を運んでほしいし、へえ、古本屋ってそういうところなんだ、と興味を持っていただければ。
まずは、私の古本屋体験史から。私は30過ぎまで大阪、京都、少し滋賀と関西で過ごし、1990年春に上京してきた。だから関西と東京の両方の古本屋を知っている。のち、古本屋取材、古本についての文章を雑誌で書くようになり、日本中の店を巡ってもいる。
客としてのキャリアは40年以上。「一箱古本市」という素人参加の古本フリマにも長らく出店し、いわば店主側からも客を見てきた。古本屋血中濃度はかなり高い。そう思って下さってかまわないと思う。
本格的に客として古本屋へ通うようになったのは高校時代。京阪電車という私鉄沿線の高校へ通い、土曜日の放課後など、沿線にある古本屋へ立ち寄るようになった。文学に夢中になり始めた頃のことである。少しでも安い本、見たこともない本を入手する手段として、新刊書店ではなく古本屋を発見したのだ。
高校通学に利用する最寄り駅周辺にも小さな店はあったが、いちばんよく通ったのは千林商店街。安売りの庶民的な商店街として有名だが、それに連結する今市商店街とあわせて4、5軒の、いわゆる「町の古本屋さん」があった。つまり、雑誌やマンガからエロ、辞書や歴史書、文芸書から理工書までなんでも扱うタイプの店だ。
高校の現代国語の教科書で知った作家や、その周辺の作家の本を、とにかく読みたくて制服のまま通うようになる。これはじつに楽しい体験でした。
文学好きの友だち、古本屋通いをする同好の士もなく、たいてい一人。連れがあると気兼ねするので、古本屋巡りは単独にかぎる。これは今もそのまま習慣として残っている。誰にも邪魔されず、思う存分、古本に触り、古本と戯れたいのだ。
ただし、あんまり頻繁に本を棚から出し入れして、値段だけ確認して元へ戻すようなことをすると店主から注意を受ける。まだ古本屋の流通システムや経営について、何にも知らなかったが、古本屋の商品は、すべて店主の眼力で仕入れたもので、新刊書店のように売れなければ返品というわけにはいかない。売れるまでは、いわば店主の蔵書なのだ。
事実、本の後ろ見返しにある価格を、かたっぱしから見て店主に怒られたことがある。「こら、そんなにむちゃくちゃに触ったら、本が傷むやろ!」と言うのだ。これには恐れ入った。
1970年代前半、喫茶店のコーヒーがだいたい100円ぐらいの時代に、そのコーヒー代より安い本を探していた。古めの文庫本なら、20円、30円から買えたのである。
いい時代だなあ、と思われるかもしれないが、そうではなく、じつは古本の値段は平成頃から全般に暴落しっぱなしで、いまの方がだんぜん安いのである。これについてはいずれ後述する。
大阪の下町といっていい庶民的な商店街で、4、5軒の古本屋を順に巡っていると、そのうち色々なことに気づくのだった。
当時、高校生の私が買おうとしていたのは文学一本やりで、漱石、鴎外、芥川といった近代文学から、星新一、筒井康隆などのSF、吉行淳之介、安岡章太郎、庄野潤三など「第三の新人」の諸作、遠藤周作と北杜夫、それに現代文学のトップを走っていた大江健三郎、開高健、安部公房など、これらが続々と文庫化された時代だった。
ある時、某店店頭の均一(廉価本の売られたコーナー)で、大江の初期作品の文庫を手にとっていると、背広姿の中年男性が「ほう、兄ちゃん、そんな難しい本、読むんか。えらいなあ、学者やなあ」と言われたことがある。ほかの客に話しかけられたのはそれが初めて。新刊書店では考えにくく、入口の狭い古本屋が生み出す、何か親密な空気のなせる業ではないか。
しきりにひとり言を言う客もいた。本を手に取り、「これ(作家の名前)、昔はもっとよかったんや。あかんようになったなあ。失礼なやっちゃ」と、けっこう大きな声で喋っている。(どっちが失礼や)と思ったものである。
高校の制服を着たまま、もっぱら文庫ではあるが文芸書を漁っている姿は珍しかったらしく、読書指導を客から受けたことがある。いまやちょっと恥ずかしくて、さきほど名前を省いたが、じつは五木寛之を熱心に読んでいた時期があり、『さらばモスクワ愚連隊』か何かを立ち読みしていたら、おじいさんが表紙をパッと覗き込み、「そんなん、読んでたらあかん。三島を読め、三島を」と怒るのだった。三島とは三島由紀夫であろう。余計なお世話だと思ったが、大阪の町は、他府県よりはるかに人と人の距離が近い。他の町でならびっくりするようなことも自然に起きるのだ。
一回の古本屋巡りで、粘りに粘って買うのはせいぜい2冊か3冊。しかし、これはアーリー文学小僧だった私にとっては、光り輝く買い物であった。喫茶店でコーヒーを飲む、なんていうのはもったいない。そのお金があれば、単行本だって買える。立ち食いソバ、なんてのも食べなかったなあ。「王将」で餃子がひと皿、その頃80円だったか90円だったか。あんまり腹が空くと、それをひと皿。出てくる間に、カウンターの席で買ってきた本を少し開いてみる。
これものちに詳述するつもりだが、古本はページを開くと、プーンと独特の匂いがした。紙の匂い、インクの匂い。それが古本屋の棚で熟成された、独特の香りを放つ。それがイヤだという人もいる。しかし、私にとっては、それこそ「文学」の香りだったのである。
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岡崎武志(おかざき・たけし)
1957年大阪府枚方市生まれ。1990年単身上京。雑誌編集者を経て
フリーに。古本ネタ、書評などを中心に執筆。さかんに神保町かいわい
に出没。「神保町ライター」と名乗ったこともある。著作に『女子の古
本屋』(ちくま文庫)、『古本道入門』(中公文庫)、『蔵書の苦し
み』(光文社知恵の森文庫)、『ここが私の東京』(扶桑社)など多
数。近著に『これからはソファーに寝転んで』(春陽堂書店)がある。
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