2020.10.12
コラム
その古本屋の存在を知ったのは、ほんの偶然の重なりでした。
ここ最近、インターネットを使った古本探検がささやかな楽しみの一つとなっていました。
全国の古本屋が出品しているサイトで、探書の検索窓に書名ではなく思いつくまま気になる用語(例えば、喫茶だとか珈琲とか)を打ち込むと、その用語に関連した古今様々な本のタイトルが検索に引っかかり表示されるのです。
画面越しにずらりと並ぶ書名を眺めては「この本、面白そうだなぁ」「この本はどんな内容なのかしらん」と想像を張り巡らしてひと時の擬似漁書気分を味わっていました。
「あっ…またこの古本屋だ…」
ある日、いつも通り幾度となくその動作を繰り返していくうちに検索結果一覧に、ある店名が何度も登場している事にふと気づきました。それも、自分が何となく気になるなぁと感じた書名の下には決まってその古本屋の店名が並んでいるのです。
一体どんな古本屋なのだろう。ふつふつと興味が湧いた私はすぐにお店の情報を調べ始めたのでした。その「古書猛牛堂」という勇ましい名を持つ古本屋は、愛媛県は松山の道後温泉近くにあり、しかも松山にはこの他にも個性様々な古本屋が点在しているそうな…。魅惑的な情報が集まるにつれて私の中で「すぐにこのお店を訪ねて古本を漁ってみたい!」という未踏の古本屋に対する熱い気持ちがどんどん高まっていったのでした。
〝何かを求めて面白いことを味わいたい〟という気持ちが最高潮に達していた時期だった事もあり、おまけに地元の港から松山直行便の夜行フェリーが毎日運行している事が決定打となり、ほどなくして切符を取ったのは言うまでもありません。
そして数日後の旅立つ日の夜、フェリーターミナルにたどり着いた私は思いがけない待合室の光景を前に目をパチクリとさせたのでした。
〝四国八十八ヶ所お遍路巡りの会〟と書かれたタスキを肩からかけた装束姿の男性を先頭に平均年齢恐らく60代後半の中高年の男女がざっと見る限り20数名、待合室の椅子に腰掛けていたのです。初めて目にするこの静かな熱気に包まれた様子に一瞬ひるんでしまったのでした。
平日の夜だったこともあり、どうやら今宵の船客はこのお遍路グループと私だけのようで船が出航してまもなく船内は静かな空気に包まれました。
寝付き薬にと自販機で買った缶ビールを片手に、そう広くはない船内を探検していると大広間のような団体客専用の宿泊部屋に行き当たりました。部屋の扉には大きく〝お遍路の会様〟と書かれた紙が貼られ、開いた扉の隙間から灯りが漏れており中の様子が少し伺えます。通路を歩きながら軽い興味本位でチラッと目をやると、敷いた布団の上で正座をし、目を瞑り真剣に手を合わせて拝んでいるお婆さんの姿が飛び込んできたのです。部屋を通り過ぎた私は海風にでも当たろうと甲板へと続く扉を押したのでした。
あのお婆さんはどんな目的や気持ちを持ってお遍路に臨むのだろう…。何だか考えさせられるような情景を目の当たりにしたこともあり、しみじみとしながら甲板の手摺りにもたれかかり夜の真っ暗な海を眺めながら缶ビールを飲み干した私は部屋に戻るとすぐに瞼を閉じました。
気がつけば瞬く間に朝を迎えていたのでした。
早朝の道後温泉駅に到着した私はたまたま見つけた「赤シャツ」という喫茶店で目的の古本屋が開店するまで時間を潰すことにしました。ちなみに赤シャツといえば坊っちゃんの宿敵でもあり、陰険なキャラクター…。店名から浮かび上がるイメージが先行してしまい若干ドキドキしながら店の扉を開けると、出迎えてくれたのは作中の赤シャツとはおよそ正反対の穏やかな佇まいのお婆さんでした。そして入店と同時に店内に流れ始めたBGMは演歌、しかも『東京シティ・セレナーデ』。朝一番に艶めいた東京のネオン街ソングを聴けるなんてなかなかないぞ! と密かに興奮したのでした。
喫茶店を出たのち、今回の古本屋巡礼における重要な足となる自転車をレンタサイクルで手に入れていよいよ旅の準備が整ったのでした。
さて、今回の旅の大本命である「古書猛牛堂」へは開店時間と同時に到着。
遥々海を越えて辿り着いたという達成感と嬉しさのあまり、お店の外観が見えただけで既に胸がいっぱいになってしまいました。
夢うつつのように店内で思う存分に漁書作業を終えたのち、レジにうず高く積まれた会計済みの戦利品を前に現実に戻りハッとした私。
「あのぅ…この後も松山市内の古本屋を巡るのですが、この買った本を一旦預かってもらっても良いですか?」と店主さんに頼んだところ「えぇ、当店の営業時間が夕方6時までなので、それまでにお戻りくだされば大丈夫ですよ」と快く返答をいただきました。
店名からは見当がつかない、僧侶のような風貌と柔らかな雰囲気を醸す店主さんから「松山城のある山をずぅ〜っと越えた先に古本屋さんが色々ありますよ。ここから自転車でしたらかなり大変でしょうけど頑張って。どうぞ行ってらっしゃいませ」とまるで今から険しい修行に出る弟子を見送ってくれるかのように対応していただき「はいっ! 行ってまいりますです!」と張り切って自転車にまたがり出発したのでした。この時点で昼過ぎ。タイムリミットは夕方。
いける! やってみせる! 突如謎のアスリート精神が花開いた私は住宅街を全速力で走り抜けたのでした。土地勘が一切ない場所を人力で移動するにあたり、携帯の地図ナビは命綱でもありました。走行中の振動で自転車のカゴに置いた携帯が弾けるように飛び跳ねる様子をアワアワして見守りながら必死にペダルを漕ぐ私の姿は道ゆく地元の人々からは滑稽に映ったに違いありません。
こうして炎天下の中の移動を経て、市街地の「愛媛堂書店」と「浮雲書店」を巡った時点で当たり前ですが体力の半分が失われていました。昼ごはんを食べる時間すらも惜しみ、昼食代わりに注入したのはポンジュース1本のみ。しかし肉体は疲弊してもなお、心は元気に満ち溢れていました。その後漁書を楽しんだ「浮雲書店」で店主さんから「お客さん、その目付き、筋金入りの古本好きですね…。病気ですね。ふふふ」という最上級の賛辞をいただいたことにより、テンションがさらにハイになった私は次なる目的地へと立ち漕ぎで向かったのでした。汗だくになって到着した「トマト書房」では散漫になった意識を整えるために大きく深呼吸をしながら生まれたての小鹿のように脚をふらつかせて店内の棚を見て回ったので不審者のようだったかもしれません。
こうして松山市内の目ぼしい古本屋を巡り終えた頃には自転車のカゴも肩掛け鞄の中も古本でパンパン。「古書猛牛堂」に戻ってきたのは西日が道を照らす夕方5時過ぎでした。
「ただいま戻りましたぁ…」
帰還兵のようにヨロヨロとお店の入り口をくぐると、店主さんが驚きと労いの表情をいっぱいに浮かべて出迎えてくださったのでした。「ご購入分、袋におまとめしておきましたよ。どうぞ」。
準備良く机の上に置かれた大きなビニール袋2つを目にした瞬間、「あのぅ、配送って頼めますか…? 荷物が凄いことになっちゃって…へへ」と私。
「配送ですか…ハイ、承れますが…しかしねぇ…送料が結構掛かってしまいますよ? 勿体無いですよ? 頑張って九州までお持ち帰りになられてはいかがですか?」と店主。
笑顔でサラッと新たな試練を促す店主さん、もはや完全に高僧にしか見えませんでした。結果、古本屋巡礼がいつの間にか自分との戦いの旅という意識に成り代わっていた私は店主さんのこのアドバイスに従うことにしたのでした。
それにしても〝縁〟という目に見えない事象を肌で感じたような1日になりました。縁に導かれたからこそ会えた人、見る事ができた光景、得る事ができた感情・体験、これらが色濃く自分の中に吸収され、それによりまた新しい自分が構築されたという感覚をヒシヒシと得られたからです。古本屋巡りとはまさにお遍路だな、なんて思いました。
帰りの夜行フェリーの船内で自販機のカップラーメンをすすりながら、こうして神秘的な気持ちに包まれて旅を終えたのでした。
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カラサキ・アユミ
1988年福岡県に生まれる。幼少期よりお小遣いを古本に投資して過ごす。
奈良大学文化財学科を卒業後、(株)コム・デ・ギャルソンに入社。
7年間販売を学んだ後に退職。
より一層濃く楽しい古本道を歩むべく血気盛んな現在である。
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