2020.09.13
コラム
喫茶店でメニュー表を開いた瞬間、気になった品目を片っ端から注文してみたい衝動に駆られます。クリームソーダーにミックスジュース、フルーツパフェにチーズケーキ、ナポリタンやオムライス。どれも味わってみたい。
もちろん胃袋にも限界があるわけですし、何よりそのような贅沢が勢い良く出来るお財布事情ではない自分が実行に移せるはずがありません。
刹那的な衝動を冷静になって抑え、結局はシンプルに毎回一番安いブレンドコーヒーと300円のトーストだけを頼んで落ち着きます。
もちろん書店や古本屋でも同様の誘惑に駆られるのは言うまでもありません。あれもこれもどれも手に入れたい、となります。しかし、こと本に関してはなぜだか抑制が効かない事がほとんどなのですが…。
私はこのようにして常日頃自分の中に渦巻くせわしない欲望と戦いながら日々を送っています。貯金や節約は何処へやら、働いた分だけ物欲が見事に具現化するというループを毎回繰り返していく生活です。
「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」と啄木大先生の歌をリズミカルに口ずさみながら、限られた金額で得たささやかな幸福を噛みしめる自分に対して愛おしさを感じることもあります。
経験や物を欲する、そしてそれらを手に入れることによって〝生きている〟という行為に更に充足感を足したくなってしまうのは私だけでしょうか。
さて、そんな私は空き物件情報をチェックしては妄想に励むのがここ最近の日課となりつつありました。
地元の商店街には不動産情報が書かれた地域の掲示板があって、散歩の途中にこれをしみじみ眺めるのが楽しみの一つとなっています。これがまた実に面白いのです。あそこの古いビルの一室はこんな間取りになっているのか、近所のボロボロ平家が売りに出てる、あの場所にこんな物件があったんだ…などなど新鮮な情報が盛り沢山。熱に浮かされて自宅にほど近い格安物件や良さそうな物件の情報を得ては実際に内見に赴くこともありました。無論、現在住んでいる家は私の終の住処にするつもりです。なので引越しの予定はありません。目的は自宅に溜まりに溜まった蔵書やガラクタを保管するための倉庫代わりになる物件探しでした。
これはもう数年前からジワジワと忍び寄ってきた消えない影のような問題であるのですが、自宅は古本を中心に物で溢れかえっており、自らが招いた事態ながら時折その室内の現状に対して無性に行き場のない苛立ちが沸き起こることが多くなってきました。それら膨大な荷物の中にはもう必要のない代物も沢山混ぜこぜになっている上に、足の踏み場はありますが足のぶつけどころが罠のように屋内の各所に点在している実に大変な状態なのです。
これまで欲するままに自分の財布事情が許す限り気になった物を無我夢中に買い集めてきた結果が現在目の前の生活環境を圧迫する息苦しい惨状につながっているわけです。
中島らも先生の言葉を借りるとしたら〝しあわせのしわよせ〟が今まさに生々しく襲いかかってきているのでした。
さて、世の蔵書家もしくは古本好きなら誰しもが必ず一度は思い描くのではないのでしょうか、〝愛しの本だけを気兼ねなく散りばめた自分だけの趣味の城を持つ〟という夢を。まさにこれが私の物件探しの発起理由でした。
実際、このように夢中になって現実と妄想を取り違えそうになるくらい、私が住まう田舎寄りの地方都市では格安物件が容易に見つかってしまうのも困ったものです。べらぼうに高額だったら諦めがつくものを、3万円もあれば一軒家が借りれる大変魅力的な賃貸状況にクラクラ〜とキてしまうのは無理もありません。利用目的は居住ではなく時々本を読みに行く書庫として。必要最低限しか使用しないことを考えたら光熱費も微々たるもの。したがって家賃さえ毎月支払えることが出来たら憧れの書庫ライフも夢ではないわけです。そして膨大な量の古本を始めとした荷物を移動させた後に姿を見せるのは物が圧倒的に減った自宅。まさに食う、寝る、住むに特化した本来の姿を取り戻せるのです。現状の問題を一掃する一石二鳥作戦ではありませんか。あとは家賃も立地も理想の条件がそろった物件を見つけ次第GOサインを出すだけ、と安直型で楽観的な自分はそう考えていました。
…しかしちょっと待て、それで本当に良いのか? と自問自答したら回答をためらう自分がいるのも確かでした。ちなみに安いといえども長い目で見てその毎月家賃として支払うことになるであろう金額で大好きな古本がどれだけ買える?
さぁ、このようにお金のことを考え始めたら人間キリがありません。時間はお金では買えないとはよく言われたものですが、しかし高揚するひと時や安堵の時間はお金で得ることができるのもまた真実です。この矛盾の悩ましさ。
いろいろ思い悩んで行き詰まった結果、〝ま、今すぐに決めなくてもいいか〟と停滞した思考をパンっと一本締めして一旦そのアイディアを保留することにしたのでした。
すぐには無理でもいつか理想の書庫を見つけた時にすぐさま行動に移せるようにとりあえず今から荷造りも兼ねて荷物の大整理でも行っておこう、とやがて発想を転換することにしました。物で溢れた自宅の整理整頓に精を出すことにデメリットは一切ありません。それが必要かどうか本腰を入れて選別する作業もまた眠っていた蔵書を一から見直せる機会にもなるのでとても新鮮に感じられたのでした。
さて、それでは最終的に仕分けした不用品をどのように処分するか。
実は私には兼ねてより理想の〝手放す風景像〟が具体的にあります。
それは以前訪れた小さな街の公園で開催されていたフリーマーケットでのことです。視界に飛び込んできた或る一画、古本や陶器、絵画、ぬいぐるみ、衣類等を地面に広げた布の上にびっしりと雑多に置いた野生的なディスプレイにまず心を奪われました。産地直送の野菜のような、まさに家から持ってきた新鮮な不用品をそのまま適当にバサーッと広げましたという感じ。おまけに売主のおじいさんはこちらのことなんかお構いなしで仰向けになって気持ち良さそうに側で寝ています。その肩に力が全く入っていない脱力販売スタイル、そして滲み出る商売っ気のなさ。なんだかうまく説明が出来ないのですがその情景を見た私はときめくと同時に大変シビれてしまったのでした。やがて小さな額に収められた蝶の標本と茶けた表紙の随筆本が気に入なって手に取りました。私の声かけでよろよろ起き上がったおじいさんは私が所望する二つの品を寝ぼけ眼で見つめながら「…何円でもいいよ」とあくびをしながら適当に答えたのでした。もはや執着心が微塵も感じられないその姿になんだか私は悟りを開いた尊い人間を見たような気分になったのでした。
「もし私が物を手放す時がきたら…こんな風にしたい!」と同時に羨望の気持ちにも包まれたのでした。
正直なところ、欲にまみれた今の私ではあの時のおじいさんのような様子は絶対に真似できません。それでも手放すという行為によって新たな感覚を得ることが出来たら最高に面白いのではという期待が、新しい書庫を探し求めようとしていた自分の気持ちを既に上回っているのは確かです。
地べたに古本を広げて売るという闇市のような怪しさ漂う構図、想像するだけでワクワクします。売れる売れない関係なく〝手放す儀式〟を行う事が重要なのです。
善は急げ、年内に開催されるフリーマーケットの出店に早速申し込みをしました。さぁ、私は手放す快感を無事に得ることが出来るのでしょうか。
不要として選別されるも、私が新境地に踏み込むための切符役を新たに担うことになった古本達を黙々と段ボールに一冊また一冊とせっせと詰め込んでいくのでした。
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カラサキ・アユミ
1988年福岡県に生まれる。幼少期よりお小遣いを古本に投資して過ごす。
奈良大学文化財学科を卒業後、(株)コム・デ・ギャルソンに入社。
7年間販売を学んだ後に退職。
より一層濃く楽しい古本道を歩むべく血気盛んな現在である。
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