コラム

2026.04.30

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カラサキ・アユミ氏 コラム 子連れ古本者奇譚 第52回【古本を拾い上げていく】

古本を拾い上げていく

 

夫が家庭菜園や庭作りを趣味にしているのもあって、休日に園芸センターに家族で赴く機会が増えた。ある日、何気なく覗いた観葉植物コーナーで樹形がユニークな小ぶりなパキラ(初心者でも育てやすいと言われるオーソドックスな樹)になんとなく心惹かれて購入したのをキッカケに、植物にハマりだしてもう一年近くになる。

モンステラ、ゴムノキ、ガジュマル、ドラセナ、ストレリチア…

横文字にめっぽう弱い私は名前は一切覚えれないが、「この樹!なんかかっこいい!」とか「葉っぱが面白い!」という感覚的な理由で買い求めるスタイルだ。

購入する観葉植物は10,000円以下というマイルールを作ったが、穴場の園芸ショップに巡り会えたこともあり、今のところルールを破ることなく植物との運命的な出会いを楽しめている。ちなみに、大量の品種の中から「これだ!」という一株を見つける作業は、古本漁りと同等の高揚感がある。

古本収集と伴奏するように植物ブームが加速した結果、コツコツ買い集めた観葉植物がずらりと並べ置かれた窓辺は癒しのジャングル空間と化し、床には大量の植物関連の書籍が積み上げられ、現在の我が家はボタニカル度が120%まで達している。

 

そう、実物を愛でていると、それに関する書籍も手元に置きたくなるのが古本者の性なのである。

そんなわけで、ここ最近は植物や植物園にまつわる本も猛烈に買い集めているのだが、これがまたすごく楽しい。「こんな本があったのか!」と嬉しい発見ばかりだ。

昭和30年〜50年あたりに発行された園芸本は、当時の印刷技術と紙の特徴もあって花の写真が極彩色で密な紙面構成も眺めていて楽しいし、昭和の子供向け植物図鑑などは職人の魂がこもった手描きのイラストが美しく色使いもキッチュで最高なのだ。

温室園芸の本や海外の植物園の写真集が意外と高額なジャンルだったり、今人気のトレンドとして扱われているサボテンや多肉植物も、それらに関する書籍がすでに戦前から多数発行されていたり、調べれば調べるほど植物に関する本の幅広さや魅力を知ることとなった。

また、観葉植物=空間演出という位置付けで植物特集のインテリア雑誌も数多く、集め出したらキリがない。また、盆栽や生花まで収集の手を広げると残りの人生の時間なんてとても足りないと苦笑いが止まらない。

 

つくづく古本の世界は広大だと感動するのと同時に、「今日まで無事に残っていてくれてありがとう」という気持ちを持たずにはいられない。

古本はある意味、小さな奇跡の連続で、現在私の手元に収まっているのだ。

今年の春は本が大量に廃棄される現場になんと3回も出くわしたので、より一層その感情が強いものになった。

それにしても偶然とはいえ、古本屋でもないのにたったひと月の間にこれだけ廃棄シーン遭遇が重なると結構考えさせられるものがある。

そのうちの1回はかなりショックが強かった。

 

ある日道を歩いていると、行く先に大きなトラックが止まっているのが目に入った。

建物の2階の窓から、作業員が身を乗り出し「いくぞぉー」と大声を出しながら段ボール箱からバサバサと何やら勢いよく落としている。

視力が悪い私でも、すぐに何を大量にトラックの荷台に投げ捨てているかわかった。

本だった。大量の本が遺棄されているまさにその瞬間を初めて見た。

わんこそばのように、次から次へと大量の本たちが次々と荷台に降り注がれている。

ドサドサッ ドサササッ

作業風景を見上げながらすぐそばを通り過ぎようとした時に、ドキッとした。先ほどから蝶のようにハラハラと背表紙を広げて落下していく本たちの多くは、服飾雑誌『装苑』ではないか。それも、見たところ昭和20年〜50年代に発行された貴重なものたち。おまけに状態もかなり良さそうだ。

元々洋品店と手芸店が入っていたらしい店舗付き住宅の2階は店主の住処だったのだろう。研究熱心な店主が服飾雑誌を毎号入手して流行をリサーチしている風景をふと妄想した。

『装苑』は昭和11年に創刊された洋装の専門誌であり、日本のファッション誌を牽引してきた存在だ。目の前で、先ほどから新築落成の際の餅まきのようにトラックの荷台に降り注がれているのが、本来なら古書店で適正の価格をつけられて並べられるべき〝価値ある資料〟である事実が私の心を猛烈に動揺させた。

 

どうすることもできない身のくせに、無惨に捨てられていく様子に目が離せなかった私は、しばらくトラックから少しだけ離れていた場所からその作業を凝視していた。

「あぁ…あの本たちを救う方法はないものか…」

 

すると不審に思ったのか作業していた男性の1人が近づいてきて、「なにか?」と声をかけてきた。日焼けした肌に茶髪の髪が揺れ、耳たぶに小さなピアスが輝くその若い男性は訝しげな表情で腰に手を当てて私の前に立った。

臆せず、これはチャンスだ!と言わんばかりに、差し出がましい意見ですが…と、先ほどからトラックに投げ入れている本達を近くの古書店に持ち込んでみてはと思い切って打診してみた。だって価値がある本だから、と。

だが、話を聞いていた男性は依然不審げな表情を変えずに一言パサッと答えるのみだった。

「いや、もう廃棄が決まってるんで。無理っすね。」

 

何言ってんだ、こっちは仕事が忙しいってのに、という空気を放ちながら立ち去っていく男性の後ろ姿と重なるように、2階の窓からはすでに棚や家具の搬出が開始されていた。先ほどからトラックに敷き詰められた本達が緩衝材代わりになっているのか、大きな戸棚が投げ入れられても衝撃音はそう大きく響かなかった。

トラックからようやく視線を離してその場を去るまで数分はかかったと思う。

作業員の男性が地面に散らばった本達を拾い上げてはトラックにヒョイっと投げ入れていく光景は、まさしく本が本としての役割を終えた末路を見ているようだった。

 

「仕方がない」という言葉は日常的によく使うフレーズであるが、この時ばかりは悔しい気持ちでいっぱいで自分を落ち着かせる呪文のように何度も心の中で呟いた。

自分が億万長者で、このトラック丸ごと引き取るから!などと言える立場だったら良かったのに。

 

あんな風に人知れず廃棄の運命を辿る貴重な本達はどれくらいあるのだろうか。

その数の多さや、すでに失われてしまった存在に思いを馳せることに意味はないとわかっていてもつい考えてしまう。

 

先日古書店で300円で購入した50年前の屋内園芸について書かれた薄い冊子を手に取りながら、しみじみ「拾ってあげることができて良かった」と思う。興味がない人からすると、紛れもなく捨てられる運命にあった存在だったろう。だから同時に、商品としてこの冊子を拾い上げ価値を持たせてくれた古書店にも感謝だ。そしてその古書店に本を繋げてくれた存在にも。

 

いつか自分の手から蔵書が離れる日が来たら、一冊一冊が次の人の元へと受け継がれるよう、出来るだけの準備は怠らないようにしておかねば…!

いち古本者としての信念がより固くなった印象的な4月であった。