コラム

2025.10.29

コラム

カラサキ・アユミ氏 コラム 子連れ古本者奇譚 第46回「〝ちょ待て〟古本ライフ」

 

生涯において一番口にする言葉はなんだろうか。

おはよう、おやすみ、こんにちは、さようなら…

様々な言葉が思い浮かぶが、もしこの質問が投げかけられたのならば、今の私は間髪入れずに答えることができる。

「ちょっと待って」

人生もうすぐ37年目、この言葉が現在生涯の中でダントツ一位の利用率だ。

ちなみにまだ口にしたことがない憧れの言葉は「ここからここまで、全部ください」だ。(いつか言ってみたい、古本屋もしくは古書即売会場の棚を指差しながら。)

 

A「ちょ、ちょっと持ってね。ちょっとだけだから」

B「ちょっと待てよ…」

C「ちょっと待って〜!」

 

シチュエーションが違えども、どれも額に脂汗を流しながら発する言葉であることは変わらない。ちょっと待って、略して、ちょ待て。

この言葉を発する時のイントネーションは決して若かりし頃のキムタクを連想させるものではない。アワアワと不格好な必死さを絞り出しているようなトーンである。

 

Aは夫を待たせて古本漁りに興じている最中にまろび出た〝ちょ待て〟

Bは古本屋で気になった本を見つけたものの、既に所持しているかもしれない…と朧げな記憶を手探りしながら戸惑い呟く〝ちょ待て〟

そして、Cに関しては子供が生まれてから今日まで1日たりとも欠かさずに発している呼吸同様の〝ちょ待て〟である。

泣き叫ぶ声にプレッシャーを募らせながら急いで粉ミルク用のお湯を沸かしている時、風呂上がりに濡れたまま脱衣所から脱走した後ろ姿を裸で追いかける時、朝の支度に忙しい最中やトイレで用を足している際に「ママ、こっち来てー!早く!」と呼びつけられた時……子供が生まれてから4年間、使用してきた場面をあげると途方もなくキリがない。

〝ちょ待て〟の数だけ思い出が、ある。

 

そして最近、この言葉を初めて嬉しい場面で使用した。

「ママ、古本屋さんごっこしようよ」

我が子から突然このお誘いが掛かったその時である。それはある日の夜に突然やってきた。とうとうこの日がやってきた。

大きくなるお腹を撫でながら、「いつかこの子と、おままごとをするように古本屋さんごっこをしちゃったりして…ふふふっ」と妄想しては1人ほくそ笑んでいた妊婦時代。その時に描いたささやかな夢がいま現実に!

 

「ちょ、ちょっと待って!もう一回言ってみて…!」

記念すべき瞬間を動画に収めねばと携帯を手にした私の顔はまごうことなきクシャクシャの笑顔であった。

本を買うたびに「また買ったの?」と子供に怪訝な表情で問われることが増えて、「アト坊よ夫のみならずお前もか」と悲しみの気持ちを抱いていた私だったが、やはり好奇心旺盛な4歳児、「本がこれだけ大量に集まるとなんか結構面白い」という魅力には抗えなかったのだろう。

これら母の大量の蔵書を積み木遊びと同様に、ごっこ遊びにも転換できることに気づいたのである。

それは、一時は危ぶまれていた私の古本戦士育成の志に再び小さな火が灯された瞬間でもあった。

 

「ママは、お客さんの役ね」

はい!喜んで!

 

「ここはぁ、古本屋さんなんでしゅよ」

自らの手で、部屋の片隅に積み上げた古本タワーの囲いの中を帳簿に見立て、貫禄たっぷりにそこに鎮座する店主を演じる風呂上がりの我が子。

お星様とチェック柄のファンシーなパジャマ姿がその混沌とした風景に狂気を演出しているかのようだ。

さらに狂気を増させるかの如く「こんにちはぁ、うっはぁ、本がいっぱいあるぅ」と中腰になりながら迫真の演技でお客になりきる私。

リビングの奥からこちらに注がれる若干冷ややかな夫の視線が、いい感じに臨場感を持たせるスパイスとなっていた。

 

回数はそこまで多くなくとも、やはり古本屋に連れていった経験が見事に生かされているなぁと感心する再現度だ。アト坊、恐ろしい子。

 

「ここの本はねぇ、珍しいんでしゅよぉ…。そして高いんでしゅよ、これは32円もします。こっちは27円。でも今買ってくれたら特別にトミカを2台プレゼントします」

新手の古本商法に「ほほう…こいつぁやり手だぜ」と唸った私は間違いなく親バカである。

このアト坊監修の古本屋ごっこのシナリオは、それが子供ながらに編み出した内容でありながら、なかなかリアルな線をいっていることに驚いた。

それにしても、昼ごはんはお客さんが途切れたタイミングに急いで食べるという設定には笑った。

「いやぁ、お客さんがいっぱい来るからなかなかご飯食べる時間がないんでしゅよ。ちょっとしゅみませんけど今のうちに食べますね」と、やおらバナナを剥き始めた。どこから持ってきたのそれ。

あれ、さっき歯磨き済ませてたよね君。一瞬、思ったが止めなかった。

本当に真っ当な母親だったら就寝前に物を食べる我が子の行為を制止したのだろうが、彼がこの後一体どのような展開を見せてくれるのかが気になって仕方がなかった私はこのままお客さん役に徹することを決めた。

バナナを頬張りながら「でもなかなかねぇ、売れないんでしゅよ」と嘆いてみせる様は本物の古本屋のオヤジさん。おたく、本当に4歳?

「あのぉ、おすすめの本はなんですか」と尋ねると、「ん、この汚い本でしゅね」と昭和初期の歓楽街案内書を片手で差し出してきた。

あぁ…どっから持ってきたのその本…それ結構貴重なやつぅ…ちょ、もうちょっと丁寧に扱ってぇ…

内心そう思いつつも「ちょっと待って!それ大事な本だから触らないで!」とここで水を差してしまうと子供のテンションが一気に下がるのが目に見えている。やはり、ここでも客の演技に集中することにした。

 

その後も、4歳児が繰り広げる独特な古本売りの口上に耳を傾けながら目頭が熱くなった。最終的に「タダであげましゅ」と言い放つ商売っ気のなさに粋すらも感じた。

 

だがしかしいつまでもこの幸福な時間は過ごすことは許されなかった。

なぜならば、この遊びにはもれなく鼻水とくしゃみと咳の戦いが容赦なく必須となっていたからである。

古本生活は埃との共存が強いられる。

毎日掃除機をかけていても、空気清浄機一台では到底太刀打ちできない我が家の古本ハウスダスト量。

我が子が古本を運んで積み上げ、それらの本を広げるたびに舞い上がる目に見えないホコリ。次第にアト坊の鼻がズビズビと鳴り、くしゃみが出始めたのが閉幕の合図となった。

「やだぁぁ!まだ古本屋さんする!」と涙を浮かべるアト坊に、断腸の思いで全身の着替えそして手洗いうがい歯磨きを促す。

一緒に手を洗いながら「また古本屋さんごっこしようね?ね?」と確認する頃には「いつかね」と熱が冷めたようにすげない返答をするアト坊であった。

 

散りばめられた古本達の片付けをしながら「この本は手が届く場所にあったら危ないから別の場所に移動させとこう…」などと、次回開催未定の古本屋ごっこに備えてブツブツニヤニヤ試行錯誤している最中、

「あーもう!だから古本は嫌いなんだ!」

蔓延したホコリのとばっちりを受けた夫がズビズビと鼻を啜りながら恨めしげに言い放ち、背後を通り過ぎた。スッと冷静になった。

散らばった小銭を必死に拾うように散乱した古本を無言で拾い集めながら、面目なさに下唇を噛み締める。先ほどまで我が子と繰り広げていた幸福劇の余韻はもうこの時点で微かとなっていた。

長年の古本活動における賜物なのか、埃に耐性がついている私だけが家族の中で唯一、鼻水どころかなんともないのがまた切ない。飼い猫すら、ハウスダストのせいで喘息気味だというのに。

 

思えば、古本を買うたびに己に言い聞かせてきた言葉もまた「ちょっと待って」だった。〝ちょ待て〟を浮かべれるくらい自分は冷静な人間ですけれども?とただ単に自覚したかっただけかもしれない。

「また増やすのか?」「読むのか?」「積むのか?」「本当に必要なのか?」

己の思考に〝ちょ待て〟をふりかけのようにまぶし、あーでもないこーでもないとすぐに薙ぎ倒せるバリケードのような疑問を置いてはすぐさま倒し、結局今日の蔵書量に至っているのである。それでも、ここ数年は己が放つ〝ちょ待て〟の言葉にも重みが増し、購入量は格段に減った。(と、思う)

 

だが、「ちょっと待てよ!古本屋ごっこの時は家族にゴーグルとマスクを装着させたら解決じゃん⁉︎」

そんな斜め上の思考にぶっ飛ぶ自分が、なんだか怖く感じることもまた真実だ。

とりあえず、自分にとっての幸福(古本趣味)が彼ら(夫と子供と猫)にとっての不幸にならぬよう、この〝ちょ待て〟のクサビは忘れまい。

こんなことを考えながらアト坊の鼻にティッシュを当てる自分の顔が果たして母親のものか古本者のものかは、自分でもわからないままであった。