2025.06.27
コラム
歳を取ってから簡単にできるようになったことも増えれば、「いやぁ、もう無理だわ」となることもまたそれに比例する。
梅雨のシーズンに突入してからというもの、昔の私は…と、過去への振り返り頻度が増している気がする。
夕食の支度をしている時なんかに(キッチンドランカーなので安ワインを入れたグラスを時折口に運びながら煮物を作る)突如「あの頃は ハッ 」と和田アキ子の声真似をしながら『古い日記』の替え歌を口ずさんでは、隣室にいたアト坊が「ママ、うるさい!お歌やめて!」と台所へ苦情に来ることも多い。酒を飲み歌いながらルックバック(しみじみ過去を振り返る行為)するのは母親にはハードルが高いようだ。
そんなわけで、私がもっぱらぼんやりルックバックする時は決まって子供が寝静まった後の居間、それも本棚の前でだ。扇風機の風に当たりながら藤椅子に腰掛け(映画エマニエル夫人の宣伝ポスターで有名なあのポーズで)今日という1日を無事終えて安堵の気持ちに浸りながら目の前にせせり立つ背表紙の群れを眺める。ささやかな幸福を噛み締める。が、噛み締めながら同時に不幸な記憶も肩を並べさせる。スイカに塩をかけてより甘さを際立たせて食べるように。
最近こんな時によく思い返すのは20代前半の自分。なぜかというと、その時代はあまりにも今の生活から遥か離れた暗黒生活を送っていたからだ。楽しい思い出も勿論あるが、圧倒的に胃痛と涙が止まらない〝がむしゃら社会人時代〟であった。
30代後半となった今なら断言できる。
あの頃のガッツを今の私はもはや持ち合わせていない、と。
他人の苦労物語ほど聞かされたくない話はないだろう(自分もそうだから)。
だが、どうかワンクリックしてこの文章を閉じずにいて欲しい。そして最後まで読んでいただけたら、もれなく優しさ検定1級を差し上げたい。(良心まかせ)
拙著『古本乙女の日々是口実』(2018年に皓星社から発行)にも少し綴った話ではあるが、勤め人時代の私は古本趣味が娯楽というよりもストレス発散になっていた。現在も同じような部分もあるが、その重みが全然違う。古本を手にすることは、自分が自分を保つための生命維持装置のバッテリー交換作業に近かった。
趣味人生はいくつかの章に区分けされると思う。
まずは〝目覚め〟の第一章。それはあるモノコトと出会い、それを好きになる【心に発芽した時期】だ。
そして趣味活動が本格化する第二章。
私の第二章を一枚の絵にするとしたらそこに描かれているのは〝奇抜なファッションで商店街を全力疾走する自分の姿〟だ。手には古本が入ったビニール袋が提げられている。
20代前半、しょっちゅう休憩時間45分を使って職場と古本屋を往復していたのだ。
第二章の始まりは、某アパレル企業(以下、Cと称する)に新卒で入社したところからスタートする。
入社面接ではまさかの古本趣味を発揮。面接官から志望動機を聞かれた際に、これまで古本屋で買い集めたファッション雑誌に掲載されたCの記事や写真を切り貼りした分厚いスクラップブックをドンと先方の前に広げてみせた。
御社が生み出すクリエイションにこれだけ惚れ込んでます!入社したあかつきにはこの魅力をもっともっと沢山の人々に届けたい!そんな気持ちを込めて見せた。
服飾の専門学校に通ったわけでもない、畑違いの自分がアピールできるとしたらこの方法しか浮かばなかったからだ。実際、長年かけて作成したこのスクラップブック以上に自分を表現してくれるものはない。
担当者は驚きと困惑の表情に満ち満ちていて、「あ、やば…こりゃ落ちたな」と面接後に項垂れて帰宅してから後日、入社の案内電話が鳴った時は天にも昇る気持ちだった。
あとで聞いたのだが「面白そうな奴だったから」採用されたらしい。
憧れの会社に晴れて入社し、販売員として勉強も兼ねて様々な店舗に配属され、初めての体験だらけで疲れよりもワクワクが優っていた半年が瞬く間に過ぎた頃、状況に馴染み始めるとやがて現実を理解するようになった。
婦人服の販売の現場はどうしても女の世界になる。妬みに嫉み、噂話に世間話、外から見ると眩しく見えた世界も実際はドロドロとした部分も多いことが分かりはじめた。
Cという会社は、全国各地にショップがあり、それらが独立して各自運営しているような仕組みになっていた。なので、それぞれのショップの店長がいわば絶対君主となる。上司の機嫌を損ねたら最後、その小さな島の中で円滑に社会人ライフを送ることはできないことに若輩者の自分も気づきはじめた。
まさか、御用聞きの丁稚さんよろしく(目を細めながら手の平を合わせてさすさすしているイメージ)店長のご機嫌を伺い如何に平穏に日々をやり過ごすかが働く上での最優先事項になるとは思ってもみなかった。
「今日って出勤できない?」「あの在庫ってどこにあったっけ?」と休日の朝や旅行先で無遠慮に電話がかかってくるのは当たり前で、職場からの着信が携帯画面に表示されるのを目にするや否や激しい胃痛が走るようになった。体調が悪くても休まず出勤するのも日常茶飯事だった。
「来月、2連休希望出してるけど理由は?」
「日曜日に休み希望出すのって、仕事に対するやる気が足りてないんじゃない?」
こう言い放つ上司や年上の同僚が当然のように繁忙する土日に休日を取得し、旅行を理由に連休を楽しむ中、唯一自分だけは毎月シフトに関して嫌味を言われあれこれと詮索された。古本の即売会に行きたいからとは口が裂けても言わなかった。
村のような狭いコミュニティの職場において、趣味嗜好など知られようものなら、悪意ある好奇心や干渉の標的となり面倒だということを本能で察知していた。
小さな島で心無い待遇を受けまくる日々だった。どれだけ善処しようと努めても、年齢のレッテルを突き立てられては重箱の隅を突くようにあれこれと意見された。「若いんだから」「若いくせに」「これだから若い人は」を会話に織り込まれない日はなかった。
唯一、お客様に接客をしているひとときだけがこの仕事を選んで良かったと感じる時間だった。
他のショップに配属された同期達も同じような境遇にあったのか定かではないが、一緒に入社式に参加した彼らのほとんどが1年以内には退職していた。ドロップアウトした人数のあまり多さにこの業界の過酷さを知ったと同時に「苦境に負けずに頑張っている私」に酔っている自分がいたのも確かだった。
本社には相談できる部署もなく、とにかく実るかもしれない苦労は買ってでもやってやろうという気概でへこたれずにがむしゃらに走り続けた私だったが、いよいよ「あれ?なんかこれおかしいよね?実るどころか擦り減り続けてない?」と我に返ったとき、すでに入社から7年が経っていた。現状は全く変わっていないままだった。
販売職が大好きだったし現在も刺激的なクリエイションを生み出すCへの尊敬と愛は絶えていない。
単純に人との出会いにツイていなかったのだろう。
とてつもなく特殊な上司同僚がいる現場ガチャを引き当ててしまった故に、精神が無駄に消耗していくのが許せなかった。本来やりたかった仕事にも没頭できない。ささやかな古本趣味も心の底から楽しめていない。
こんな人達に振り回されて、これからも家族や恋人よりも長い時間を一緒に過ごしていかなければならないなんて真っ平ごめんだ。相手が変わらないのであれば私が変わるしかない。
そんなわけで、最後のガッツを振り絞って退職を果たした後は、優しい年配のご夫婦が営む喫茶店でアルバイトをしながら自由に趣味生活を送る私の人生の第三章がスタートした。聞こえが良い肩書よりも安定した収入よりも、ささやかな収入を得て自分が自分らしく暮らす喜びを知った。
そして今現在は、第四章「子育てしながらいかに趣味の面白さを味わうか」を軸に爆走中だ。第五章はいつだろう。子育てが落ち着いた頃だろうか。
あのままストレスまみれになりながらも意地とプライドだけで働いていたらボロボロになって、出世をしたとしてもきっとアト坊には出会えていなかったに違いない。
だが最近、愛しく懐かしく感じるのだ。いつ呼び出しの電話がかかってくるかドキドキしながら、短い休憩時間中に古本屋がある職場近くの商店街を汗だくになって往復していた、あの自分が。
辛かった記憶の呪縛から解放される手助けができるのは自分自身しかいない。
過ぎた時間はやり直せないし、戻らない。だからこうやって過去の自分を愛おしんであげることを大切にしたい。〝可哀想がる〟ではなく、〝愛おしむ〟という点が重要だ。
今年の夏は、アト坊を連れて関西に旅に出ようか。そうだ、あの商店街にあった古本屋にも久しぶりに行ってみたい。今度は走らず、ゆっくり歩いて。
椅子から立ち上がり思いっきり背中を伸ばす。扇風機を消すと先程まで降りしきっていた雨がすっかり止んだことに気づいた。今の私は梅雨明けがとても待ち遠しい。
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カラサキ・アユミ
1988年福岡県北九州市生まれ。
幼少期から古本の魅力に取り憑かれて過ごし、大人になってからは大好きな古本漁りの合間に古本にまつわる執 筆活動を行うように。
2024年現在、3歳になる息子にも古本英才教育中。
著書に『古本乙女の日々是口実』(2018)、本エッセイ「子連れ古本者奇譚」に書き下ろしを加え書籍化した『古本乙女、母になる。』(2023)がある(共 に皓星社)。
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