コラム

2025.05.29

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カラサキ・アユミ氏 コラム 子連れ古本者奇譚 第41回「4歳、それぞれの変化」

 

このエッセイのメインタイトルである『子連れ古本者奇譚』に相応しい、子供との濃厚な古本屋行脚を成し遂げるには至っていないが、着実に、念願のその日に向かって母子ともに健やかに月日を歩んでいる。

子供が産まれて以来、1年間が、1ヶ月が、1日が、1時間が過ぎ去るのが異常に早く感じる。それと同時に、過ぎ去った思い出を心の引き出しから取り出しては懐かしむ瞬間も枚挙にいとまがない。

そんな風にあれよあれよという間に、アト坊はついに、この5月に人生4年目をスタートさせた

 

誕生日当日、「4歳を迎えたにあたって意気込みをどうぞ!」と、プラスチック製マイク(ラムネ菓子の容器)を、インタビュアーに扮して口元に差し出すと、しばらく真剣な表情で考え込んでいたアト坊は「…5歳になる!」と真理極まるコメントを返してくれた。どうか全力で次なるステージを目指してほしい。

 

先日「ママ、この本買って!」とブックオフで初めて古本をせがまれた時に込み上げてきた感動は、きっと子供が成人を迎えるその日まで忘れない。

状態のあまりよろしくない新しめの児童書(定価1,000円)の本にたとえ880円の値札シールが貼られていたとしても「中古だけどほぼ定価じゃん⁉︎これだったらもう新刊で買った方が良くない⁉︎」なんて無粋なツッコミを入れることなんてしない。我が子がご所望とあらば「はいはいは〜い!」と穏やかな笑顔で希望の本を手にレジへと向かう。古本屋で古本を買う、これがまず未来の古本戦士を育成するための大切な一歩であるからだ。

 

さて、子供が4歳になったということは、当たり前だが、親である私自身も歳を取ったわけであり、自分にどのような変化が生じているのかを改めて振り返る機会となった。

36歳。妙齢とは言い難い、若くもなく中年以上でもない微妙な年齢だ。

精神的な成長はともかく、年下の人には萎縮させず、かつ、年上の人へは礼儀を忘れず親しみを込めて…を意識した、タメ口と敬語の中間エアー(要はゆるい空気)をまとう話し方が割と板についてきたように感じる。

 

話し方と言えば、子供との何気ない会話で最近発見があった。

「アトくん、これ大好きじゃない!」

苦手な野菜を食べさせようとした時、着替えの服を差し出した時などなど、自分の意にそぐわない場面でよく放つ言葉なのだが、〝嫌い〟という言葉を使わずに〝大好きじゃない〟というフレーズを使っているのが「なんかイイな」と思ったのだった。

子供はスポンジが水を吸収するが如く、学んだことをスッと自分仕様にアレンジする名人だ。〝嫌い〟という言葉には何となくマイナスのイメージが付随するので、言葉に発すること自体が楽しくないということを幼心にも感じるのだろうか。我が家の4歳児は決してこの2文字を会話の中で使わない。

大好きじゃないってことはいつの日か好きになる日も来るのかも、そんな可能性を含む言葉の響きに母としては明るい未来も一緒に想像してしまう。

こんな風に、言葉のバリエーションがぐんと増えてお喋りが上手になったのがこの1年間のアト坊の変化だ。

 

自分や子供の変化について考えながら夫にも目を向けてみる。

これまで、これといった趣味もなく物に執着する姿勢が一貫して見受けられなかった夫、なんと現在園芸ブーム真っ只中である。キッカケは謎だ。

暇さえあればYouTubeで植物の育て方を眺めている。

「来週あたりにジャガイモ収穫するか…」

数少ない独り言も植物に関することばかり。

荒れ放題だった我が家の庭はそんな彼の手によって開墾され整備され、今では立派な畑と可愛い花壇が広がっている。

週末になると肥料や花の苗木を求めて園芸ショップや植物園に赴くのが我が家の日課となった。目を細めながら真剣に苗木や花の種を吟味している夫(36歳)の姿は早くも「老後」を連想させる。

 

そんな夫も自分の変化に驚きを感じているのだろう。

「この俺がまさかこんなに植物にハマるなんて…」

「ユニクロのTシャツ一枚買うのにあんなに悩むのに、果樹や苗木は欲しかったら値段問わず躊躇なく買っちゃうんだよね…」

こんな風にしみじみと話すのだ。

 

それに対して「そうそう、わかるわかる。何かに打ち込むって楽しいよね!古本買いも同じなんだよねぇ。ようこそ、趣味の世界へ!」と満面の笑みで同志と喜びを分かち合おうと両手を広げた私であるが、夫は微動だにしなかった。

 

「あのさ、植物は心を込めて育てた分、花が咲いたり実るけど、古本は違うよね。君の行為は買って積んで…そのままホコリ以外何も生まないよね。一緒ではないよ…。」

すげなく夫に答えられた次の瞬間、私の口は大きく開いた。

「これから生まれるんだよ!昔買った本を今読んでるんだから!」

 

子供のようにムキになった剣幕に、夫がプッと小さく笑いをこぼした。

 

そう、20代で買った古本達を今改めて腰を据えて読み始めている。しっかりと味わうように。買うことよりも読むことの楽しさの方が比重を占めるようになった。

これが加齢と共に私に起きた大きな変化の一つだ。

 

便乗して、最近読んだ作家 角田光代さんの著書「しあわせのねだん」というお金にまつわるエッセイで〝20代のお金がその人の基礎になる〟という話があり、それがとても良かったので、夫に聞かせるように朗読した。

以下、抜粋させていただく。

 

「20代のお金は、例外もあるがほとんどは自分で作った、自分のお金である。なくなろうが、あまろうが、他の責任ではなく、ぜんぶ自分自身のこと。それをどう使ったかということは、その後のその人の基礎みたいになる。 (中略) 20代のお金がその人の基礎になるというのはそういうことで、映画を見まくった人は他の人より絶対に映画にくわしいし、おいしいものを食べまくった人は、絶対に舌に自信があるはずだ。自分の作ったお金を使っているのだから、その対象物が身につかないはずがない。お金というものはそうしたものだと私は思う。」

 

この角田さんの文章のおかげで、常にどこかに小さな罪悪感を抱きながら歩んできた趣味人生(これまでの古本への散財行為)が全て肯定されたような安心感に包まれたのだった。お金ではなく知識の貯金をしていたんだと、胸を張って言い切れる自分がそこにいた。

 

角田さんの場合は20代に貧しくても呑む行為の費用は決してケチらなかったそうだが、そうしたことがいま現在の自分の根っこの一部になっていると綴っている。

私も20代に働いて得たお金のほとんどは古本はもちろん本全般に費やしていたので、本に詳しい人の部類に入るだろう。読むことはさておき、とにかく買って買って買いまくっていた。たとえ困窮を極めていても。

 

そしてその時代に蒔いた種が30代になった現在、ニョキニョキと芽を出しているのである。

「機が熟す、つまり樹が熟したんだよ」と最後に植物になぞらえたコメントを付け加えて夫への語りを終えた。

私の話を静かに聞いていた夫は「フゥン、うまいこと言うねぇ」と納得した表情を見せたのだった。

 

以来、「イチジクの苗木買ったんだ」や「ローズマリーを玄関先に植えた」など、時折、夫から趣味世界の報告をしてもらえるようになった。おまけに「最近はどんな本読んでるの?」という質問もかけられるようになったのだ。

これは夫婦間において、ささやかで嬉しい変化だ。

 

変化せずに変わらないことも勿論たくさんある。

先日、家族で天守閣の再建が完了した熊本城を見に行った。崩れた石垣など震災の爪跡が未だ残りつつも、復旧作業により綺麗になった城内に登り、眼下に広がる街並みを眺めながら数100年前の城に住まう人々もこれを眺めたのかと感慨に耽った。そばで同じ風景を見ていたアト坊が「このお城ってどうやって作ったの?」と私にふと尋ねてきた。質問の答えが見つからず「う〜ん」と唸る。

そう言えば…戦国時代って建築士とか既にいたのかな、手元にあった携帯で簡単に調べてみたところ、土木工事や石工を得意とする穴太衆あのうしゅう(技術集団)という存在を初めて知ることになった。「うわ、なんだか面白い。もっと知りたい。」と気がつけば子供よりも私の方が前のめりになっていた。

早速、ネットで検索したところ日本古来の土木技術に関する古本が複数ヒットしたので、目ぼしいものをいくつか選んで注文した。読み終えたら、アト坊にわかりやすく教えてあげたいと思う。

 

こんな風に、世の中で注目されていない面白い本や良い本はいっぱい存在する。世の中は知らない物事で溢れている。可能な限り、そうした本たちや好奇心をこれからも私は変わらず大事にしてゆきたい。

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県北九州市生まれ。

幼少期から古本の魅力に取り憑かれて過ごし、大人になってからは大好きな古本漁りの合間に古本にまつわる執 筆活動を行うように。

2024年現在、3歳になる息子にも古本英才教育中。

著書に『古本乙女の日々是口実』(2018)、本エッセイ「子連れ古本者奇譚」に書き下ろしを加え書籍化した『古本乙女、母になる。』(2023)がある(共 に皓星社)。

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