2025.03.28
コラム
「こ、このスイッチを押すだけで全部済むんですよね…⁉︎」
「そ、そうだね…」
目をまんまるにして感動しながら問いかける私に、笑いながら工務店の親方は優しく答えてくれた。
3月の暖かな午後の昼下がり、数週間にわたる風呂場と脱衣所の改修工事が無事に終了したその日、一新されたピカピカの浴室に歓喜の声が轟いた。
10年前の入居以来、昭和のままで時間が止まっていた我が家の風呂がとうとう今時(ユニットバス)になったのである!
以前の風呂環境はというと、冷たいタイル張りの床にステンレス製の底深く狭い浴槽、昔ながらの浴室はレトロといえば聞こえはいいが、とにかく癒しの時間とは程遠い仕様だった(おまけにシャワーもついていなかった!)。夏場はまだマシだが冬場は心臓が凍るほどの寒さなので、入浴は命懸けの作業と化していた。幼い息子が「寒い!寒いよぅ!」と裸の体を縮こめながら体を洗われる姿はなんとも可哀想で、やっとの思いで母子ギュウギュウに膝をくっつけて湯船に浸かった後に、「ママ、なんでお家のお風呂はこんなに古いの?」と無垢なる瞳で問いかけられては毎度答えに詰まる私なのであった。
入浴の準備もやはり大変だった。まずは手動で蛇口を捻って浴槽に水を溜める(水を溜めているのをすっかり忘れて長時間流しっぱなしにする痛恨のミスも何回やらかしたことか…)。冷水が溜まってからようやくお湯炊きボタンを押す。なんせ冬場はお湯が沸くのが遅く、1時間近くかかるという不便さにも悩まされていた。
風呂の支度をすっかり忘れて遅く帰宅した寒い夜なんぞ阿鼻叫喚で、「もう今夜は入浴は諦めよう…」なんて日もザラにあったのだ。
それが、である。
ボタンをピッと押すだけで自動的にお湯が注がれ、ある一定の位置まで溜まると「お風呂が沸きました🎵」とお知らせまでしてくれる。それもたった15分足らずで…!足し湯もできるわ冷ますための足し水機能もあるわ、そしてなんとお湯張りの時間予約の機能まで!膝を抱えるポーズだった入浴スタイルも存分に足を伸ばせるようになった。
わざわざ説明しなくても…とほとんどの読者からツッコミを入れられそうなのは重々承知の上で、私の今時の風呂への止めやらぬ激しい感動について、ここで宣言させてほしい。
今までの面倒な作業が人差し指一本で済まされるとは、もはや魔法である。文明万歳!と高らかに叫ばずにはおれないのである。
改修工事期間の銭湯通いの日々もなかなか楽しいもので、アト坊に銭湯に慣れさせるという絶好の機会にもなった(いつかアト坊と遂行したい〝ぶらり古本行脚の旅〟のプランに銭湯は欠かせないスポットなので今のうちに親しませたかったのだ)。
毎回、腰に片手を当て風呂上がりのフルーツ牛乳を美味しそうに飲む3歳児の姿は休憩所でくつろぐ常連のお婆ちゃん達の注目を浴びるまでになった。
そもそもの始まりは、予期せぬ出来事だった。
昨年末に新しい挑戦と称して新たな世界に飛び込んで趣味活動に没頭した結果、ハードスケジュールで無理が祟り体調を崩して入院生活を送ったのが小さなキッカケとなった。(現在古本屋での店番勤務は終了している)
改めて家で穏やかに過ごす時間の大切さ、休息の必要性を身をもって痛感したのであった。それと同時に、自分が以前のようにもう突っ走っても無理のきく若さではないことも悲しいかな実感させられた。〝老い〟が緩やかに密やかに影法師のように私の足元についてきていた。
趣味を楽しむにしても、子育てや仕事を頑張るにしても、健康が第一!
ここ数年ですっかり果樹や花を育てたりと園芸の楽しさにハマっている夫も同様の気持ちだったのだろう(山の上での園芸作業は肥料を持って上がったりと体力が意外と必要なのだ)。
生きていく上で金銭が最も重要なものであることに変わりないが、日々の疲れを癒し、体を労わることは精神的にも肉体的にも健康生活において欠かせない。
食事・入浴・睡眠のうち、自分たちの力ではどうしても解決できなかったのが〝風呂問題〟だった。
そんなことを考えていた矢先に、偶然知り合いから良い個人工務店を紹介してもらったのだった。対応してくれたのはいかにもこの道何十年といった職人気質の初老の男性(私は心の中で親方と呼んでいた)で、車が乗り入れない階段が続く山の上まで重労働をしに来てもらうことになり申し訳ない旨を伝えると「なぁに、良い運動になりますわ」と強面の顔を崩してニカッと笑い返してくれた。
アト坊がまだ歩けない赤ん坊の頃、入浴を楽しむという感覚はほとんど無く、とにかく腰痛必須の大変な作業だった。単純作業もシャワーや設備の整っていない風呂場でやるとなると話は変わる。毎回夫と話し合いながら活用できそうなバス用品をあれこれ買ってきたり試行錯誤して、工夫しながらなんとかやってのけてきたのだった。冬場は湯船から即座にバスタオルで濡れた赤子の体を包み、極寒の浴室から猛ダッシュで暖房を効かせたリビングへ向かい、クッションを敷いたベビーベッドの上で保湿と着替えを済ませる一連の作業が苦行でならなかった。
こんな聞かれてもいないツラツラと語られる思い出話にも、親方は親身に相槌を打ってくれた。
「坊ちゃんも奥さんもご主人も気持ちよく入れるカッコいい風呂作りますから。お楽しみに。」
その言葉通り、親方は数週間かけて理想的なお風呂に仕上げて颯爽と引き上げていかれたのだった。
風呂場で唯一原型を留めているのが窓であるが、以前は高い位置にあったので窓を開けて外の風景を眺めるなんてことは全くしてこなかったのだが、新しい浴槽になってこの窓との距離がグッと近づいた。
その日は夕方になっても日が明るくオレンジ色の空があまりにも綺麗に広がっていたので、窓を少し開けて入浴を楽しんでいた。
裏手に広がる山々と空とのコントラストが美しい。
遠く見える斜面沿いに植わる大きな一本の桜の木に真っ先に気づいたのはアト坊だった。
「ママ!あそこ!桜が咲いてるよ。綺麗だねぇ。」
「あ!本当だ!」
湯船に浸かりながら2人で満開の桜を静かに眺める。開けた窓から湯気がモワモワと夕焼け空に吸い込まれていく。
去年の春、3年前の春、10年前にこの家に越してきた春にも、あの桜の木は変わらずにこの窓の向こうにあったのだ。そして人知れず花を咲かせていたのだ。ちっとも気付かなかった。
ちょっと目線が変わると、これまでずっとそこにあったものの存在に気づく。あぁ、なんだか不思議だ。
まだまだ使い慣れないこの風呂場での非日常なこの感覚も次第に薄れ、やがて新たな日常として意識に迎え入れられるのだろうか。きっとそうなのだろうが、今の私には何もかもが新鮮で発見がありすぎて当分お風呂の時間が楽しみでならないだろう。
我が家の新しい風呂は、過去に別れを告げ、新しいものに出会う季節である春の到来のように新しい風を吹かしてくれそうだ。
それにしても新しい風呂でしっかり体を温めてから眠るようになったおかげだろうか、近頃楽しい夢をよく見るようになった。何度か見る印象的な夢の舞台は決まって見知らぬ古本即売会で、そこで私は気になる本を見つけては棚から抜き取りどんどんカゴに入れていく。こんな本が!この本もあの本も!と初めて目にする本達に嬉しさが溢れ、やがて山盛りの本をレジに持って行く…その瞬間に目が覚める。本を手に持った感触があまりにリアルだったのでしばらく気付かずにボ〜ッとしてから夢だったと理解するのだが、残念さよりも楽しい余韻が圧倒的に残る寝起きは、どんなに体が疲れていても気持ちだけは限りなく前向きだ。
楽しかった夢の内容を具体的に覚えている時は、それに近い愉快な出来事が引き寄せられる吉兆なのだと亡くなった祖母が教えてくれたのを思い出す。
外の陽気を知らせてくれるような小鳥の可愛らしい囀りが窓の外から聞こえてくる。
「さぁ、今日も一日頑張ろう!」と思いっきり伸びをして起き上がり、隣で大の字で眠るアト坊を優しく揺り起こすのだった。
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カラサキ・アユミ
1988年福岡県北九州市生まれ。
幼少期から古本の魅力に取り憑かれて過ごし、大人になってからは大好きな古本漁りの合間に古本にまつわる執 筆活動を行うように。
2024年現在、3歳になる息子にも古本英才教育中。
著書に『古本乙女の日々是口実』(2018)、本エッセイ「子連れ古本者奇譚」に書き下ろしを加え書籍化した『古本乙女、母になる。』(2023)がある(共 に皓星社)。
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