2025.02.27
コラム
息子が生まれて3歳と9ヶ月が経ったある日、とうとう本棚の前に設置していたイタズラ防止の柵を取り外した。ハイハイし始めた頃に子供の安全を考えて導入したベビーゲート。つかまり立ちからヨチヨチ歩きが上手になる1歳頃までは子供のスペースの境界線として、あちこち動き回るようになってからは私の蔵書の安全を守るためのバリケードとして長らく活躍してくれた。
夫が電動ドライバーで黙々と柵の釘を外していく様子を、目をまん丸にして興味津々に見つめるアト坊の肩に両手を添えながらしみじみとこれまでの子育て生活を振り返り、そして懐かしんだ。
本を齧ったり舐めたり破ったりしていたあの赤ん坊はもうすっかり〝本〟という存在を正しく認識できるようになった。
今ではお気に入りの絵本を手に持って「ママ、これ読んで」とおねだりしたり、私が本を読んでいると隣に座って同じように絵本を開いて真剣に眺めたりする姿がある。
最近では、私が叱ると「もう!アトくんのいうこと聞かないからママの本捨てるんだからね!」と一丁前に本を人質にして対抗するようにもなっている。
母親が〝本好き〟ということを子供ながらにしっかり理解しているようだ。
言いつけを守らなかったり悪戯をしたりして叱る時に「言うこと聞かなかったら大事なオモチャ捨てちゃうからね!」と私と夫が脅している普段の様子をしっかり逆手に取っているところが小賢しく笑えてくる。
散らかしたオモチャを片付けないことを諌めるも「まだ遊ぶからこのままでいいの!」と負けじと言い返すだけでなく、反撃するように床にまとめていた私の読みかけの本達を両手に抱えて、プリプリ怒りながら「もうママ、プンだからね!本捨てる!謝ったら返してあげる!」とまたしても私の口調を真似て隠しにいく後ろ姿がなんとも力強い。
(子供からすると私が本を積み重ねている様子も散らかしているのと同じように映っているのかもしれない…)
そういった瞬間の一つ一つに子供の成長を感じていちいち感動してしまうのであった。
早朝にバリケードを撤去したその日、最近休日に庭仕事や大工仕事に精を出している夫からの「ペンキを塗ったり板を切ったり作業に集中したい」という要望で、アト坊と2人でとりあえず近所の公園にいくことにした。その公園は遊具が少ないのが難点だが電車が行き交う線路が眼下に見えて景色が良く、私たち2人のお気に入りの場所でもある。
公園で2人でぼんやり電車を眺めていると、ふとアト坊が「なんだかママと電車に乗ってオモチャを買いに行きたくなっちゃったなぁ…」と小さな声でポツリとつぶやいた。その言葉には強引さは一切なく、本当に、美しい独り言だった。
子供の見事な独り言にジワジワと感動し、おまけに気持ちの良い気候だったのも背中を押してその言葉を聞いた私の心には「冒険」という言葉がムクムクと湧き出てきた。
気づけば「よし!今から電車乗ってオモチャ買いにいこっか!」と叫んでいる自分がいた。ノープラン、行き当たりばったりが好きな性分なのだ。
えっマジで⁉︎と驚きの表情を見せるもすぐに満面の笑みを浮かべた息子の手を握り、駅へと向かった。出発間近だった電車に飛び乗る。
靴を脱ぎ、正座して車窓に張り付いて景色を眺める息子の隣で、携帯の地図を開く。さて、どこにいこうか…と、おもちゃ屋を検索すると、乗車した電車に40分揺られた先の駅近くに〝トイザらス〟がヒットした。決めた、ここにいこう。初めていく場所だ。未踏の地に子供と2人で探検に赴くような気分でワクワクしてきた。「おもちゃ屋さんに早く着かないかなー」と堪えきれずに期待に満ち溢れたアト坊の声に更に嬉しくなる。
そんな風に2人してニヤニヤしながら電車に揺られているうちに目的地へと到着した。
休日のトイザらスは子供達の賑やかな楽園と化していて、まだトイザらス経験値が浅いアト坊はその光景に圧倒されたのかキュッと私の手を強く握りしめた。膨大なおもちゃ空間をゆっくりじっくり見て回る。それにしてもバリエーション豊かなおもちゃの数々に驚きの連続で、大人ながら興味深く眺めて歩いた。
やがてある場所で立ち止まったアト坊はパァッと目を輝かせて「これ…これがいい!」と両手で目の前の箱を撫でた。我が子のその真剣な表情を見るのは初めてだった。
選んだおもちゃは予算をかなりオーバーしていたが、「ええい!しばらく私の古本買いを控えれば良かろう!この子の為に我慢しよう!」と判断するのにそう時間は掛からなかった。思えば、これまで私や夫が子供が好きそうだなと選んでネットで購入していたものを与えていたので、こんな風に大きなおもちゃを本人に選ばせるという行為自体が初めてだったことに気づいたからだ。
会計を済ませ、持ち運び用の紐と取手を付けた商品をレジから受け取ると「自分で持つ!」と小さな手が伸びてきた。
その自慢げで嬉しそうな顔、己の体の半分以上の大きさの箱をヨロヨロと一生懸命持ち運ぶ姿を見られただけで、今日という1日の実りを感じたのであった。
その後、ファミリーレストランで昼食を食べている最中も、向かいの席に置いたおもちゃの箱を始終恍惚とした表情で眺めながらハンバーグを口に運ぶ様子に笑いが込み上げて、お腹いっぱいになった私であった。
再び長い移動をようやく終えて自宅に帰り着くや、すぐさま箱を抱えてリビングに走り去ったアト坊が脱ぎ捨てた靴を並べながら、ふう…と一息つく。楽しい遠足を終えたような、ひっそりとした気分になっていた。
「お疲れ様。結構大きいの買ってあげたんだね。」
手がペンキだらけの夫が出迎えてくれた。
「うん。でもAmazonやネットだったらもっと安く手に入ったんだけどねぇ…」と、思わず本音が漏れた。
少しの沈黙が流れたあと
「…確かにそうだけど、通販で買うよりも、一緒におもちゃ屋にいったという体験が大事なんだよ。そうやって買ってもらったおもちゃは子供の思い出に残るらしいよ。」
ネットで見かけた子育てニュースでの受け売りだけどね、と付け加えながら夫から返ってきた言葉は私の深く深く心の奥底に響いた。
そして段々と薄れていきつつあった自分の幼い頃の記憶がブワァッと舞い戻ってきた。
おもちゃ屋で買ってもらった色とりどりのビーズのネックレスや着せ替えお人形、町の本屋で買ってもらった漫画や絵本、覚えている。その時の嬉しさや興奮も確かに。
大人になってから自分が買うものはもっぱら本がメインだが、書店で発売日に胸を躍らせながら買いに走った一冊や、旅先の古本屋で買った一冊は今でも手に取るたびにその当時の記憶や思い出が蘇る。
これまで積み重ねてきた様々な買い物体験が自分を形成する一部になり、今に繋がっていることを改めて実感しつつ「今日の突発的なおもちゃ屋行脚がいつかのアト坊に繋がっていくのかぁ…」と、玄関に腰掛けながらしみじみと感慨に耽っていると「こっちも完成したし、コーヒー飲んで一休みしよう。」と夫が台所に向かった。
気になってリビングに行くと頑丈そうな棚が新たに壁に取り付けられていた。
「私たちが出かけている間にこれを作ってたんだ。」
夫が自作したその棚は、本棚を囲んでいた柵がなくなってがらんとした印象になっていた部屋に新しい風を吹かせるように一際存在感を放っていた。
「そこに本、並べていいよ。」
2人分のコーヒーを持った夫の声が後ろから聞こえる。
床に積んでいた本を数冊拾い上げて、試しに棚に並べてみる。うん、すごくいい感じだ。
そのそばで、今日買ったオモチャを広げてそれはそれは楽しそうに遊ぶアト坊が窓から降り注ぐ午後の日差しに照らされている。ゆらゆら立ち昇るコーヒーの湯気を顔にあてながら、私は静かに幸福を感じた。
おやつに買って帰ったドーナツをテーブルに運ぶと、遊ぶのを中断して「いやぁ今日はぜんぶ最高の1日だなぁ〜!」と言いながら素早く席に着く3歳児の姿に、夫と顔を見合わせてブハッと笑いが止まらないのであった。
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カラサキ・アユミ
1988年福岡県北九州市生まれ。
幼少期から古本の魅力に取り憑かれて過ごし、大人になってからは大好きな古本漁りの合間に古本にまつわる執 筆活動を行うように。
2024年現在、3歳になる息子にも古本英才教育中。
著書に『古本乙女の日々是口実』(2018)、本エッセイ「子連れ古本者奇譚」に書き下ろしを加え書籍化した『古本乙女、母になる。』(2023)がある(共 に皓星社)。
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