2025.01.30
コラム
以前、アト坊(3歳 約16キロ)を背負って、田園風景広がる長閑な田舎道をひたすら歩き続けたことがあった。
その日用事があって向かわなければならなかった目的地までは、車を持っていない身には必然的に公共交通機関しか足が無い。二度のバスの乗り継ぎを要した道中、経由地点となるバス停に降り立って明らかに本数が少ない時刻表を確認した私は、携帯画面に映し出された到着地点までの地図を再度確認して30分後にくるバスを待つより歩いたほうが早いと判断したのだった。
やはり、ものの10分しか歩き出してないうちに「ママ、抱っこ」と両手を広げてせがむアト坊を背中にヨイセとおんぶする。幸い、日差しが暖かく感じられる天気だったこともあり、冬の荒涼とした景色の中を歩いていても鬱蒼とした気持ちには全くならず、むしろこうして子供を背中に乗せながら散歩をしているような状況に愉快な気持ちになっていた。
やがて無人の野菜販売所の前を通りかかった。ふと足を止める。や、安い…!
「高いよぅ高いよぅ」と嘆きながらつい最近スーパーで買い求めた野菜たちが、その半額近い値段で並べられているではないか。しかもどれも立派で瑞々しく新鮮だ。勿論、これからまだ道のりは長い上に重い野菜を持ち運ぶ余力が自分には残っていない…。
アト坊の代わりに、人の頭ほどある白菜とたわわな大根を持ち運ぶ己の姿を一瞬想像して「フッ…それはアカンアカン」と心の中でツッコミを入れてその場を通り過ぎたのであった。
そんな些細な出来事がキッカケと言ったらおかしいが、それ以来、私は野菜や果物はスーパーではなく、なるべく八百屋で買うようになった。唯一ある地元の八百屋は地域のお年寄りにも人気のようで朝一番に買いに行かないと売り切れていたり早々に店じまいしていたりと買い物のハードルがなかなか高いのだが、それでもなるべく時間を作って頑張って滑り込むようにしている。
新鮮で安いからというのは勿論なのだが、見慣れない野菜をどんな風に料理したら美味しいかを店主に気軽に教えてもらえたり季節によってどんな野菜が旬なのかを知ることができたり、ワイルドに陳列された野菜達の風景が何より面白い。こんな風に単なる買い物で終わらず毎回新たな発見があり楽しいことが、通う内にわかるようになった。
何より、店先で山盛り積まれたキャベツの中から自分がこれだと選んで掴み取り、代金の小銭を渡して持参したエコバックに詰め込む一連の作業で得る満足感と充実感は、面白いことに私が古本を買った時に感じるそれと全く似ているのだ。
そして、道の駅がドライブに出かけたり遠出したりした際に発見したら必ず寄るくらい好きなスポットになった。幼い頃は母や祖母がイキイキした表情で買い物カゴを手に物産品のコーナーを回遊している様子を見て「一体何が楽しんだか」とこの場所の魅力が全く理解できなかった(買い物が済むまで待たされて退屈だったので、地域のお婆ちゃん達によるカラフルな手作り毛糸タワシや古裂を使った人形などを眺めて時間を潰していた)。大人になってようやく彼女達の気持ちがわかった。これは楽しい…!と。野菜はもちろん地元で作られた珍しい調味料や惣菜、美味しいものが沢山賑やかに並んでいるのだから。
ここまで書いて、改めて表明する。自分は今、これまでにないくらい〝食〟に対して大変フィーバーな気持ちになっている。
と言っても、私は元々料理好きではない。巷で話題のレシピ本を読んで「オリーブオイル大さじ一杯」と見つけたら一瞬で作る気力はマイナスになるし(わざわざ高級なオリーブオイルを買うことに腰が重くなるから)、昆布やイリコを煮てとる出汁なんて面倒で時間がかかるし…と、生まれて一度もとったことがない。恐らくこれからもよっぽどのことがない限り、だし入り味噌を使い続けるだろう。
高いお金を出して美味しい料理を食べるよりもそのお金で古本を買った方がいい。もやしでお腹いっぱいになるならそれで十分、たまに割引になったステーキ肉を買って雑に焼いて食べて「あぁ、牛肉っておいし〜」と舌鼓を打つ。
このように一人暮らしを始めて大人になってからはすごくラフな食生活を歩んできた。
妊娠中は体重管理や栄養面を意識して食事を摂っていたので楽しむよりは義務のような感覚が強かったし、出産後は、子供にいかに適切な栄養を摂取させるべきかと責任重大な必死さに駆られた状態で離乳食時期を過ごした。もちろん自分の食生活なんて気にも留めずのままだった。
そして現在、我が子も気づけばもうすぐ4歳。マクドナルドをはじめファストフードは大好きだし、冷凍食品の餃子が大好物。でも相変わらず野菜は一切食べてくれず、ふりかけご飯しか食べてくれない時もある。
私に似て、食べられたら良い、食べることは別にテキトーでいいじゃん、的な食に対する意欲が薄い空気が若干漂っているような、いないような。
このままではイカン、これまで食にこだわらない人生を歩いてきた反動もあって、母親という立場であるのにこのままで良いのかと段々と焦りが生じてきたのであった。
食べることは生きること、子育てをしていく上でも必要不可欠だ。
自分のペースで気負いなく食の世界をもっと知ってみたい…そして子供に食卓の楽しさをもっと体験させたい…でもどうすれば…アワアワ。
となっていた私にまさか古本趣味が一役買ってくれることになるとは思いもしなかった。そしてその発見が私にこの〝食フィーバー思考〟をもたらしたのであった。
これまで執着してこなかった〝食〟に対してのモチベーションを上げていくためにこんな最良の方法はあるだろうか!子育てと古本が直結するこんな素晴らしいジャンルがあったのは盲点だった‥!と、こんな感じで1人盛り上がっている私の元に連日届くのは、古本屋にネット注文した昭和の時代に刊行された料理本やレシピ本達である。昭和時代の料理本を改めて見返せる機会がある人は是非しみじみと眺めて欲しい。料理本において欠かすことのできない写真がどれも美味しそうで味があって素晴らしいのだ。今の時代では見られない色彩感、紙面構成、そして文章。計量カップやスプーンがなければ、指の長さで大体の容量を測る方法も書いてあったり、料理が苦手な人間でも〝特別なもの〟が作れるという自信を持たせてくれるような、そんな温かさが詰まっているのだ。ずっと眺めていても飽きずに楽しいので自然と「こんな料理作ってみようかな」という気持ちも沸々と湧いてくる。
最近、BS松竹東急の水曜ドラマで放送されていた『À Table』という作品の過去放送回を一話ずつ視聴するのがささやかな楽しみなのだが(どの回も食事という豊かな行為の魅力が詰まっているのでお薦め!)、作中にも2冊の昭和の料理本が重要な存在として登場する。それらを元に主人公夫婦が時間をかけて夕食を作って美味しく食べるという内容で、ちょうど食に興味を持ち始めていた私にはドンピシャにハマったのだった。
「昔は今みたいにネットなんてなかったから、当時のお母さん達はこんな本を見ながら一生懸命家族のために料理を作っていたんだねぇ」という登場人物が何気なく発したフレーズにとりわけ心がくすぐられた。
もちろん、このドラマに登場する2冊も古本屋で探し求めて入手したのは言うまでもない。
そんなわけで、今現在の私は昭和を中心に昔の料理の本を集めるのがマイブームになっている。私の好きなテイストのものは意外と安く見つかることが多く、それもまた嬉しい。献立の本、盛り付けの本、お弁当の本、季節行事に合わせた料理の本…料理にまつわる本の種類の多さには驚くばかりだ。
そしてなんとここ数日、「その本を見ながら料理作ったらとてもいいじゃない」と、いつもは古本を眺めている私に冷ややかな眼差しを注いでいた夫が、届いた料理本(古本)をさすりさすりしている私に若干微笑みかけながら声をかけてくる事態にもなっているのである…!(我が家では家計のやりくり含め夫の方が料理がうまいので、万年ズボラな私がようやく意欲的になっていることは彼にとっても福音のような感じなのだろう)
こんなに堂々と古本を買って罪の意識も感じることなく楽しむことができるなんて夢のようだ。
古本のおかげで本格的に食の意識が高まり料理上手になったら、いよいよ我が家での古本地位が鰻登りになるかもしれない。これで息子も好き嫌いなく食事を楽しんでくれるようになったら最高なのだが。
こうして都合の良い妄想を抱きながら、八百屋で野菜を買い、レトロな料理本を抱えて台所に向かうのが私の日課となりつつある。
母親業と古本趣味が綺麗にマッチングしたようで、なんだか嬉しい今日この頃だ。
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カラサキ・アユミ
1988年福岡県北九州市生まれ。
幼少期から古本の魅力に取り憑かれて過ごし、大人になってからは大好きな古本漁りの合間に古本にまつわる執 筆活動を行うように。
2024年現在、3歳になる息子にも古本英才教育中。
著書に『古本乙女の日々是口実』(2018)、本エッセイ「子連れ古本者奇譚」に書き下ろしを加え書籍化した『古本乙女、母になる。』(2023)がある(共 に皓星社)。
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