2024.12.24
コラム
これまでは〝捨てる前にご相談を!〟というフレーズを目にする度に、本を捨てるという概念がない自分には関係なし!と他人事のようにスルーしてきたのだが、古本屋仕事を始めてからこのフレーズが呪文のように常に自分を取り巻くようになり、かつ、古本界にとっていかに重要な注意喚起の言葉であるのか身をもって知ることとなった。
古本屋仕事の傍ら、たまに地元の馴染みの喫茶店に助っ人要員として珈琲を淹れに行くこともあるのだが、創業50年以上のお店とあって常連さんは年配の方がほとんどだ。珈琲を飲みながら新聞を読み、そこに掲載されている新刊本の紹介を見て気になった本のタイトルをメモし書店へ。そして、自力で(杖をつきながら)件の本を探して購入する。そんなルーティーンが当たり前の読書家の方も多い。
Amazonの存在を教えると「熱帯なんぞ興味ない」とウケ狙いでもなんでもなく真面目な表情でこう返答してくださる方々ばかりで、その表情は清々しく、そして眩しい。机の上に置かれた、お孫さんの顔写真入りのキラキラのストラップがついた携帯はきっとインターネットに繋がっているのだろうが、ほとんど機能していないのは感じ取れる。
そんなわけで、常連の70代80代のお客様とカウンター越しに本の話をするのは非常に楽しい。楽しいのだが、胸に鈍痛が走る瞬間もある。
カウンター越しに話を聞きながら時々「ああああ!!なんてことを!!!」とお客様の両肩をガシリと掴み脳震盪を起こす勢いで揺さぶりたくなることが多々ある。
「この間、息子夫婦が来て、そろそろ終活しなきゃって言われてね」という断捨離関連の話題になるたびにギクっと珈琲をドリップしている右腕が震える。
なぜなら次に来る話のオチが9割がた想像できるからだ。
「溜まっていた本やら死んだ祖父さんが集めていた大昔の雑誌やら、全部捨ててサッパリした!ハハハハ!」
ズキィィィィーーーーン、、、、、、(私の胸の音)
もう次の話題に移りたいお客さんから、そうはさせるかと捨てた本の詳細をしつこく尋ねる。聞かない方が古本愛好家の自分にとって傷が浅いままだったのに…と毎回後悔するのがわかっていても知りたくなってしまう。尋問のように必死に問う私に「ゴミみたいな本ばかりだよ…」と引き気味にお客さんはぽつりぽつりと教えてくれた。
戦前の百貨店のカタログ、挿絵が豊富な古い児童書、昭和の娯楽雑誌、装丁が綺麗な詩集、読み終えて必要がなくなった大量の新刊本…
あああ!やっぱり聞かない方が良かった!なぜ捨てたぁぁ!どうやったらゴミなんて発想が湧くんだぁぁぁぁぁぁ!逆だよ逆!宝だよ!
動揺した私はドリップした珈琲がポットから溢れ出していることもお構いなしに、目の前のお客様に「捨てる前にご相談をぉぉぉぉ!」とあんなに他人事に感じていた言葉を腹の底から言い放っているのだった。
確かに古本屋という存在が身近ではない人たちにとって、不要な本に対してどんな受け皿があるかわからないのは当然だろう。捨てる以外で唯一よく聞くのがブックオフだ。恐らく、日本中でこの大型新刊古書店の名前を知らない人はいないだろう。まだ不要な本の処遇をそこに委ねるのは千歩譲ってよしとする。が、それ以上に「それすらも面倒くさい」の一言で片付けられてしまう人々が多いのもまた事実なのである。確かに捨てる方がめちゃくちゃ楽だ。
大都会でもない地方都市の末端でこんなケースを結構な頻度で耳にするということはきっとこれは氷山の一角であって、世の中には価値があるにも関わらず廃棄されていく本が想像以上あるに違いない。
現に、先日参加した大阪古書会館での業者間の市会でも似たような話を先輩の古本屋さんから聞かされたばかりなのだ。
初めて1人で入札作業(出品されている本に対して落札希望価格を記入して競り合う)をさせてもらったのだが、漫画に文庫本、アイドル写真集に学術書、柔らかい本から硬い本までまるで古本の寄せ鍋パーティーのような情報量の多い市会風景に驚いた。
どんな本が出品されているか会場をじっくり見て回っていると、やがて自分好み(勤務先の古本屋Sに相応しい雰囲気)の本の束を見つけた。立ち止まってじっくり背表紙を眺めていると背後から「いいでしょ、この本達。捨てられる寸前だったんだから…」と囁くような声が。ギョッと振り向くと、その本を出品した先輩古本屋さんの姿があった。
「高齢のお母さんが資源ごみの日に処分しようとしていたのを知って、店の常連の息子さんが慌ててうちに持ち込んで来てくれたのよ。ここにあるのは間一髪で助かった本達なわけ。」
まるでドラマだ。淡々と話される先輩の瞳は静かに輝いていた。
結果、その本の束は無事に私が落札することができた。大阪の見知らぬお婆ちゃまがゴミの日に処分しようとした本達がはるか離れた博多の古本屋の棚に並び、新たな持ち主の元へ旅立つのである。本当にドラマティックだ。
その他にも、大変失礼ながら「こんな本、欲しい人いるのかなぁ…入札入らなそう…」と思っていた本が競り合いの末に凄まじい高額で取引されていたのを目撃した時は衝撃的だった。捨てられる可能性が高そうなイメージを持つ本(よくある分厚い昭和の百科事典などは別として)こそ意外と価値があるという事実を目の当たりにしたのである。
とにかく市会での体験は驚きの連続で、自分の〝古本界における需要と供給の知識〟がいかに偏って浅かったのかを思い知らされた勉強会でもあったのだった。
多少古本に慣れ親しんだ自分の判断がこんな風なのだから、世の一般の人々はもう何が何だかわからないとなるのは頷ける。「嵩張る、よくわからない、不要になった」から「廃棄処分」の流れは、水が上から下に流れるの如く自然の摂理なのだ。
そこで、である。こうした体験を踏まえて市井の古本好きの自分が何ができるだろうかと改めて考えた。
これまで長い間、古本一括査定.comで連載をしている身にも関わらず、実は、私はその仕組みや全貌を具体的に理解していなかった。誰かに「詳しく説明しろ!」と言われたとしたら「次世代に古本を繋げるための貴重なサイトだよ!」と精神論しか熱弁できない自信があった(この文章を書きながら、アカンやろ!と強めにつっこんでいる。又、同時に、自由にのびのびと古本話を書くことを了承してくださっている関係者各位には感謝が尽きない。)。だからこそ、捨てられるという運命から救われる選択肢を得た古本達のその後の処遇を知らねばならない、と古本救世主(?)としての使命感に駆られた。
又、古本屋Sのスタッフとして、そして未来を担う古本民として古本を救うために!そう気持ちを新たにして、この度(やっと)古本一括査定.comの参加古書店に加入したのだった。
それにしても連載させてもらっているという身内の忖度を完全に抜きにして、古本一括査定.comのシステムは大変シンプルでわかりやすいと感じた。
「詳しくは下記のURLで!」とか「ネットで検索!」の言葉に対して、そこはかとない抵抗感を抱きがちなアナログ上等な自分の固定概念をパキーンと金槌で勢いよく割ってもらった気がする。こんな画期的なマッチングツール、発案した人すごい!と、今更ながら、本当に今更ながらしみじみと感心してしまったのである。
売る側、買う側のやり取りは非常にデリケートな作業だからこそ、古本一括査定.comのようにクッションのような橋渡し役がいてくれるのは古本断捨離ビギナーには大変ありがたいことではないだろうか。
いきなり行ったこともない最寄りの古本屋に自ら電話をして「あ、あのっ…本を…査定してもらいたいんですが…」と伺うのはなかなか古本屋通いに慣れていない人からするとハードルが高いかもしれない。
双方が無駄なストレスを感じることなくスムーズにわかりやすく取引ができる点がこのサイトの最大の魅力だろう。
日々、様々な本達の写真が査定希望の欄に映し出される。それを目を細めながらチェックしている自分がいる。入札が入っている表示を発見するとほくそ笑んでいる。古本屋として仕入れも兼ねてサイトと向き合わないといけないのは重々分かってはいるが、それを抜きにして古本達が救済のチャンスを得ている様子を観察して癒されている。
このように古本達に新たな機会を与えてくれた見知らぬ出品者様達(北は北海道から南は沖縄まで。それにしてもネットの世界は垣根をなくしてくれる点が素晴らしい!)には年末ジャンボが当たったり、商店街の福引で一等賞を授かる恩恵を是非受けていただきたいと思う。
私の役目は、せめてこれから遭遇するであろう本の断捨離難民達に「捨てる前に古本一括査定.comにご相談を!」とサイトの存在を根強く布教していくこと…これに尽きるな、と確信しながら今日も慣れた手つきでサイトにログインするのだった。
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カラサキ・アユミ
1988年福岡県北九州市生まれ。
幼少期から古本の魅力に取り憑かれて過ごし、大人になってからは大好きな古本漁りの合間に古本にまつわる執 筆活動を行うように。
2024年現在、3歳になる息子にも古本英才教育中。
著書に『古本乙女の日々是口実』(2018)、本エッセイ「子連れ古本者奇譚」に書き下ろしを加え書籍化した『古本乙女、母になる。』(2023)がある(共 に皓星社)。
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