コラム

2024.10.30

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カラサキ・アユミ氏 コラム 子連れ古本者奇譚 第35回「ママチャリと秋の空」

先日、家族で自分が子供の頃よく通っていた地元の交通公園に行った。実に20数年ぶりの再訪であった。

 

歩くより抱っこ大好き3歳児の道のり長き幼稚園送迎がいよいよ人力では厳しくなってきたので(私の腰が)、電動アシスト付ママチャリ導入を検討していたところ、担任の先生から「いきなり購入するよりもまずは無料で借りられる交通公園で一度試運転した方が絶対良いですよ!」と有難いアドバイスを貰ったのがきっかけだった。確かに、購入していざ子供が乗りたがらなかったら大惨事だ。

 

それにしても、子供の頃に両親に連れられてよく自転車に乗る練習をしていた場所に、まさか自分の子供を連れて来ることになろうとは。あの頃のまま、全く変わっていない風景に込み上げるものがあった。

 

生きていく上で大切な交通ルールを学べる稀有な場所であると同時に、無料で利用できる施設だけあって、多くの親子連れで賑わっている。

子供用の三輪車から大人用の電動自転車まで、乗り物を無料で貸し出ししてくれるこの自動車教習所さながらの設備が整った園内には、様々な遊具が揃うアスレチック広場もあり、芝生の上にテントを立てて思い思いに寛ぐ家族の姿も見える。ベンチもたくさん設置されていて誰でもウェルカムな空気感が心地良い。

 

さて肝心の、初めての電動ママチャリの操縦は想像以上に運動神経、瞬発力、視力の正常さを強いられる緊張感溢れるワイルドな作業であったが、最大に危惧していたヘルメット装着もアト坊は問題なく、シートへの着席もスムーズに出来たし、「導入しても問題なし」という結果を無事に得ることができた。

ママチャリから降りるやいなや、アト坊は先ほどから自分と同世代のちびっ子たちが楽しそうに乗り回しているストライダー(幼児用の二輪車)が気になって仕方がなかったらしく「あれに乗りたい!」と夫の手を引っ張って貸し出し場所へと消えていった。

 

一息つこうと園内の自販機で缶コーヒーを買って子供用の運転広場が見渡せるベンチに腰掛ける。ママチャリかぁ…お金と管理が大変そうだけど、やっぱり送り迎えが格段に楽になるよなぁ…などなど改めて思いを巡らせる。でも専用の駐輪場を探さないと、とか、いずれ使わなくなるだろうから多少お金がかかっても公共のバス利用でやり過ごす手もあるよなぁとか、デメリットや買わない理由もあれこれ考える。

 

夢中になってストライダーを乗り回すアト坊を遠巻きに眺める。上も下も車が全面にプリントされた派手な色合いの服なのでとても目立つ。今のところ、アト坊はトミカかプラレール柄の服しか着てくれない。こだわりが強いあまり、親好みのモノトーンやアースカラーといった小洒落た服は買っても一切袖を通してくれず、気づけば新品のままサイズアウトしてしまった服の山が出来上がった。なので、出かけた際の写真に映るアト坊はいつだって同じような服を着ている。

 

まぁこういうもんだよな…と諦めを受け入れている反面、子供は親の思う通りにはならないという当たり前とわかっていた現実に、やはり若干の動揺と不安を感じている自分がいるのであった。最近では古本を好きになって欲しいと具体的に願うことすらハードルが高くなっている気がするので、せめてこんな風に育ってほしいというイメージだけは崩さないでおこうという心持ちでいる。

 

例えば、秋の涼しさをいち早く感じることが出来た気持ちの良い休日の朝にふと思い立って海を見に行き、誰もいない早朝の海辺を裸足で歩く気持ちよさとか、夕暮れ時に紫色に染まった綺麗な空の下を熱々のコロッケを買い食いしながら歩く幸福感とか、旅先で明け方にコンビニで買った紙コップコーヒーの湯気をお供に見知らぬ街をあてもなく散策するワクワク感とか、そんなささやかな体験から得る幸せを噛み締められる人間になって欲しい。あまりにもポエムちっくな願いだろうか。

そして付け加えるのであれば、横断歩道で車が道を譲ってくれた時にペコペコしながら小走りして道を横断するような気の優しい人に育って欲しい。

 

いつの間にかママチャリ思案から脱線してしまっていることにハッと気づき、思いっきり両手を広げて伸びをする。

 

空を見上げる網を広げたような見事な鱗雲が、空いっぱいに浮いていた。缶コーヒーを両手に包み込みながら口を半開きにして空を眺めていると、やがて、私を見つけたアト坊がストライダーを前のめりに漕ぎながらフハフハ息を切らせて向かってきた。

「アト坊見てごらん、あの雲は鱗雲っていうんだよ。」と空を指さしてみせる。どれ、感傷的な秋というものを教えてやろうではないか…。

「ねぇねぇ、アト君にもジュース買ってぇ」

母の投げかけた言葉なんぞ知らんとばかりに華麗にスルーされた。

私がその要求に反応せずに再び空に視線を戻すと、小鬼はストライダーを地面に倒して「ジュース!ジュース!」と眉間に皺を寄せて地団駄を踏み始めた。持参した麦茶を入れた水筒も受け付けてくれず、追いついた夫がやれやれといった表情で仁王立ちしている。

 

夫曰く、駄々をこねる時のアト坊の顔は、古本屋を前にした時の私に本当にそっくりらしい。目的達成(欲しい物を手に入れる)するまで頑なに意志を崩さない姿勢に君の遺伝子を力強く感じる、そう言われる。

 

夫とは普段から会話も少ない分、そのため喧嘩もほとんどないのだが、唯一衝突の材料となるのはやはり古本関連だ。

よくあるパターンが、郊外をドライブ中に古本屋を見つけた際、私が寄って欲しいと丁寧に頭を下げて頼んでも言語道断で却下された時。車中が最強に険悪なムードに包まれる。子供の前で諍いはするまいと気をつけていても、古本が絡むと私は理性が飛ぶのである。「私の唯一のささやかな願いも聞いてくれないの?」「大袈裟すぎ!本はもうあれだけ沢山持ってるんだから必要ないでしょ!いい加減、大人になって!」とお互いの声に段々と熱がこもってくる。バックミラー越しに私を睨みつける夫の目が憎々しい。遠ざかっていく古本屋の看板を窓越しに眺めながら、「私ってなんて可哀想なんでしょう!」と悲劇のヒロインになり、やがて黙りこくる。

欲求への諦めが以前よりも若干早くなった点が、唯一、自分が大人になったんだと感じる部分というのがなんだか情けない。

チャイルドシートに乗るアト坊は先ほどから心配そうな顔で私の顔を見つめる。それにしても、母親が深刻そうな表情になっている原因が「古本屋に寄ってくれなかったから」だなんて…あぁ!なんてくだらないんだろう!

 

だが毎回、頭が冷えてくると「確かにこういう制御する人(夫)がいなかったら私はネジが外れたまま生きていって、今頃大変なことになってたんだろうなぁ」と納得してやがていつもの日常の空気に戻るのだった。

 

私のようになって欲しいと決して思わないが、自分で夢見る世界を作り出すことが出来る人に育って欲しいな、とは常々思う。

私は幸い、古本という存在から夢を見せてもらって生きているようなものなので、そのお陰で、楽しさの生み方や味わい方を沢山知っている。子供にも教えてあげていきたいと思う。

 

根負けした夫が買い与えたりんごジュースを美味しそうにゴキュゴキュッと飲み干して「ぷはぁーーッ」と満足げなアト坊に向かってもう一度、空を指さしてみせた。

「見て、秋の空だよ。お魚の鱗みたいな雲でしょ。」

「おもしろいねぇーー!」

今度は一緒に空を見上げて笑ってくれた。

 

そうだ、ママチャリがあったら休みの日にちょっと遠くまで散歩に行けるから、知らない新しい景色を一緒に見られるかもしれない。それってとても楽しいよな。アト坊を乗せた私が笑いながら自転車を漕ぐ姿がふわっと浮かんできた。

 

いつの間にか地面に倒れたストライダーをよいせと起こしたアト坊は、再び広場の方に向かってお尻をモリモリさせて走っていった。その後ろ姿を見つめながらポケットから携帯を取り出し、早速、トミカ柄の真っ赤なヘルメットを注文したのだった

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県北九州市生まれ。

幼少期から古本の魅力に取り憑かれて過ごし、大人になってからは大好きな古本漁りの合間に古本にまつわる執 筆活動を行うように。

2024年現在、3歳になる息子にも古本英才教育中。

著書に『古本乙女の日々是口実』(2018)、本エッセイ「子連れ古本者奇譚」に書き下ろしを加え書籍化した『古本乙女、母になる。』(2023)がある(共 に皓星社)。

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