コラム

2024.08.29

コラム

カラサキ・アユミ氏 コラム 子連れ古本者奇譚 第33回「古本バスタイム」

 

「ふあぁぁぁ、極楽ぅ…」

熱々の湯船に全身を伸ばして浸かった瞬間、腹の底から至福の息を吐いた。ジェット風呂なる浴槽に身を沈めて、発射口から勢いよく湧き出るお湯に背中を押し当てる。凝り固まった肩と腰の血の巡りが良くなる感覚が心地良い。レトロとも新しいとも言い難い、中途半端に古い地元の銭湯の湯の中で、久々に純粋に入浴を心の底から楽しんでいる自分がいた。

 

幼児の母親あるあるの代表格のひとつに〝ゆっくり入浴できない〟があげられる。3歳3ヶ月のアト坊はまだまだ果てしなき魔のイヤイヤ期真っ只中で、全ての物事がまずスムーズには運ばない。故にお風呂に入れるのも毎回苦難の連続だ。「さぁお風呂入るよ〜ん!」とハーメルンの笛吹き男然り口笛を吹き踊りながら子供の興味を引きつけどうにか風呂場に誘導した後は「しめた!」とばかりに本人の気が変わらぬうちに服をスパァーン!と高速で脱がせる。

先に子供の体を洗い、湯船に浸からせて遊ばせている間に猛ダッシュで自分を洗いにかかる。髪を洗う瞬間なんかパンクバンドさながらヘドバン風景である。体を洗っている真っ最中に「もう上がりたーい」と言われることもざらで、「ちょっ、ちょっ待てよ!」と泡だらけ状態でキムタクのモノマネを無意識に行なっている。

 

風呂から上がった後は拭く→保湿剤を塗る→服を着せる の3行程を済ませるわけだが、パジャマ姿の湯上がりの子供が走り去った後の脱衣所に残されているのはもはや膝をついた疲労感の塊(半裸の私)である。

日々この連続で、〝魂の洗濯〟どころか〝疲れの浸け置き〟状態が続いていたのだった。

 

久々の銭湯入浴を満喫しているこの日、博多の古書業者市に初めて参加させてもらった私は朝からエンジンが全開になった状態で1日を過ごし、夕方にはクタクタになってしまっていた(肉体だけ。精神はめちゃくちゃ元気なのだが。)。何より日中の異常な暑さ。通常の何倍も疲労感がのしかかってくる。いつまでも気持ちだけは10代の自分だが、やはり確実に体力は落ちてきているんだなぁ…と、肉体労働に励むたびに切なさと筋肉痛が同時に押し寄せきてふんまんやるかたない。

 

振り返れば今年の8月はそんなシーンが実に多かった。

古本屋Sでは本当にいろんな貴重な経験をさせて貰えて店主のYさんが住む方角には恐れ多くて足を向けて眠れぬくらいなのだが、「博多の市会に一緒に行ってみませんか?」と誘っていただいた際には〝無人島で必死に木の枝を使って火起こしに挑戦する人〟と同じくらいの動きで両手を高速で擦り合わせて感謝を表現した。

月に2回、某所で行われているその会にはYさんが毎回単独で仕入れに出向いており、今回初めて同行させてもらうことに。こうして、広島での市会以来、古本屋仕事を始めた私にとって2度目の〝古本勉強会〟の参戦となったのだった。

 

当日はまず時間との戦いからスタートした。なんせ会場のある博多へは遅くとも朝8時半には到着しておかねばならない。地元から出発する本数が少ない電車を乗り過ごしてしまったが最後、間に合わないことが確定する。

朝6時に起きて、寝ぼけ眼のアト坊を抱えて階下に降りる。大人の都合で早起きさせられた子供に申し訳ないと思いつつ、「すまん!母は今日は貴重な古本修行があるけん!耐えとくれ!」と心を決めて朝の支度を手早く済ませて家を出発。もちろん幼稚園までの、日陰が一切ない太陽照りつける30分の道のりは人力(ベビーカー)だ。子供につば広帽と冷え冷えタオルを首に装着させ、自分はアームウォーマーにサンバイザーそしてサングラスに大荷物(子供と自分の分)を抱えて勢い良くベビーカーを滑らせるように走らせる。

滝のように流れる汗を拭いながら心の中で「博多でどんな古本に出会えるのだろう⁉︎」という未知の期待を膨らませ気づけば口笛を吹いている自分がいた。そんな私を見上げながら「ブフーッブブーッ」と唇を窄めて唾を霧のように散布して口笛を真似るアト坊。通勤途中のサラリーマン数人がギョッとしながら我々親子とすれ違っていく。

幼稚園では料金が発生するが事前に申請しておけば朝7時から預かってもらえる早朝保育というシステムがあり、この日初めて利用させてもらったのだが、本当に、この場所がなければ私は母親でありながらこんなに古本屋仕事に全力投球できていなかった!ありがとうございます!と改めて有難い気持ちでいっぱいになったのだった(どうか今日も元気に健やかに園で過ごしておくれ!と心の中で祈りながら子供を送り届けた。)。

 

こうして予定通り在来線と新幹線を無事に乗り継ぎ、市会会場が眼前に確認できた頃には始まってもいないのに達成感に満たされていた。

 

さてこの日の個人的目玉イベントであった博多の業者市なのだが、結論、やはりめちゃくちゃ楽しかった。いうまでもなく、ウキウキはしゃいだ。

以前広島古書組合の業者市に参加させていただいた折も、友人であり仲介役を担ってくれた年下の先輩古本屋から「恥ずかしいからはしゃぐのはおやめください…」とたしなめられたというのに懲りない私であった。

 

とにかく、会場は想像の遥か上をいくアットホームだったのだ。商売仇同士だからこそ火花がバチバチと飛び散る、そこはかとなく緊張感漂う風景を想像していた自分は、古本屋さん同士がこんなに和気藹々としている風景があるんだ!とびっくりしたのだった。広島とはまた違った〝自由で平和〟なオーラが発せられ、個性豊かな店主たちが集結しているにも関わらず新参者でも居心地の良い空気に包まれていた。おかげで、のびのびと大量の古本達を前のめりに覗き込み吟味し入札作業に参加させてもらうことが出来たのだった。

 

ちなみに車から出品する荷物を会場内に運び込む作業があるのだが、そこから既に〝人情味溢れる博多節〟が炸裂していた。

店長のご厚意で連れてきて貰えた分、今日はしっかり働かねばとこの日張り切って作業用のゴム手袋を装着した私が「よいせッ」と自店で出品する古本が入った大きな段ボールを抱えるなり「かぁーーっ!元気やねぇ!!頼もしいねぇ!若さやねぇ!」と超ハイテンションに60代の大御所大先輩(初対面)が満面の笑みでラフに手伝いに来てくださったり。

 

余談だが、その後も何か作業をする度に「無理しちゃダメですよ!」「重たいものは持たなくていいから!はい、貸して!」など、女性が受けられる庇護的なものに縁遠い人生を歩んできた自分にとって「こ、これが…世に聞く女の子扱いってやつですか⁉︎」というささやかな感動も味わえて束の間プリンセスになったような気分になったのだった。博多の商人は、優しい。

入札した札を開く時間も始終笑いが巻き起こって賑やかな時間となった。大きい金額で入札された出品物を出した古本屋さんを皆で囲んで「いいなぁ!」「これで美味しいもの食べに行ったらよか!」と愛情込めて野次る風景もなんとも良かった。

福岡の片隅で、こんな風に古本屋たちが集まって大量の古本を循環させているんだなぁ…と『博多市会観察レポート』なる夏休みの研究に勤しんだ小学生のような満足した気持ちで市会体験を終えたのであった。

 

それにしても疲れた。この疲れを一刻も早く脱ぎ捨てたい。

そうだ、銭湯に行こう。ふと思った。

 

業者市が終わった後はそのまま落札した古本の荷捌きと店番仕事も行ったので、地元に帰り着いたのは夜の8時を回っていた。自宅には戻らず駅からそのまま徒歩30分ほどの場所にある、地元で唯一営業している銭湯に最後の力を振り絞り徒歩で向かう。古本屋Sがある博多のネオン煌めく街からゴーストタウンのように静まり返った地元に戻ってくるたび夢から覚めたような心持ちになり、相変わらずこの落差に慣れていない自分がいる。

それにしても、夢を見ているような古本屋仕事を体験出来ている自分はなんと幸せ者だろうか。

 

私の帰りが遅い日は夫が子供の迎えとその後のルーティーンをこなしてくれるので、すでに子供は寝かしつけをされている頃だろう。その為、いつもは自宅に帰り着いた後は2階の寝室にいる子供に気づかれないように音を立てずに浴室に向かい、息を殺しながらの入浴となる。床のタイルに落ちる水音がなるべく響き渡らないように右腕に力を込めて桶からお湯をゆっくりと頭に注ぐのだ。

 

だが、今日ばかりは気持ちも体も全くリラックスできない入浴時間とはおさらばだ!

 

ようやくたどり着いた銭湯の色褪せた暖簾を勢い良くめくり、番台で購入した牛乳石鹸と貸しタオルを手に脱衣所に入るとお客は誰もおらず自分だけだった。丁寧にゆっくり体を洗う。今宵ばかりは遠慮せず鼻歌を響かせる。

今日という精神的にも肉体的にも濃い1日を振り返りながら、広い浴槽の中で大の字になる。湯気が吸い込まれていく窓の隙間からは満月が見えた。月を眺めるのも久々だった。

古本浴も入浴も両方満喫したこの日に飲んだ風呂上がりのフルーツ牛乳は死ぬほど冷えていて美味しかったのだった。

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県北九州市生まれ。

幼少期から古本の魅力に取り憑かれて過ごし、大人になってからは大好きな古本漁りの合間に古本にまつわる執 筆活動を行うように。

2024年現在、3歳になる息子にも古本英才教育中。

著書に『古本乙女の日々是口実』(2018)、本エッセイ「子連れ古本者奇譚」に書き下ろしを加え書籍化した『古本乙女、母になる。』(2023)がある(共 に皓星社)。

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