2024.05.30
コラム
とうとう息子アト坊がこの5月に3歳を迎えた。
「つい先日生まれたばかりだと思っていたのに…」と過ぎ去った濃い過去と猛スピードで去り行く月日の早さに若干の寂しさを感じながらも、ケーキに刺したロウソクの火を今年は見事に吹き消した息子の成長ぶりを見てしみじみと感動した。
そして誕生日の前日、今春から手伝いを始めた古本屋で親子一緒に短時間ではあるが店番をした。こんな素晴らしき体験に恵まれるなんて夢ではないかと、目に見えない何か神秘的なものに思わず手を合わせたくなった。(何かにつけて拝みたくなる自分である)
それも「子連れ出勤大歓迎です。お子さん、好きに過ごしてもらって大丈夫ですよ」と優しい言葉をかけてくださった店主のYさんのご厚意の賜物なのだが、調子に乗った私は「これは面白いネタになるかも!記念になるし!」と早速実行してみることにしたのだ。こうして、土曜日の出勤日に夫が息子を連れて勤務先の古本屋まで遊びにきてくれることになった。
天気の良い昼下がり、お店のカウンターで慌ただしく作業をしていると外から耳慣れた賑やかな声が聞こえてきた。来た来た、と思わず笑いが込み上げる。
「ママいるかなー」そう喋りながらニマニマ笑みを浮かべて夫と一緒に入店してきた息子は私を発見して喜んだのち、店内をぐるりと歩き回り現場確認をし始めた。幸い、その時間帯に珍しく店内にお客さんはおらず、我が子の初出勤(?)の様子をじっくり眺めることが出来た。
「あのねーパパとおうどん食べたのー」と得意げに話しながら駆け寄ってきたアト坊からは出汁の匂いが香った。店の近所には子連れには嬉しい座敷席がある食事処が複数あって大変助かる。この日は数軒隣にある美味しいと評判のうどん屋で昼ごはんを済ませてきたようだった。夫は近所を散歩してくることになり、そのタイミングでお客さんの流れがドドドドと増え始めたので慌てて子供と一緒にカウンター裏に移動した。品出し前の本の山や什器や備品を興味津々に観察していたアト坊は、やがて隅に置いていた私のお昼ご飯のメロンパンをめざとく発見するなり「これ食べたいなー!アトくん食べよーっと!」と袋をむんずと握り締めた。「おいおい、キミさっきご飯食べてきたんやないんかい」とツッコミを入れるも、世界は自分を中心に回ってる思考の3歳児の耳には一切届かない。この状況で泣いたり騒がれたりしたら大変だ。本人のしたいようにさせるしかない…。
仕方なくカウンターの椅子に腰掛けさせ、パンの包みを開けて手渡すと大人しく食べ始めた。あぁ…私の昼ごはんが…。美味しそうにパンにハムハムと齧り付くアト坊を横目に見ながら空腹を我慢して作業を続けていると、やがてお客さんが会計にやってきた。穏やかな雰囲気の女性は最初カウンターに肘をついてパンを頬張っている童の姿を見て驚きの表情を浮かべたのち、微笑みを向けてくださった。
お客「あらま〜!可愛い店員さんですね。笑」
私「すみません、こんな場所で食べさせて…(照)800円になります。」
お客「はい、これ(お金を差し出しながら)。おいくつですか?」
私「3歳になります。ほら、アト君、ありがとうございましたは?」
子「あーとーましたー」(口の中いっぱいにパンを頬張りながら)
お客「ふふふ。ありがとう。」
私「へへ…へへへへ」
その後も、こうした理解あるお客さん達のお陰でアト坊が滞在した2時間弱、優しい時間が流れた。
アト坊が眠そうになったタイミングを見計らって夫に連れて帰ってもらった後、雑務をこなしながらカウンターでしみじみと新たな世界に飛び込んだこの目まぐるしい1ヶ月間を改めて振り返った。
それにしても、この古本屋Sは「古本屋ってこんなんだっけ⁉︎」と驚きと発見の連続の場で、今月で開店して丁度1ヶ月が経つが、有難いことに未だにのんびりする暇もないくらい忙しい。
毎日入荷する古本達の整理や品出し、棚のレイアウト替えやポップ作り、そして途切れることなく来店されるお客様への対応etc…
とにかく時間があっという間に過ぎるほどやることが盛り沢山で大変だが、それがまたこの上なく楽しい。そして全く飽きない。あぁ自分は古本が本当に好きなのだな、と再確認の連続だ。
ネット全盛期の現代、このように人と物を繋ぐリアルな場所があるということの大切さや面白さ、人が本を買うという行為はロマンとドラマが詰まっていることを日々教えてもらっている。
店舗がある博多から自宅のある北九州までは特急を乗り継いで約1時間半の時間を要する。遠距離通勤が故に、平日は子供が急に体調を崩したり怪我をしたりでもして園から連絡がかかってきたらどうしようと内心ドキドキしながら毎回店に立っている。
子育てが始まって以来の3年間、子供が関わる物事に対して〝絶対〟という概念を持つなかれという思考が定着するようになった。常に想定外のことが起こるという前提で生きるようになり、何かあった時の対応策をプランAからCまで練っておかないと安心できないようになってしまった。
絶対大丈夫という、そんなもの人生に存在しないのだ。不測の事態というものに慣れざるをえないのも母親の宿命なのかもしれない。でもそんな緊張感を抱えてでも、母親という立場であっても私は自分がやりたいことは可能な限り我慢せずに体験したりワクワクしたりしてみたい。
そんな思いで歩いてきた子育てライフだが、「古本屋で勤務」という貴重な体験を与えてもらったことにより、人生には〝幸福の不測パターン〟も十分にあり得ることを実際に体感できたのが何より嬉しかった。
アト坊と店番をしたこの日は〝絶対子供と一緒に古本屋で働くことは出来ない〟というこれまで私の頭の中で作り上げられていた概念が崩れた記念すべき日になったのだった。
そんな心持ちだからか店番中は子連れのお客さんが来店されると、ついつい熱い視線がいってしまう現在だ。「同志のご来店!」と心の中で小さく叫ぶ私。ここ古本屋Sは老若男女様々なお客さんが来店されるお店なのだが、子連れのお客さんも意外と多い。自分にとってそれはまさしく新鮮な風景で、お店の人間としてでなければ出会えない場面にたくさん巡り会えることができた。
抱っこ紐にまだふにゃふにゃの赤ちゃんと3歳と5歳くらいの男の子を連れたお父さんがご来店された時は会計時に思わず労いの声をかけてしまった。
「いやぁ、今日は奥さんが美容院に行ってるので。でも子供達の好きな本がそれぞれ見つかったので、午後はラクショーです!笑」と汗だくになりながらも笑顔で話して下さったお父さん。
「さ、絵本は帰ってからお家で読もうね。パパがうどん作るから一緒に食べようね〜」と言いながらわんぱく盛りの子供達の手を繋いで歩いていく後ろ姿には元気を分けてもらった。
また、別の日にアト坊より少し月齢が上の女の子を連れたお母さんが来店された時もついお節介が発動してしまった。女の子が退屈そうにして今にもぐずり出しそうな様子を始終気にしながら漁書に励んでいるお母さんの様子が目に入り、つい助太刀の声をかけてしまったのだ。ディスプレイに使っていたスツールに女の子を座らせて飛びだす絵本を読んであげている間に、お母さんに自由に店内を回遊してもらった。「こんなにゆっくり本選べたの、久々です。」と満面の笑みでお目当ての本をレジに持ってきて下さったお母さんの表情を見た瞬間、疲れが一瞬にして吹き飛んだのだった。
こんな風に、数えきれないほどのエピソードが私の胸に日々蓄積されていく。
(そして何より、小さな子供が棚を凝視して本を一生懸命探したり、気になった本を前のめりになって眺めていたりする姿の可愛らしさたるや。そんなシーンを目撃する度に堪らなく愛おしい感情が込み上げてくる。来てくれてありがとう、と心の声でそっと彼らに声をかけるのだ。)
これまでは自分自身が古本を買う行為に対する目線しか持ち合わせていなかった私だが、誰かが古本を買う行為を間近で観察する機会を得ることで、これからは今までとは一味違った視点で更に古本世界を楽しんでいけそうだ。
アト坊が小学生になった頃、カウンター裏で夏休みの宿題に励む姿を隣で監督しながら古本の品出し作業をする光景なんて思い浮かべてはムフフとほくそ笑んで、今日も古本屋のカウンターで黙々と作業に励んでいる。
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カラサキ・アユミ
1988年福岡県北九州市生まれ。
幼少期から古本の魅力に取り憑かれて過ごし、大人になってからは大好きな古本漁りの合間に古本にまつわる執 筆活動を行うように。
2024年現在、3歳になる息子にも古本英才教育中。
著書に『古本乙女の日々是口実』(2018)、本エッセイ「子連れ古本者奇譚」に書き下ろしを加え書籍化した『古本乙女、母になる。』(2023)がある(共 に皓星社)。
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