コラム

2024.04.26

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カラサキ・アユミ氏 コラム 子連れ古本者奇譚 第29回「ますます頭の中は古本のことばかり」

のっけから唐突に質問で始まってしまい恐縮なのだが、VMDという単語を聞いたことがある人、もしくは一体何を意味するのかご存知の方はこの連載の読者の中にどれぐらいおられるだろうか。恐らく、大多数の人々にとって聞き慣れない単語ではあるのは間違いないと思う。

 

VMDとはアパレル業界でよく使われる用語で、「ビジュアル・マーチャンダイジング」の略だ。簡単に説明すると、お店に並べる商品をお客様にいかに魅力的に見せるかを考えながら売り場作りを行うこと…といった感じで想像してもらうと何となく伝わるだろうか。

 

私は昔からこのVMDという作業に対して憧れと劣等感が入り混じった複雑な感情を抱いていた。そしてこの思い入れのある単語は今まさに私の日常に密接に浮遊している状態なのである。

 

 

話は遡り、古着を中心に扱うリサイクルショップでアルバイトをしていた学生時代。田舎とは言え、この店は毎日老若男女問わず来店客で賑わっている店舗だった。毎週、店内に並ぶ古着をピックアップして〝スタッフイチオシコーディネート〟を女性客に向けてマネキンに着せて展開する企画があり、それを行うのは主にベテランのスタッフで、紛れもなくVMDの作業の一部であり、この3文字の英字の組み合わせを初めて知ったのもこの時だった。

 

ある日「カラサキさん、試しに今週のボディやってみる?」と気まぐれに店長に言われた時、私は「やらせてください!」と鼻息荒く答えた。まぁ私のセンス、見ててくださいよ!と言わんばかりの自信に満ち溢れながら店内から商品を選び、渾身のコーディネートを組んだ。嬉々としてマネキンに服を着せながらVMDに紛れもない憧れの念を抱いていた自分に気づいた。

 

だが蓋を開けてみればどうだろう、自分の〝見て見て!これ素敵でしょ!〟を詰め込んだコーディネートは全くお客さんからの反応が得られず、微動だにせぬまま翌週を待たずして脱がされる結果となったのだった。これ以降も何度かこの企画に挑戦させてもらったものの見事全戦惨敗を打ち出した私は敗北感と〝自分の世界が他人から受け入れてもられない〟トラウマですっかりモチベーションが下がってしまったのだった。

 

対してパートで働いていた先輩スタッフのTさん(当時30代、小学生男児を二人育てるお母さん)が着せた洋服は瞬殺だった。Tさんの作ったコーディネートは着せた先からお客さんの目に留まり、脱がされレジへと直行していくのである。マネキンに着せられた服はどれもある種の特徴があった。体型カバーを考慮したふんわり丈長のデザイン、お洒落に見栄えするアースカラーの組み合わせ。それは自分だったら絶対に浮かばないし着ないファッションだった。が、それはまさにお店の客層の大多数を占める40代から60代の女性客に好感が得られるコーディネートであると同時に、絶妙に〝一般ウケする格好〟だったのである。

 

そう、私の作るコーディネートは毎回個性が強かったのだ。柄に柄を重ねたり、パンチの効いた原色の組み合わせにしたり、デザイン性の強いアイテムを着せたり、まさに私という人間の〝我〟と〝個〟だけを練り合わせたような代物だった。目立ちはしても「あ、これ着たいかも。試着してみようかな。」なんて気持ちになるお客さんがいないのは明白だった。このアルバイト先での出来事は、大多数の人達から共感を得られる目線や感覚を持ち合わせていない自分にVMDの素質は無い!と烙印を押されたようなほろ苦い体験となったのだった。

 

 

そんな体験から間も無く、母校の高校で卒業生が在校生に自分の大学受験に至るまでの体験談を話したり在校生から進路相談を受けたりする機会を設けたい、と元担任から依頼を受けた。大学3年生の夏休みに久しぶりに母校の門をくぐった。教室に入ると自分の他に数人、同じ依頼を受けた懐かしい元クラスメイトの顔が並んでいた。教室には30数人の女子生徒が興味津々に我々OBを見据えていた。一人15分ずつ個人的な体験談を話し、その後個別の進路相談を受ける為に我々OB達は指定の席に散らばるように着席した。

「それでは皆さん、各自気になった先輩のところに行って談話しましょう。」と先生の指示に従いガタガタと席を立ち始める女子生徒達。

 

私のブースには誰一人進路相談に聞きに来る学生はいなかった。誰一人も、である。誰も座る気配のない目の前の椅子を空虚に眺める時間が続いた。色んな質問に答えられるようにあらかじめ回答を記入して準備していた力作のノートを手持ち無沙汰にペラっペラっとめくって虚しさを誤魔化そうとする私に、元担任が気の毒そうな顔で「どうだ、カラサキ、大学生活は。楽しいか?」と明らかに気を遣いながら話しかけてきたあの時の気まずさは未だに覚えている。

 

周囲からからキャッキャと賑やかな声が聞こえてきては左右をチラ見する。

 

家政科に進学した元クラスメイト(黒髪ロングの美人)が「先輩は彼氏いるんですかぁ?」「大学って結構出会いとかありますぅ?」という思春期真っ只中の女子高生らの浮ついた質問責めに一生懸命丁寧に真面目に対応していた。「えっと…彼氏はいるけど、やっぱり大学で自分の好きな分野の勉強をすることはすごい楽しいよ。」と進路相談に方向転換を試みるも「えーいいなぁーうちらも彼氏欲しいぃ〜」とリア充なる世界を望む声に押されていた。

 

大学で考古学を専攻する(ニッチな学科)見るからにマニアックな空気を醸す自分(当時クルクルパーマにアロハシャツ)に、10代の女子高校生達から一般的な親近感をわかせるような要素は全くないのだということをこの日痛感させられたのだった。

 

 

とにかく、何が言いたいかというと、自分はこれまで「万人受け」「一般的」というフレーズとは無縁な人生を歩んできたのである。〝私の感覚って、多分マイノリティだからさ〟というフレーズを誇らしげに言い放つことで世間における一般ウケが何かわからないことに諦めの印を押し、又同時にそれは自分には当てはまることがないという微かな寂しさを誤魔化してきたのである。

 

 

さて、今回なぜこのような思い出を振り返っているのかというと、この4月から長年の趣味仲間である知人がオープンする古本屋のVMDを担当することになったからだ。こんな自分が声を高らかにしてこの台詞を放つ日が来るとは夢にも思って見なかった。「わたくし、古本屋のブイエムディーやってます!」と。

 

「店内の仕様はカラサキさんに任せます。好きにやっちゃってください!」の言葉に突き動かされ、万人受けとは?売れる方向とは?そんなの知ったこっちゃない。自分が〝好きだ素敵だ響け!〟と思うジャンルの古本達を思いっきり前のめりに打ち出し展開し、好き勝手に店内をいじらせていただいた。お陰で以前から抱いていた劣等感のようなものが吹っ切れた気がした。35歳にしてやっと青春時代から抱えていた小さなコンプレックスから解き放たれたのである。楽しかった。ひたすら好きな世界を自らの手で構築し表現していくVMD作業はとてつもなく快感だった。

 

とは言え、どんな情熱があってもこだわりがあってもやはり商売は商売、商品が売れなければ意味が無い。古本の世界は自由だからこそお客さんからどんな反応が得られるかはオープンしてからじゃないと予想もつかないので、やはりドキドキしている。果たして自分が作った世界はお客さんに受け入れてもらえるのだろうか。願わくば、今回この貴重な体験をさせてくださっている店長であり友人であるYさんに喜んでもらえる結果に少しでも繋がりますように…。

 

 

親子3人(と猫一匹)と川の字になって布団に横たわる深夜3時頃。

 

両隣で眠るアト坊と夫の寝息を聞きながら頭の中で「あの本はお客さんに見やすいようにあの棚に配置しようか…あのコーナーは雑誌でまとめた方が面白いかな」とひたすら陳列する古本のことばかり考える自分がいる。

 

ちなみに、自分が住まう北九州の街からお店がある博多までは遠距離通勤なので出勤する日は丸々一日子供と離れて過ごす。だが、そこに不安はほとんどない。

 

古本屋仕事の話をいただいた時期に、アト坊に「何が一番美味しい?何が食べたい?」と尋ねたことがあった。すると満面の笑みで「パパの作ったチャーハンが食べたい。パパの作ったチャーハンが一番好きー」と言われたのである。シュワシュワと力が抜いていくのがわかった。「そ、そっかぁ…」

 

だが、その息子の言葉のお陰で私は迷いを吹っ切ることができた。パパ(夫)との絆がしっかりあるからママ(私)の不在が時にあっても大丈夫!という気持ちになれたのだ。

 

そんなわけで「じゃあ、ママは古本屋アルバイト行ってくるね!」と夫と息子に手を振り勢い良く自宅を飛び出し、もうじきオープン日を迎える都会の古本屋へ開店準備に通う週末を送っている現在だ。

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県北九州市生まれ。

幼少期から古本の魅力に取り憑かれて過ごし、大人になってからは大好きな古本漁りの合間に古本にまつわる執 筆活動を行うように。

2024年現在、3歳になる息子にも古本英才教育中。

著書に『古本乙女の日々是口実』(2018)、本エッセイ「子連れ古本者奇譚」に書き下ろしを加え書籍化した『古本乙女、母になる。』(2023)がある(共 に皓星社)。

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