コラム

2024.01.31

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カラサキ・アユミ氏 コラム 子連れ古本者奇譚 第26回「古本家計簿の誕生秘話」

買ってしまった。またしても買ってしまった!

ここ最近、ネットでの古本衝動買いが極端に多くなった。昨年は書籍刊行に伴い作業に集中する為にしばらく古本買いをセーブしていた反動だろうか、ひと段落した年明けから古本欲が買っても買っても止まらないのだ。古本だけでなく新刊本を買う手もブレーキが効かない事態になっている。今月はここまで!という古本に投資して良いとする自分で作ったボーダーラインも軽く超えてしまっている。由々しきことだ。

「欲しい?我慢なんてよくないぜ。毎日頑張ってるんだから!ご褒美に買っちゃえ買っちゃえ!」

そんな脳内で都合よく育成されたイマジナリーフレンドの声が無責任に私の背中を押してくるのである。

こうして大散財するたびに、束の間の幸福感を味わった後、セットで凄まじい罪悪感がザザザザと波のようにやってきて我が身を襲うようになっているのは言うまでも無い。

これからの未来を担う幼子を育てている立場であるにも関わらず、また来る自らの老後のことも考えず、ろくに貯金もせずに今日も私は腹の足しにも生活の足しにもならない古めいた本達をそこそこの金額を詰んで買ってしまっているのである。己の欲求を満たす為に購入ボタンを押す指には恐ろしいくらい迷いがない。

夫なんぞ欲しいもの(服や嗜好品など)があっても数週間から1ヶ月ほど思案して、冷静に手に入れるべきかを見極めてから財布の紐を解くタイプなので、そんな夫の様子を横目に見ながら続々と日々郵便ポストに届く古本が入った紙封筒を嬉々として受け取っている自分の姿はまさに〝大人気ない〟のフレーズがしっくりくるだろう。

毎回買った後にハッと正気に戻るのはなぜか。来月の引き落とし日、自分の通帳や財布の中身を見て愕然としているであろう自分の姿を思い浮かべる。

誰か私の欲望を止めてくれ…狭いリビングの天井を仰いでそう呟くのであった。

だが、「もう勢いで買っちゃダメだ!いい加減に大人になるんだ私!節制、節制、せっせらーせらァァァァァァ!!!!」そんな風に自分を戒めて一夜明けるも、何事もなくまた同じ過ち(?)を繰り返し再びふりだしに戻るという日常を送っている。

息子が100円均一の簡素な作りのプラスチックの車のおもちゃで楽しそうに遊んでいるのを見ると、「私がこの古本一冊を買うのを我慢したらトイザらスに並んでいるような音が鳴ってピカピカ光る本格的な自動車の車を買ってあげられたのに…くっ…すまん!母を許しとくれ!」と切ない気持ちになるのであった。

こうした罪悪感込みで勢いで手に入れた明治時代の資料は、我が子が「わぁっこんな本があるんだ!僕読みたい!」と目を輝かせて手に取る確率は流石に低そうだ。「子供がいつか興味を持つかもしれないから!」という免罪符が効力を発揮しない古本買いが最近実に多い。

 

そんな重度の古本病患者である私は最近、自分を少しでも律する為のある方法を見つけた。

それは他人の家計簿を眺める、という行為だ。

家計簿。そのネーミングからして耳を塞ぎたくなる存在に聞こえるのは私だけだろうか。

最近は携帯のアプリで同様の機能のものがあったりして手軽に管理できるツールがあるから、案外つけている人は結構多いのかもしれない。

私は古本も好きだが、同じくらい紙ものにも目がなく、特に日記帳やスクラップブックといった人の痕跡が残る記録物をこれまでも古本屋や骨董市でたまに見かけては嬉々として購入している。人からするとただのゴミのような存在だろうが、これが実に読み物としても面白いのだ。

昭和時代の見知らぬ奥様の手により書き綴られた古色蒼然たる家計簿に関してはもう何冊集めただろうか。一冊一冊に個性がありドラマがあり、物語が詰まっているのだ。買ったままろくに開きもせずに所有した満足感だけ味わって放置していたこれらの家計簿たちを久々に引っ張り出して改めて眺めてみたところ、もうこれが自己愛に陶酔し腐敗した今の私にすごい効力を発揮してくれたのであった。

日記帳は3日と続かず、家計簿なんてもってのほかの飽き性な私は、家計簿や日記帳に関しては自分で書くよりも他人様が書いたものを読むほうが圧倒的に性に合っているらしい。

つい最近入手した昭和34年の家計簿はとりわけ私の罪悪感をレベルアップさせる代物だった。もうすごいのだ。何がすごいかというと「徹底的なお金のコントロール姿勢」がそこに表れていたのだ。

関西在住の造船所に勤める夫と小学生の子供二人を持つ主婦(ここでは仮にAさんと呼ぼう)によるA4サイズのこの家計簿、支出の詳細を示す番号が振り分けられているタイプなのだが、

1は税金、2〜4は食事(主食、副食、調味料とご丁寧に区分けされている)、5は嗜好品、6は住居・光熱費、7は被服、8は保健衛生、9は教育、10は教養娯楽、11は交際費…といった感じで大変細かく分類して記入するような形式になっているのが面白い。

毎日の出来事や食事の記録はもちろん、愛犬の薬からチュウインガムといった何に幾ら使ったかがとにかく事細かに記載されている。

 

〝○月○日、淳一(小学生の息子の氏名)誕生日、おじいちゃんよりお祝い1,000円もらう。入金。夫、帰り遅い。夕食はビフテキ。〈以下購入品目の詳細値段記入〉えび、じゃこ、ハム、こんにゃく購入。〟

 

文章にするとあまりにシンプルで微妙なニュアンスが伝わりにくく実物をお見せできないのが非常に悔しいのだが、Aさんの一円単位で細かく毎日の支出を管理している(そして毎月の予算決算と貯金額までびっしり記入されている!)その姿勢に、自分には持ち合わせていない責任感と意志の強さをヒシヒシと感じたのである。そして恐らくこのAさん、書いている内容から察するに私と同世代で30代半ば。同じくらいの年齢で(もしかしたらずっと若いかもしれない)子供と夫、そして親族のことや家のことを金銭面も含めて立派に管理している同じ母親という立場の存在が今の自分にはあまりに眩しく映った。

時代が変わっても世間一般では家計簿を司る世の母親・妻たちのスピリットは変わらず一緒なのだろう。経済概念においては確実に〝普通の感覚〟を持ち合わせていない私には己の甘ちゃんぶりに張り手を食らわせてくれたような、近所に住む先輩お母さんが「あんた!目を覚ましなさい!母親でしょうが!現実を見据えてしっかりしなさい!」と肩を掴んで揺り動かしてくれたような、そんな衝撃を受けた一冊だった。

財布にあったらあった分、綺麗に使い切ってしまうザル勘定の私が家計簿をつけたらほとんどが5か10に該当する使い道に偏った凄まじい数字を叩き出す上に、毎月大赤字の決算しか出せないに違いない。

上手にやりくりして一家の家計を切り盛りする、母として妻としてお手本のような、もしくは証明書のようなこの家計簿を眺めていると「あぁ私ってなんてダメな人間だ…このままではあかん…ちゃんとしなくちゃ…」と反省の気持ちに浸るのであった。

 

そんなわけで、この眩し過ぎて眼球と理性が痛くなる家計簿はいつも作業する机の上に表彰状のように立てかけて飾っている。まだ飾り始めて1週間だが着実に効果を発揮している。(と、思いたい。)

欲望に理性が負けそうになった時に携帯の画面を閉じて、この家計簿と対峙する私を想像してみて欲しい。そして、そんな母の膝の上によじ登ろうとするアト坊の無邪気な姿もセットで思い浮かべて欲しい。

世の家族持ちの古本愛好家の方々と座談会があればお金を払ってでも参加したいと切実に思う。どうやって己の欲望と戦っているのか、どうやってセーブしたりどんな塩梅で古本に金銭を投資したりしているのか、先人の悲喜交々の体験談を是非伺ってみたいものだ。

これを機に古本をどんな風にどんな状況で何円で購入したかの記録を生々しく書き残しておこうと一冊の真新しい家計簿を先日購入した。古本家計簿の誕生である。

この古本家計簿をつけることによってどんな効力を発揮するか一度試してみようと思う。もし新たな発見に巡り会えたら是非この連載で綴らせてもらいたい。

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県北九州市生まれ。

幼少期から古本の魅力に取り憑かれて過ごし、大人になってからは大好きな古本漁りの合間に古本にまつわる執 筆活動を行うように。

2024年現在、3歳になる息子にも古本英才教育中。

著書に『古本乙女の日々是口実』(2018)、本エッセイ「子連れ古本者奇譚」に書き下ろしを加え書籍化した『古本乙女、母になる。』(2023)がある(共 に皓星社)。

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