コラム

2023.11.28

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カラサキ・アユミ氏 コラム 子連れ古本者奇譚 第24回「除籍本を巡る熱き戦い」

 

「いや、だからね、ワシらが言いたいことは、つまり、たった数十秒の差で欲しい本が手に入らないことがあるってことなんだよ!」

早朝の、まだ開館していない市立図書館の入り口前、物々しい空気がその場を取り巻いていた。

80代の老紳士を始めとした数名の人々、そして図書館スタッフの女性、険しい表情の両者の間に入ってオロオロと立つ私の姿がそこにあった。

 

時は遡ること約2時間前、この日、数年に一度図書館で開催される大ブックリサイクル(除籍本を無料配布するイベント)があるので、夫に息子を託して朝早くに身支度を済ませて現地に向かった。参加権でもある整理券を確保する為だ。

図書館の前に到着したのは7時ジャスト。整理券の配布は9時からだが、すでに同じ目的の人々が先着していた。戦いは既に始まっていた。

最後尾に並ぶ。私は4番目だった。先頭に並ぶのは80代頃の老紳士、小学生の男の子とそのお母さん。先頭の男性が携帯電話で誰かと話す雑談から察するに6時にはここに並んでいたらしい。

読みかけの文庫本を鞄から取り出し、先ほど自販機で買った缶コーヒーを飲みながらページをめくり待機時間を過ごした。

 

実は前回、このブックリサイクルの存在を知って初めて参戦した数年前に私は辛酸を舐めている。

9時に配布される整理券を求めてのこのこ5分前に到着したのが大失敗、100名以上の長蛇の列を目にして「完全にこのイベントを舐めていた自分」に反省したのであった。

結果、私が受け取った整理番号は100番台。

午後の入場回まで5時間以上待たねばならないことになった。

無料で本がゲットできるのである。そりゃ皆こぞってやって来るに決まっているではないか。己のリサーチ不足と気合の足りなさに、戦う前に負けたような気持ちになってしまったのであった。

 

このブックリサイクルで配布される整理券にはナンバーが記載されており、人数ごとに区切られ指定された各時間帯に入場するシステムになっている。制限時間は40分、持ち帰れる本は20冊までといった決まりが設けられている。

つまり、先着30名が一番最初の10時の回、次の30名が11時から、次の30名が12時から…という具合に入れ替え制になっている。

各時間、本の補充が行われるといえども、やはり数時間も待たない状態で本の選別に勤しむことができる朝10時の回に参戦するのが気力も体力も満タンで最も望ましい。

 

と、いう前回身をもって得たリサーチにより今回先着30名の中に滑り込んだ私は朝一番の入場権利を無事に獲得することができた。

さて、入場開始まで30分以上あるな…近くの公園のベンチで文庫本の続きでも読むかと一旦図書館から立ち去ろうとした時だった。

 

「それはおかしいじゃないか!」

「いぇ、だから今回はそんな決まりはないんです!」

 

言い争いの声が聞こえて思わず足を止める。

 

どうしたどうした、と野次馬根性で声が聞こえる方へと近づくと、先ほど先頭に並んでいた老紳士や私の前に並んでいた小学生の男の子とお母さんが整理券を握りしめながら図書館スタッフの女性に何やら物申している光景があった。

どうやら、順番を巡る諍いが起きているようだった。

 

〝最初の回の整理券を持っている30名は、10時に入場できるが、入室する順番は整理券番号と関係ない〟

この事実にそこにいる全員が憤っているようだった。

 

「毎回、ワシはこの催しの朝一番に参加しているが、前回は10時の入場も整理券番号に記載されている順番順だった!」

「前回のことは分かりかねます!今回はそのような決まりは設けてません!」

「じゃあ、ワシが朝6時から並んで手に入れたこのNo.1と書かれた整理券を持っていても、リサイクル会場の扉の前にNo.30の整理券を持った人間が先に並んでいたらそいつを先に入場させるということかね?開場する10時まで扉の前にまた一番目指して並ばないといけないというのはおかしい話じゃないかね?」

「そうなりますが、そんな滅多なことは起こらないと思いますよ。」

 

リサイクルイベントの会場となる場所は整理券が配布された場所から少し離れた、図書館の中にある別室で開催される。その近くに会場入り口がある。

 

「とりあえず、万が一並んでいる人がもういるかもしれないですし、会場前の入り口に移動してお話しされるのはどうでしょう。」

見かねた私が間にはいって促し、その一行に同伴することになった。

老紳士に共感する気持ちが強かったからというのもある。

 

そして、危惧していることは現実となっていた。

その会場入り口の前には杖をついたお婆さんが一人、既に張り付くようにして立っていたのである。

お婆さんに事情を話すと「整理券の番号は関係ないと係の人に言われた。10時になったら一番に入室するのはこの私。だからここはどかないよ。」とけんもほろろな返答。

おまけにこのお婆さんが手に握っていたのはよりにもよってNo.29と印字された整理券であった…。先頭の老紳士が早朝6時に並んでいたのに対して、お婆さんが並んだのは8時過ぎだそうだ。

つい先程まで議論していた、イレギュラーな案件が起こってしまったのである。

 

「ほら、こんなことになるでしょうが!ワシがこの人よりも2時間早く並んでいた意味がないじゃないか!」たまらず老紳士が声を荒げた。

「ですが…本を選んでもらう時間は40分あるわけですし、この方の後に入室されても問題ないと思いますよ。」

呆れた表情の図書館スタッフさんが放った反論に思わず「あぁ、違うんだよ、そういう問題じゃないんだよ…。」と心の中で呟いた私であった。

 

「一番最初に並んでいたのに、なぜ最初に入場して本を見ることができない。おかしいでしょ。なんでワシよりずっと後に来た人が先に入れるんだ。」もう老紳士の怒りは頂点に達していた。

「この方が言うように整理券に記載されている番号順に入室するよう係の方が誘導してくださったら解決するんじゃないですか。この子だって朝早くに頑張って並んだんですよ。」小学生の男の子とその母親も老紳士のアシストに入る。

「急に言われてもそんな決まりは作れません!」ムキになってそう答える図書館スタッフの女性の顔はすっかり真っ赤になっていた。

「アタシはここをどかない。」と依然、頑ななお婆さん。

 

それぞれの意見が平行線で、全く埒があかず、議論だけが白熱していく。

 

やがて、すがるような目つきで図書館スタッフさんが静観している私を見つめてきた。

先ほどからちょこちょこ間に入っては双方の事情を整理して説明する行為を良かれと思ってやっていた私に対して「あなたは多分この中で一番冷静で話が分かりそうですから、なんとかこの場を落ち着かせてください。ね、ね?」と言わんばかりの眼差しを注いでくる。

本好きの執念、ここでは古本好きの執念と言う方が正しいだろうが、私自身もいち古本者として彼らの気持ちは痛いほどわかる。

古本漁りにおいて、ほんの数秒の差が命取りであるというのは大袈裟なようでいて実は事実なのである。

一方、一般の人々には彼らのこの心理が理解できないのも重々わかる。

この図書館スッタフさんのように「たかが本のことで何を必死に熱くなっているんだ…」となるのもわかるのだが…。

 

自分が仲裁に入った結果、図書館側は一切関知しないという名目で、並ぶ人達同士で良心のもと各自で順番のやりとりをする、という結論で両者が納得するに至ったのだった。

「今回は関与しませんが、次回のイベント開催に向けて今回の件は参考にさせていただきます。」と話す図書館スタッフの女性はどこか腑に落ちなさそうな表情を見せていたが、この場が収まって安堵しているようだった。

そして、29番のお婆ちゃんには100歩譲って4番目の私の前に並んでもらうということで何とか収まることになった。除籍本での掘り出し物にそこまで期待をしていなかった私は快く彼女に順番を譲ることにした。

こうしてネゴシエーター役をまっとうした私は、すっかり疲弊してしまったのであった。

 

その後40分間の除籍本選別を終えた私の手には18冊の本が抱き抱えられていた。

本が無料で沢山手に入る、こんな滅多にない素敵なイベント、確かに熱くなるよ、必死になるよ、そんなふうに思いながら会場を後にしようとすると、先ほどの図書館スタッフの女性が「やれやれ…」と疲弊した表情で次の回の列を誘導している姿が目に入った。お疲れ様です…と静かに念を送った。

 

夫から迎えにきたという着信があり、図書館の外に出ると、私の姿を見つけたアト坊が猛ダッシュで駆け寄ってきた。夫は私が提げるエコバッグのパンパン具合にギョッとしていた。

「アト坊が好きそうな絵本もあったよ。ほら。」と袋から数冊の絵本を取り出し見せると「うわぁーーっ」と目を見開きながらそれらをガバッと受け取ったアト坊はすぐさまその場で開き始めた。

やがて図書館からゾロゾロと戦利品(除籍本)を抱えた人々が出てきて散らばっていく姿が目に入った。

さっきまで殺気迫る表情だったお爺さんやお婆さん、小学生の男の子もその群れの中にいた。みんなすっかりニコニコ顔である。その様子を見て笑いが込み上げてきた私であった。

 

今日の彼らの必死なやりとりは、はたから見ると滑稽にも見えるかもしれないが、古本(ここでは除籍本も含む)を愛するが故に発生した行為なのだ。

図書館での役目を果たし廃棄を待つはずだった除籍本達が、このように古本者達の気持ちを狂おしく揺さぶり、人間同士に生命力溢れる展開を繰り広げさせる存在になるなんて…!この日まで私は思いもしなかった。

そして思いがけず、自分の他にもそんな風に古本に一喜一憂する仲間がいることを知ってとても嬉しくなったのであった。

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県生まれ。海と山に囲まれた地方都市在住。

幼少期からとにかく古本の事で頭が一杯な日々を過ごす。

肩書きの無い古本愛好者。友人は少ないが古本は沢山持っている。

大学卒業後はアパレル店員から老舗喫茶店のウェイトレスを経て、以降は古本にまつわる執筆活動等をしながら古本街道まっしぐらの自由気ままな生活を送っている。

(※2021年に第一子誕生、現在は子育てに奮闘中!)

著書に、古本漁りにまつわる四コマ漫画とエッセイを収録した『古本乙女の日々是口実』(皓星社)がある。

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