2023.09.27
コラム
〝東京には絶対に住みたくない!!!〟
先日、所用で久々に一人で上京する機会があったのだが、以前から抱いているこの気持ちはやはり揺るがないことを今回の旅でも確信した。
人混みが嫌いだとか、忙しない空気が落ち着かないだとか挙げられる理由は一切そんなものではない。
私のような欲の塊人間がこの場所に住み着いたら最後、己の欲望に抗えず身を破滅させてしまう様子が容易に目に浮かぶからだ。お金と時間を古本にいくらでも溶かしてしまえる、それほど誘惑と魅力と豊かさが常に溢れている東京には絶対に住みたくないのである。正しくは〝住んではならない〟と書くべきだろうが、ここでは自分に暗示をかける意味を込めて敢えて〝住みたくない〟と綴った。
時は遡り東京に向かうことになった金曜日の夕方、子供を風呂にいれて一息つく暇もなく晩ごはんの支度に取り掛かりながら、久しぶりの単独での小旅行に胸を躍らせる自分がいた。やがて仕事を終えた夫が帰宅、簡単に二日間の段取りを伝え、子供が晩ごはんのハンバーグに夢中になっている隙をみて悟られぬようソッと玄関の扉を開けて自宅を後にした。少しでも滞在時間を増やしたいが為に前日入りすべくこの日は最終の新幹線で東京に向かうことにしたのだ。
家を出る間際、ドアの隙間越しにアイコンタクトを取った夫の隣で、何も知らずにおにぎりをパクつくアト坊の横顔をみてキュッと胸が疼いた。
こうして慌ただしく旅はスタートした。
四時間半の長旅を経て到着した東京は運悪く土砂降りの大雨で、やむを得ず宿までタクシーを利用したのだが、まず1メーターあたりの料金の安さに驚いてしまった。なんたって私が住む地方より200円も安いのである。電車やバスも本数が凄まじく多い上に路線も多い、もちろん運賃だって私が住む地方よりウンと安い。さすが東京だ…と唸った。
翌日の土曜日、所用を予定よりもかなり早い段階で済ませることができ、時間がぽっかり空いた。途端に私の体が何かに引っ張られるように動き出した。地下鉄を乗り換えていつの間にか行き着いた先は本の街、神保町だった。頭の片隅にあった東京古書会館での古本催事の存在が私の潜在意識を突き動かしたのだろうか。
それにしても神保町はいつ訪れても安心する。東京において自分が唯一庭のように歩ける馴染みのある土地だ。どの古書店にも熱心に本を探すお客さんの姿が沢山ある。ミニスカートを履いた今時の綺麗な女の子2人組が熱心に外の均一ワゴンの本を真剣にチェックしていたり、杖をつきながらヨロヨロと歩くお爺さんの手には本が入った紙袋がしっかりと握られていたりと、街の風景を眺めているだけでも飽きない。本を物色する父親を待っているのか店先で退屈そうに「パパまだー?」「パパ遅いねー」と言い合う母親と男の子の姿は、まるで自分たち家族を見ているような気分になり特に印象的だった。あと数年もしたら私も古本漁りに興じてる間に「ママまだー?」と店の外で痺れをきかしたアト坊に言われているに違いない。
さて、東京古書会館に到着したのは夕方に差しかかる時間帯だったが古書即売会の閉場間近にギリギリ滑り込むことができた。
昨夜、家を出る直前に「一人で自由だからって古本買っちゃダメだからね」と釘を刺してきた夫に対して「いやいや忙しくて古本なんてとても見る暇ないと思う(笑)」と鼻で笑いながら言い返した自分の舌の根を焼いてやりたい、そう反省の気持ちが沸き起こった。その場合、舌の根を焼く担当は紛れもなく夫だろうが。
東京の醍醐味といえば高いタワーや浅草の雷門を観光することではなく、やはり古本に尽きる。ましてや飢えた古本者にとってこの街は、時間制限なしの食べ放題バイキングのようなシチュエーションなのである。
こうしてありついた久しぶりの漁書作業はやはり文句なしに楽しかった。東京の古書即売会に赴くのはかれこれ4年ぶりだろうか。やっぱり雰囲気も品揃えも地方とは全く違う。やがて閉場時間になり蛍の光が流れている間も最後まで粘って棚をチェックして回った。
その日の晩、宿泊先の布団の上に横たわりながら夫から届いたメールをチェックしていた。
「今日は午前中に公園でたくさん遊んで昼ごはんに唐揚げとおにぎりを食べてすぐに昼寝した。」「晩ごはんにシチューを作って食べさせたらたくさん食べた。」「しっかりウンチもしたよ。」
うんうん、良かった。問題ないな。とメールを読んで安心感に包まれた。
「こちらは順調です。今日もお疲れ様でした。予定通り明日帰ります。」とメールを夫に送るとすぐさま返信が来た。
開封すると動画が添付されており早速再生した。
「ままぁーーーーーーっ!まぁまぁぁぁ!!!」
突如響き渡る大音量の叫び声に心臓が飛び出そうになった。
携帯画面には、薄暗い自宅の玄関扉に向かって叫ぶアト坊の切ない後ろ姿が映し出されていたのだった。
胸が締め付けられるような光景に思わず布団から起き上がり正座して携帯画面を見つめた。
自分で靴を履いたアト坊は玄関のドアノブを回しながら「ママ、ママの行くの、行くのぉぉぉ!」と叫んでいる。
どうやらいなくなった私を探しにいこうとしているらしい。うっ、涙が。
「アトくん、ママはね、アトくんとパパを置いて遠くに行っちゃったんだよ。もう戻ってこないかもしれないね。そしたら二人で生きていこうね。」とアト坊にブラックジョークを飛ばす夫の余計な音声も入っていた。
「大丈夫??」と動画を見終えた後に思わず夫にすぐさまメールした。
「このあと、YouTube見ようと誘ったらすぐに笑顔になって何事もなかったかのようにご機嫌に過ごしてたよ。さっき布団に連れて行ったらすんなり寝てくれたよ。」と返事が来た。
だがそれを知ってホッとしたのも束の間、先ほど得た安心感はどこへやら、子供が私を探している様子がいつまでも頭から離れないまま夜を過ごしたのであった。
翌日、帰りは昼過ぎの飛行機に乗ることにしていたので、現在東京に住んでいる親友を呼び出して新宿の有名喫茶店「らんぶる」で一緒にモーニングを食べることにした。待ち合わせ場所にやってきた親友は久々の再会だというのに、私を見るなり呆れた表情を浮かべていた。
「あ〜あ〜、また買っちゃってるじゃん。それ、全部本でしょ。」と私が手にしている紙袋を指さしている。さすが我が唯一無二の親友、私の古本趣味も全て把握しているだけあって毎回投げられるコメントは脇腹に刺さってくるような的確な内容ばかり。彼女は生粋のミニマリストで、年齢は一緒だが私とは真逆の人間(几帳面で常に冷静)だ。にも関わらず、私たちはものすごくお互いを理解し合っていて仲が良いのだ。不思議な関係だと思う。
「へへへ…だってぇ…せっかく東京来たんだしぃ…」と運ばれてきたコーヒーにミルクをたっぷり注ぎながらしどろもどろ言い訳をした。
「子供もいるんだし、少しは抑えなさいよ。まぁでも古本があんたの原動力なんだろうからあんまし強くは言えないけどさ。」
その後1時間ほどお喋りを楽しんだ。
「さて、と。そろそろ行く?あんたこの後どうするの?飛行機の時間何時だったっけ。なんだったらもう一杯コーヒーおかわりする?」
「あのさ、高円寺に行こうかと思って…。新宿から近いよね?」
「高円寺ぃ?まぁ中央線に乗ったらすぐ着くけど…。なんでまたそんな所に…ってあんたもしかして!」
ニヤァァと不敵な笑みを浮かべる私を見て、全てを察した親友は諦めたかのような様子で「あんたも好きだねぇ…」と呟いた。
親友と別れた後、足早に電車に乗り込み向かった高円寺ではこの日、古書即売会が開催されていた。フライト時間が迫るなか、短い時間ながらも古本漁りを堪能して素敵な戦利品を得るに至った。
(その後、羽田空港を古本が入った袋を両手に持ちガサガサ揺らしながら汗だくで全力疾走したのは言うまでも無い。)
こうして慌ただしくも充実した東京旅行を無事に終えたのであった。
福岡の空港ロビーに到着するとベンチにちんまりと腰掛けている親子の姿が目に入った。それは夫とアト坊だった。迎えにきてくれていたのだ。
「ママーーーー!!!」
私を見つけて満面の笑みで駆け寄ってきたアト坊の姿はきっと死ぬまで忘れないだろう。
その場でぎゅうっと抱きしめる。まるで感動ドラマのワンシーンのような光景に見えたのか、近くに立っていた老夫婦が我々に微笑みを投げかけてくれた。
「ただいま。いい子にしてた?」と聞くと「うん!」と力強い返事。
「おかえり。東京どうだった?ずっといたかったんじゃない?」と夫が古本が入った荷物をやれやれといった表情で持ち上げながら尋ねてきた。
「楽しかったけど、やっぱり東京はたまにでいいや!」といろんな感情感想をすっ飛ばして私が答えると、抱っこされたアト坊が「とーきょ、とーきょ!」と口真似をしながら再びぎゅっと抱きついてきた。ずっしりと子供の体重が腕に伝わる。丸一日古本を持ち歩いての移動だったので疲れてパンパンになっていた腕だったが不思議なことに、子供を抱えた途端に力がみなぎっていたのだった。
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カラサキ・アユミ
1988年福岡県生まれ。海と山に囲まれた地方都市在住。
幼少期からとにかく古本の事で頭が一杯な日々を過ごす。
肩書きの無い古本愛好者。友人は少ないが古本は沢山持っている。
大学卒業後はアパレル店員から老舗喫茶店のウェイトレスを経て、以降は古本にまつわる執筆活動等をしながら古本街道まっしぐらの自由気ままな生活を送っている。
(※2021年に第一子誕生、現在は子育てに奮闘中!)
著書に、古本漁りにまつわる四コマ漫画とエッセイを収録した『古本乙女の日々是口実』(皓星社)がある。
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