コラム

2020.07.12

コラム

カラサキ・アユミ 「いつか誰かに布教する用に…」と買っておいた〝ダブリ本〟を、ついに活用する日がやって来た、の巻

世の古本好きの人々に多く見受けられる習性に〝ダブリ買い〟というものがあります。その本の存在が好き過ぎるあまり古本屋で手頃な値段で見つけては既に所持しているにもかかわらずまた同じ本を買ってしまう、という貪欲かつ珍奇な行為であります。保存用に、閲覧用に、観賞用に…。このように何かと理由を付けて同じ本を入手するわけです。かく言う私もその習性を持つ人間の1人で、〝布教用〟と称して購入する事が多々あります。

 

ここでの「布教」というのは、シンプルに「いつかこの素晴らしい本の事が好きそうな人に出会ったらその時是非手渡してあげよう! そんでもってその素晴らしさを一緒に共有できたらハッピーだな?」という定義のものであります。

 

しかし現実には同じタイトルの古本達は数だけ溜まる一方で、部屋のそこかしこに横たわっている状態。

 

冷静にこれまでの人生を振り返ってみても、どうやら私という人間には布教する機会もチャンスも巡ってこないのでは…と段々と濃厚に感じるようになっていました。

 

大体これまでの経験上、気の合う人は知り合った時点で私の好きな作家や本については既に知っていることの方が圧倒的に多かったため、ほとんど布教に至ることはありませんでした。

 

前述したように古本趣味における〝布教〟とは、自分がこの本と出会って知り得た感動や興奮をこの人となら分かち合えるかもしれない…! という一握の希望を感じた他者に対して、その渾身の一冊を以って新たな世界への窓口に誘うという神聖な行為であります。しかし、こちらが差し出したものが受け入れられないもしくは好みに合わなければその一冊の古本は相手にとってただの重荷と化してしまい加えて布教を行った自分はただのお節介者として見なされてしまいかねないのです。そう、大変デリケートかつリスキーな行為であるといっても過言ではないでしょう。

 

そんな事を考えていた私の目の前にやがて福音をもたらす人物が突如現れたのでした。

 

その人物は私が勤める喫茶店で現在バイトをしている男子学生でH君と言います。最初アルバイトの面接に来た際、高校卒業間近のH君は短髪の黒髪に立派な眉毛、絵に描いたような純朴青年。礼儀正しく歳の割に流暢に使いこなす敬語に「こやつ、出来る…!」という私の第六感と大の珈琲好きという彼の情熱が決め手となり採用することになりました。

 

やがてバイトが始まり日が経つにつれ、緊張が解れてきたのかH君は様々な片鱗を見せ始めるようになりました。

太宰治に坂口安吾といった人間の泥臭さを綴る純文学が詰まった文庫本を鞄にいつも忍ばせ、「人生面倒くさい、楽して生きたい、人間が嫌い」と、時折まるで小説世界に浸っているかの如く怠惰的なセリフをポツリポツリと吐き出す様子を見かけるようになり「ハッ…もしやこの子には我が布教用在庫を活用する日が来るやも…」となんだか小さな期待がふと私の中に芽生えたのでした。

 

相手が遥かに年上だとしてもきちんと自分の意見を放つタイプで「いいえ、僕はそうは思いません、なぜなら〜」という姿勢は、きっと年長者の私が差し出した本に対しても余計な気を使わず真摯に向き合ってくれるに違いないと予感が確信へと変わったキーポイントでもありました。

 

ある時には「昨日の休みにさ、見知らぬ街を当てもなく散策して公園のベンチに座って雀や鳩をぼんやり眺めながら缶コーヒー飲んだんだよね」という私の話に対して「うわぁ…最高の休日ですね。そういうのって楽しいですよねぇ」と彼は羨望の眼差しで返答をしてくれました。これにはちょっと感動しました(ちなみにこれまで同様の話を他の人にした際に返って来たコメントは「なにそれ寂しい人だよ」「暇なんですか」といった類ばかりだったので私がこの時に感じた喜びの大きさは計り知れません)。

 

こうして私の密かな項目チェックをクリアし着々と布教期待ポイントが貯まっていることも露知らずのH君は黙々と喫茶店業務に励んでいたのでした。

 

さて、つげ義春の『無能の人』という漫画作品をご存知でしょうか。

漫画家として行き詰まった主人公が奇天烈な空想に耽りながら過ごす無為な日常を描いた作品です。数多くのつげ作品の中でもとりわけ私が大好きな作品であり、函入り版を2冊所持していました。H君に渡すのはこの本に決めた! と、自分がこれから行わんとする未知なる行為を想像しては武者震いしながら布教前夜を過ごしたのでした。

 

決行の日、バイト先の控え室でH君に「ん、あげるよ。きっと気にいるよ」と余計なコメントはあえて添えず人生の先輩的な風をそこはかとなく吹かせながら函入りの『無能の人』をスッと差し出しました。寡黙な男、H君は「あ、ども。ありがとうございます」と静かに受け取ったのでした。その淡白な態度に思わず動揺した私は平静を装いながらも「あのぅ…もっとリアクションをくれんかね…」と心の中でおねだりをしてしまいました。

 

しかし明くる日出勤したH君の様子は普段とは違うものでした。

私の顔を見るなり「あの本、衝撃受けました…なんか…一気に読んじゃって、そんでまたしばらくしたら読みたくなって…結局何回も読み返しました。もっと他も読んでみたいとスッゲー思って…! 早速ネットで他の作品も買いました!」と興奮しながら本の感想を話してくれたのです。私も予想しなかったその高揚した顔からはおべんちゃらでも社交辞令でもない彼の真実の感情が感じ取れました。

この瞬間、布教が成功した喜びを噛み締めました。

 

そうして次に落ち着き払いながら私はH君に伝えました。

「そうかそうか。読んでもらえて本当に良かった。他の作品もすっごくイイよ。あ、本返してくれるのはいつでもイイから」

サラッと言い放ったこの私の最後部分のコメントを聞いた瞬間H君の表情が困惑の色に変わったのは言うまでもありません。

「……え? あの本って自分にくれたんじゃなかったんスか…?」

「いや、うん、まぁ、ね…ちょっとね…。よく考えたらあれは、ほら…(ゴニョゴニョ…)」

既に乾いた瞳を並べているであろうH君の顔を直視する勇気はもうその時の私にはありませんでした。

 

実はH君に本を布教した晩、私はにわかに染み出してきた感情と葛藤していたのです。自分用に残した函入りの『無能の人』は帯付きの完全美品の1冊でH君に渡したのは帯なしのやや汚れありの1冊でした。が、後者の方には後ろ扉部分に前の持ち主の手によって書かれたと思われる書き込みがあったのです。作品に出てくる少年(主人公の息子)の絵が鉛筆で雑に描かれていて、悲しげな表情の横にはこれまた雑な字で〝え〜ん え〜ん〟と文字が書かれている。大人ではなく子供が描いたのでは? と思わせる味のある佇まいの絵と字で、確認した時には特になんとも思わなかったのですが、H君に手渡した後に一体どうしたものか、猛烈な後悔の念がジワジワと襲ってくるではありませんか。

「あの書き込み本はこの世界に1冊だけしかないのに!!」

こうして一晩悩みぬいた挙句、「よし、さりげなく返してもらう方向に持っていこう」という大人気ない結論に至ったのでした。

ひと回り以上も年下の子からあのような呆れた眼差しを注がれたのも初体験でした。もはや人生の先輩どころではありません。

 

こうして、初めてのダブリ本の布教活動は結果的に布教用に買った古本さえも惜しくなり自分の物にしておいてしまうという己の途方もない貪欲さを立証するほろ苦い経験となったのでした。

 

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県に生まれる。幼少期よりお小遣いを古本に投資して過ごす。

奈良大学文化財学科を卒業後、(株)コム・デ・ギャルソンに入社。

7年間販売を学んだ後に退職。

より一層濃く楽しい古本道を歩むべく血気盛んな現在である。

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