コラム

2023.05.26

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カラサキ・アユミ氏 コラム 子連れ古本者奇譚 第18回「ホットケーキの記憶」

月日の流れはジェットコースターの如く、母親の自覚とはなんぞやと問われても未だに即答は出来ぬ今日この頃。

この5月に息子アト坊は2歳になった。

無事に健やかに今日まで育ってきてくれたことに対して、信心深いとは言えない私も、目に見えない何かの存在に感謝し手を合わせずにはおれない。

 

最近になって彼の為にホットケーキを焼いてやる機会が圧倒的に増えた。

口に入るものならば何でも興味津々にモグモグゴックンしていたあの離乳食時代がウソだったかのように、偏食で好き嫌いが多い幼児食シーズンを迎えている現在。

魔の2歳児、どこからともなくよく耳にしていたフレーズをこの身で痛感する日々だ。

イヤイヤ期も相まって毎度の食卓時間、頭を抱えない日はない。

アト坊が一杯の小さなご飯茶碗の米をしっかり完食した日には私の脳内では戦勝パレードが繰り広げられ、そしてこの時ばかりは「私、いつも頑張ってるよね!今日ばかりはご褒美に古本買ってよし!」と自分自身を労う行為がお決まりパターンとなっている。

野菜を食べた日なんぞ「今日は奇跡が起きなすった!ヒャッホーー!!」とリオのカーニバルで踊り狂う勢いで室内を練り歩き、そんな日の夜は値段関係なく欲しい古本を一冊カートにいれ購入ボタンを押している。

 

どうやら白米よりもパンやうどんを好む傾向にあるので研究と試行錯誤を重ねた結果、野菜などのペーストを練り込んだパンケーキなら高確率で栄養を摂取してくれるという結論に至った。

 

そんなわけで、我が家ではホットケーキミックスの袋が台所に常備されるようになったわけだ。

 

アト坊の2歳の誕生日もおやつはホットケーキにした。

この日は彼の好物である安納芋のペーストとヨーグルトを混ぜ込んだスペシャル版に。

卵と牛乳が入ったボウルに粉を入れて一緒にシャカシャカ混ぜる。

だが、こんなめでたい日にも関わらず、やはり、この慣れた動作をしながら昔のことを思い出してしまう自分がいた。

 

実を言うと、私にはホットケーキに苦い思い出しかないのだ。

 

それは学生時代、いつも貧乏だったあの頃。(今も貧乏…ということは敢えて括弧の中に留めておくことにする。)

言わずもがな貧乏の原因は古本趣味だ。古本以外の用途に使うことも勿論たくさんあったが、文句なしに古本の出費がかなりの割合を占めていた。

その上、古本を買いに行く際の交通費も地味に大きかった。

西に即売会があると聞けば出向き、東に古本屋があると知れば電車の切符を買う。そして行った先々で雰囲気の良さそうな喫茶店を見つけて古本行脚の疲れを癒すべく、また戦利品を愛でるべく、コーヒーやケーキを食べる。

そんなことを当たり前のように繰り返していたら塵も積もれば山となるのは自然の流れ、時給680円(安い!)のリサイクルショップでのアルバイトと時給600円(や、安過ぎ!)の大学の食堂での皿洗いバイト、これらで稼いだ1ヶ月の給料は2週間も経たぬうちに瞬く間に消えていった。

(やはり本職は学生、学業に勤しまねばならぬ身がそんなに多くの労働時間を提供できるはずもなく、毎月稼げる金額はたかがしれていた。)

 

毎月実家から振り込まれる仕送りはというと、内訳が下宿先の家賃、光熱費、水道費…と、きっちり決められたものだった。当然、余剰分は食費に充てられるべきなのだが、若くして財布の中身をカラにする才能を開花させた人間に〝やりくり〟なんぞできる筈もなく、いつも残高に印字されるのは駄菓子並みの金額になっていた。

(恥ずかしい話だが、「授業で必要な教材を急遽買わなければならなくなったからお金少し送ってぇ…」と嘘八百を並べて電話で両親に懇願したことも度々ある。)

 

ちなみに、私の父は女手一つで自分を育てくれた祖母に苦労をかけまいと学生時代は学費や生活費を自力で稼いでいた人間で、夏場はデパートの屋上ビアガーデンでウェイターをやったり(両手でデカいビールジョッキを10個持って運んだり!当時の話を聞くとこれがまた面白い。)駅の地下街にある喫茶店のウェイター、家庭教師…etc. 掛け持ちバイト生活に明け暮れながら学業も頑張っていた孝行息子だったらしい。

そんな話を大人になってから改めて聞いて、仕送りがあった自分は相当に恵まれていたなぁと感じずにはおれない。

が、だとしても当時の私はそんな話知ったこっちゃないという不肖ぶり、仕送りが入る月初、郵貯銀行のATMに全力疾走するのが常になっていた。

 

そのような欲望に忠実な自転車操業的生活を送っていたこともあり、安くて食べ応えがあるホットケーキは貧乏学生の救世主的食物だった。米なんて高くてとても買ってはいられない。

月末、米櫃の底が顔を見せ始めると、やることはいつも決まっていた。

一番安いメーカーの税込298円のホットケーキミックスをスーパーで購入し、狭い台所で虚無の表情でひたすらフライパンで一気に大量に焼いていくのだ。そうして焼き上がった一枚一枚をラップに包んで冷凍しておく。

これが、朝・昼・晩3食パンケーキライフ開幕の儀式であった。

(食堂バイトの賄い飯や、デパートのお惣菜売り場でバイトしていたサークルの先輩から持ち帰ったオカズを分けてもらうというラッキーデーもあったが。)

 

古本を買って生活費がカツカツになって我慢して食べるホットケーキは腹を膨らます為の存在でしかなく、電子レンジでチンされたそれは水分が抜けてパサパサで、とても美味しいとは感じられなかった。

とは言え、この体験と引き換えに得た古本生活は比較しようがないくらいに大きな喜びに満たされたもので、私が幸せだったのは確かだった。

 

以前、夫に「思い出の食べ物ってある?」と聞いたことを思い出す。神妙な表情で「学生時代によく食べてた焼肉のタレをかけたご飯かな…」とポツリと答えたのが可笑しかった。

(夫の実家では畑で米作りをしており、学生時代は米には困らなかったそうだ。なんて羨ましい…。)

肉が食べたくてもなかなか気軽に買えなかったあの頃、目を閉じてタレが絡まった白米を口に運ぶだけで幸せな気持ちに浸れていたらしい。

妄想で欲望を満たしていた夫のように、人にはそれぞれの思い出メシなるものがあるわけだが、私の場合、ホットケーキはなんとなくマイナスな印象が切り離せない存在として、未だにその根をがんと張っていたのだった。

 

おたまですくった生地をフライパンに流し込み、丸い円の塊の表面がフツフツと膨らんでいく。その様子を、自分の切ない思い出を振り返りながらぼんやりと眺めていると背後から視線を感じた。

アト坊がまだ焼き上がらないのかと、今か今かとテーブルから身を乗り出してこちらを見つめていた。それはもうすごい嬉々と目を丸くしてホットケーキの出来上がりを待っているのだ。

 

息子にとってのホットケーキ、それは嬉しいものに他ならない。

同じものなのに私とは全く違う見え方をしていることがなんだか面白く思えた。

 

何かを我慢した上で欲しいものを手に入れる爽快感や、自分が働いて稼いだお金で好きな物を買う楽しさを全力で満喫していたのはあの頃だったなぁ。

「考えてみたら、私が一番がむしゃらに、そして貪欲に古本趣味を楽しんでいた時代を象徴する食べ物だよ、これは。」

 

独り言を漏らした私の顔を見て、普段母の見慣れない真面目な表情が新鮮だったのか、息子はニコォと小さな歯を覗かせて笑った。

 

ホットケーキという存在に対する自分の記憶がアップデートされつつあるのを感じながら

「よっと!」

勢いよくフライパンを振って生地を宙に浮かせてみせる。

昔からこのひっくり返す派手な瞬間だけは変わらず好きだ。

「ぅあー!」

アト坊の歓声が上がる。

ペタリと華麗にフライパンに着地したホットケーキの表面は、それはそれは綺麗な黄金色に焼けていた。

 

この日はせっかくなので大きな大きな一枚を二人で分け合って食べた。

これから作っていくホットケーキも、きっと、もっともっと美味しく感じられるに違いない。

 

 

最後に、最近読んだ本の中でとても痺れた一節と出会ったので是非紹介したい。

 

「わが古本の楽しみは、これといった目的を持たない。だが、未知との遭遇なくして何の人生か。」

 

映画・文化史家である田中眞澄氏による『本読みの獣道』(みすず書房)からの抜粋なのだが、母親業2年目を迎えた今の自分にはとても心に響く文章だった。

これ以上に〝古本者の心情〟をシンプルに表現したものは他にないだろう。

 

母親になった後も育児に奔走しながらも〝古本なくして何の人生か〟と言い切ってしまえるこの私に、これからどんな出会いが待っているのだろう。

それはそれはもう、楽しみでならないのである。

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県生まれ。海と山に囲まれた地方都市在住。

幼少期からとにかく古本の事で頭が一杯な日々を過ごす。

肩書きの無い古本愛好者。友人は少ないが古本は沢山持っている。

大学卒業後はアパレル店員から老舗喫茶店のウェイトレスを経て、以降は古本にまつわる執筆活動等をしながら古本街道まっしぐらの自由気ままな生活を送っている。

(※2021年に第一子誕生、現在は子育てに奮闘中!)

著書に、古本漁りにまつわる四コマ漫画とエッセイを収録した『古本乙女の日々是口実』(皓星社)がある。

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