コラム

2020.06.11

コラム

カラサキ・アユミ 古本奇譚 第6回 「出会いの重なり」

会社員生活を送っていた頃の日々は、婦人服の販売というサービス業だったこともあり年末年始はもちろん、土日祝日も働きずくめ、有給消化も連休もほとんど取れない状況で、時には休日の朝に突然出勤の指示が出る事もザラでした。
そしてお給料の大半は必然的にユニフォームとなる洋服達に注がれる形となり、古書即売会や古本関連のイベントが集中して開催される祝日や大型連休は同時に店の繁忙期ということでもあり無論休めるはずもなく、ようやく得た貴重な休日は朝から晩まで泥のように眠って体力を回復させる時間に当てることもしばしばで、とにかく古本趣味を持つ人間には大変苛酷な生活でもありました。とは言っても会社に対して尊敬と憧れの念を抱いて入社した私自身、販売する商品に対して愛情も誇りも持っていましたし、何より対面式のお客様商売ならではの1日として同じような時間は流れない職場は、濃い人生勉強や経験値を積むにはまたとない環境でもありました。古本趣味との両立は難しい現実とはわかりつつも、ここで吸収できることは全部無駄にせず自分のモノにしてやるぞ! そう貪欲な気持ちでがむしゃらに働いていました。

やがて中堅といわれるキャリアを迎えた7年目、28歳になっていました。だいぶ視野を広げる余裕も出てきました。そこで、これまで中途半端にしか楽しめていなかった趣味に精神的にも体力的にも全力でぶつかってみたいと決意した私はようやく古本のために生き方を変える決意を固めたのでした。〝会社とお客様のために〟を第一に考えて仕事にストイックに向かってきた日々があったからこそ、これまで後回しにしていた〝自分のために〟を純粋に見つめたいという強い気持ちが私の中でようやく熟したのもあり、迷いなく実行に移せたのでした。

しかしもちろん、辞めるのはなかなか容易ではありませんでした。慢性的な人手不足の現状もあり、当時一緒に働いていた職場の人達からはお決まりの言葉の数々を投げかけられました。「浅はかだ。それは現実逃避だ」「他の人に負担がかかるのに辞めるのか」「そんな甘い考えじゃ生きていけない。絶対に後悔する」。立ちはだかる常識の壁。なかなか厳しい意見ばかりでした。しかし私は誰かに共感や理解をしてもらおうという気持ちは一切なかったので頑なに意志を変える事なくその数ヶ月後、ようやく最後の出勤日を笑顔で迎えることが出来たのでした。

人生は長いようで短いものです。そして10代、20代、そしてこれから歩んでいく30代、過ぎ去った時間は決して戻ることはありません。

楽しい事や好きな事が、我慢する事や疲れる事より少ないのは何だか損です。せめて半分ずつには出来ないものだろうか、そう悩んで編み出した結論が正社員という肩書きを背中から降ろすという選択肢でした。

時間はお金では買えないが古本を買うためのお金はこの身体が健康に動いてくれる限り色んな方法や手段で得る事が出来る。何より7年間培ったこの強靱な体力と精神力があるじゃないか。なぁに大丈夫さ! 何とかなるって! こんな風に我ながらかなり楽天的な単純思考で私は新生活のスタートをきったのでした。

仕事を辞めてまず真っ先にやりたいと思ったことが〝古本行脚〟でした。誰にも干渉されず、気兼ねすることも時間を気にすることもなく頭の中を古本一色にした自由気ままな旅。電車に乗り見知らぬ街で降りて、お腹が空いたら地元の食堂で食事をし、疲れたら喫茶店で珈琲休憩。その街を散歩しながら古本屋を覗いてまわる。安宿に泊まり部屋で缶ビールと柿ピーをつまみながら買った古本をパラパラする…こんな旅を1週間かけてやってみたいなと長年夢みていたのでした。

早速ささやかな退職金を元手に旅の計画をあれこれと組み立て始めたのでした。当てもなくという姿勢が憧れではあったもののいざ実行してみるとなると私の欲張り根性が顔を出し、せっかく行くのだからあそこにもここにも…と出来上がったスケジュール表を広げてみると、それはそれは過密なものとなっていたのでした。そうして広島、岡山、京都、滋賀、金沢と駆け巡ったこの古本行脚旅は7年分の夏休みを一気に貰ったかのような煌めく1週間となったのでした。その時に初めて、仕事を辞めなければ知り得なかったこの世界はこんなにも眩しいものだったのかと身も心も震わして趣味に没頭出来る喜びを味わったのでした。

それを境に、これまで長年抑えてきた古本欲を溢れさせるかのようにあちこちの未踏の古本屋に繰り出すようになりました。

なかでも、夜行バスで四国に出向いた際に訪れたS書店さんではまるで絵本の世界に迷い込んだようなひと時を体験しました。

駅から外れた暗闇の住宅街、その道の先にボンヤリと見える蛍のような光を放つ看板に〝古書〟という文字を見つけました。闇の中に浮かぶその光のコントラストがなんだか幻想的で思わず立ち止まりました。

建物の正面を囲む大きな木枠の硝子窓越しには本が所狭しに並べられ積まれた、古色蒼然たる店内が映し出されていました。扉を開け足を踏み入れると、この場所に出向かなければ出会う事のなかった古本達が静かに私を待っていてくれたのでした。

「面白い本を見つけましたねぇ、こんな沢山の本の中から。すごいですねぇ。どうもありがとうございます」。年季の入ったチェック柄のエプロンが素敵な70歳くらいの店主さんが私が選んだ古本達を受け取りながら目尻に沢山の皺を寄せて温かく話しかけてくれました。大人になると当たり前ですが子供の時とは違って誰かに褒めてもらう機会なんて滅多にありません。褒めてもらうことってこんなにも嬉しいものなんだな、と少女のような気持ちに返って思わず鼻の穴を膨らませてしまいました。

そして、さぁお会計をしようと帳場の前に一歩足を進めると何やら視線を感じました。最初はぬいぐるみかと勘違いしましたがよくよく見ると目の前のレジの椅子にちんまりと鎮座する黒猫が。丹波の黒豆のようなクリクリの眼で私を真っ直ぐ見上げているではありませんか。その姿に釘付けになっていると「この子はね、ミーちゃんです。私と一緒に店番をしてくれてます」と店主さんがさりげなく紹介をしてくれました。これまで猫がいる古本屋は雑誌や写真で何度か見掛けた事があったものの、自分の目で見たのはこの時が初めてでした。

一冊一冊本から値札を取ってはレジに金額を打ち込む店主さんの手付きを目で一生懸命追うミーちゃん。自分もレジ打ちを一丁前に手伝っているかのような様子です。「あぁ、今この目の前の光景は私がこうしてこの場所に立っていなければ見れなかったものであって、この気持ちも味わえなかったんだなぁ…」そうしみじみ感慨に耽りながら私はその小さな丁稚さんの姿を嬉しいような愛おしいような心持ちで眺めていました。最後、買った古本を店主さんから受け取るとミーちゃんも忠犬ハチ公像のように姿勢を正して見送ってくれたのでした。

さて、新しい生活を始めてからまる2年が経ちました。現在も相変わらず古本が中心のささやかな生活を送る日々が続いています。2年前のあの日、決意して一歩を踏み出さなければ決して見る事の出来なかった景色が毎日私の目の前に広がっています。そして出会えていなかったヒト・モノ・コトを沢山知る事が出来ました。過去を思い出した時に笑う事が出来るかどうか。そしてその過去を糧になる思い出として大切に持ち歩けている自分になれているかどうか。私にとって肝心だったのはそこでした。幸せや楽しさは分量ではなく、それらを自分がどれだけ濃厚に大切に味わう事が出来るのかが重要だったのだと気付くことも出来ました。古本という趣味が無ければ恐らく知ることのなかった世界です。

かつて見知らぬどこかの誰かの持ち物だった古本達が流れ流れて今の私の手元におさまり、そしてその一冊は新しい空気を私に吸わせてくれたり人生を様々な形に変化させてくれる思いもかけない存在になったりもします。時にその一冊と巡り会う過程で付加価値になるような出会いが更に加わる事も。

こうした出会いの積み重なりによって生まれた私だけの古本奇譚をこれからももっともっと増やしていきたい。これが30代を歩き始めた今の私の軸です。

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カラサキ・アユミ
1988年福岡県に生まれる。幼少期よりお小遣いを古本に投資して過ごす。
奈良大学文化財学科を卒業後、(株)コム・デ・ギャルソンに入社。
7年間販売を学んだ後に退職。
より一層濃く楽しい古本道を歩むべく血気盛んな現在である。
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