コラム

2023.02.27

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カラサキ・アユミ氏 コラム 子連れ古本者奇譚 第15回「かつての古本敵に焼肉を」

「母ちゃんはね、お前と父ちゃんを残して遠くに古本を買いに行くんだぞ〜」

玄関先で靴を履く私の背後から、子供に向かって冗談ぽく話しかけている夫の声が聞こえる。

「ちょっとさ〜!やめてよ、その言い方ぁ…」

苦笑いしながら振り向くと1歳8ヶ月になるアト坊が夫に抱き抱えられながらニンマリと私を見つめていた。(昨日前髪を短く切り過ぎてしまったせいで、おでこがプリッと露出している。子連れ狼の大五郎のような佇まいだ。)

「それじゃあ…行ってまいります!今日明日宜しくお願いします!」

「はいはい。バイバ〜イ」

玄関から手を振りながら私を見送る夫と子供の姿を、何度も振り向いて確認しては大きく手を振り返す。こうして微量の罪悪感を胸に芽生えさせながら、土曜日の朝、私は古本漁りの旅へと出向いたのだった。

 

今年に入ってから、念願の東北と関東の古本屋巡りの旅を果たした。

いつか訪れたいと長年思いを募らせていた店や、気になっていた店を実際に目の前にして感慨に浸った。勿論、漁書作業も存分に堪能した。

いずれも弾丸で行動時間が限られた超ハードな旅程だったが、疲労感も最高のスパイスと感じられるほど、それはそれは楽しい時間を過ごした。

 

これもひとえに、夫の協力無くしては実行できなかったのは言うまでも無い。

 

航空会社のキャンペーンで特別価格で航空券が手に入る機会を前に、「こんなにお得に遠出が出来るチャンス滅多に無い…でも、でも…」とモジモジしていた私の背中を押してくれたのは「行ってきたら」という夫の一言だった。

行きたかった店の閉店を相次いで知っては落胆していることが多かった私の様子を見ていたのだろうか、「経験は出来るうちにした方がいい」と更に付け加えて言われた。胸が熱くなった。そして最後に放たれた「でも、古本は買いすぎるなよ」の忠告は聞こえないふりをした。

こうして夫からのGOサインが出た途端、東北行きのみならず調子に乗った私は東京行きも加え、それぞれ往復航空券の購入ボタンを押したのだった。

 

「俺はなんて優しくて理解のある旦那様でしょう…」

「ええ、仰る通りでございます!!!」

古本目的で家を空ける妻と、留守番兼子守りを担う夫との会話である。

料理(なんだったら私よりも上手い)を始め家事や身の回りのことは全て自分で出来る上に、安心して子供を託していけるほどワンオペ育児はお手のものになった夫。

もう私が存在せずとも子供を健やかに育てあげてくれるのでは…と想像してしまうくらい、心強い助っ人として成長を遂げてくれていた。

そのせいなのかどうかはわからないが、子供は夫のこともママと呼ぶ。

もはや、私と夫は子供から見ると同じ立ち位置なのかもしれない。

(一時期はパパと発語も出来ていたのだが最近では全く言わなくなった…)

惚気とか自慢などと言われればそれまでだが、それでも声高らかに言いたい…!

本当に、この人が居なければ母親となった今も、こんなにも勢いを衰えさせずに趣味の世界を謳歌することは叶わなかっただろう…と!

ここ最近しみじみとこうした夫への感謝の気持ちが湧き起こっている。

彼が宿敵であったのは過去の話、古本趣味に対する冷ややかな目線は変わらずとも、今では唯一無二の我が救世主なのである。

世の中には十人十色の夫婦像があるとは思うが、私のような頭のネジが外れた人間をここまで許容してくれる人間は恐らく夫の他にはいないだろう。

 

旅先で一人過ごすという非日常な状況では、やはり子供と過ごしている普段の日常のひと時を思い起こす瞬間が度々あった。

この時間はいつもああしてるなぁ、こうしてるなぁ。

そんなことを考えているうちに、夫に様子を伺うメールを打とうと頻繁に携帯をポケットから取り出しているのだった。

ちなみに夫に子守りを頼んで出掛けている時は、こちらから連絡をしない限りほとんど連絡はこない。夫なりの気遣いなのだろう。

 

古本屋から別の古本屋へと移動中のバスの車内で、先ほど夫から返信で送られてきた動画を音を消しながら眺める。小さな携帯画面には笑いながら飼い猫を追いかけまわす腕白坊主が映し出されていた。「あぁ良かった。いつも通りだ。」思わず顔が安堵でにやけた。

午後、夫から再度送られてきたのは白目で昼寝をしている子供の寝顔写真だった。お陰でその後の旅程は古本全集中で臨むことが出来た。

 

夕方、古本屋巡りを終えて宿に向かう道中、いそいそとテレビ電話をかけると、エプロン姿の子供がドアップで映し出された。晩御飯の真っ只中だった。

すごい満面の笑み。しかも顔中に納豆がこびり付いているではないか。

「アト坊!お母ちゃんだよ〜〜!」

場をわきまえず往来で私が甲高い声を上げた瞬間、周囲を歩いていた人々のギョッとした視線が降り注いだ。(こういう時に理性が正常に働く人間であったら私の人生はもっと違っていたのだろうか…)

「マ、マ、マ、マママぁーーー!!!!」

米粒と納豆を口から撒き散らしながらこちらを見て絶叫する息子。

良かった。私が古本にかまけていた間に忘れられていなかった。安心した。

そんな思いが溢れ出て再び歓声を画面に投げかけた。

「キャー!そうよ!ママよーーー!!!お利口さん!」

クネクネと動きながら携帯を両手で持つ黒尽くめの金髪、異様にハイテンションな声色。

側から見たら完全に不審者にしか見えない姿だった。

モーゼの十戒の如く、人々が私を避けて歩いて行くのがわかった。

 

その後、画面に映り込んだ夫の顔は若干疲弊していた。

お昼ご飯は何を食べさせたのかと聞くと「煮込みうどんを作って食べさせた。完食したよ。」との返答。手作りの今宵の晩御飯も完食の勢いらしい。

なぬ…⁈か、完食⁈私が作った手料理はいつも残すくせに…。父の味の方が好きなのかアト坊よ!

電話を切った後、夫に対してそこはかとない敗北感を感じながら古本が入ったリュックを背負ってザクザク歩き続けたのだった。

 

その晩、宿で歯を磨いている時、ローカル番組をぼんやり眺めている時、布団に横たわりながらなかなか寝付けず暗闇の天井を見つめている時、あんなに渇望していた一人時間はこんなにも寂しさを伴うものだったのかとしみじみ感じた。静けさが妙に居心地が悪い。子供を産む前までは味わったことのない感覚だった。

翌朝、チェックアウトを済ませて帰りの空港に向かう道中、どこかホッとしている自分がいたのだった。

 

 

自宅に帰還したのは日曜日の午後で、子供はいつものようにリビングで過ごしていた。

「ただいまぁ〜!」と大袈裟に両手を広げて部屋に入っていくも、子供は私の顔を見てニヤリと笑みを浮かべただけで「おう、オイラは今遊んでて忙しいんじゃ。」と言わんばかりに再びプイッと背を向けて電車のおもちゃを凄まじい勢いで床に擦り付けていた。

感動の再会シーンはいづこ…。

子供の土産に買って帰ったぬいぐるみキーホルダーは最初のうちは振り回すなどして遊んでくれていたが、数分後には飽きてそこらへんに放り投げられていた…。

 

一息ついたのち玄関で荷解きをしていると、先ほどまで洗濯物を取り込んでいた夫がやってきた。視線は私のリュックに注がれている。

「おかえり。…いい本あった?」

遠回しかつソフトな事情聴取が始まった。

今回は冊数こそ少ないが旅の思い出と称して思い切って購入した本もあり、使った金額はかなりの額になっていた。

自分のポケットマネーからとは言え、この大散財の事実を普段は質素倹約に努めている夫に伝えるのはどうにも憚られた。

「あ、これ地酒ね。美味しいんだって。あとこれ、つまみに。限定商品でこっちだと手に入らないんだって。」

などとセールストークを添えて、まずはお土産を手渡した。

「持って帰るの大変だなと思って今回はそんなに本は買わなかったよ。ハハハ」

オブラートにオブラートを包んでその場を切り抜けようと試みた。

「そうなんだ。成長したね…。」

リュックの膨らみを見つめていた夫は疑うことなくサラリとそう言い残して、お土産を手に去っていこうとした。

その背中に向かって「いい時間を過ごせたよ…楽しかった、ありがとう!」と大声で感謝を叫んだ。

「いいってことよ。」と言いながら振り向いてくれた夫の顔には無精髭が生え、二日間の奮闘ぶりが表れていた。

 

しばらくは古本買いを我慢して、今度美味しい焼肉をご馳走しに連れて行こう!そう心に決めた私であった。

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県生まれ。海と山に囲まれた地方都市在住。

幼少期からとにかく古本の事で頭が一杯な日々を過ごす。

肩書きの無い古本愛好者。友人は少ないが古本は沢山持っている。

大学卒業後はアパレル店員から老舗喫茶店のウェイトレスを経て、以降は古本にまつわる執筆活動等をしながら古本街道まっしぐらの自由気ままな生活を送っている。

(※2021年に第一子誕生、現在は子育てに奮闘中!)

著書に、古本漁りにまつわる四コマ漫画とエッセイを収録した『古本乙女の日々是口実』(皓星社)がある。

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