コラム

2022.11.29

コラム

カラサキ・アユミ氏 コラム 子連れ古本者奇譚 第12回「赤ちゃんとの古本浴は波瀾万丈」

先日、ブックオフで赤ちゃん連れのお母さんを見かけた。

抱っこ紐の中には生後4〜5ヶ月くらいだろうか、今にも泣き出しそうな不機嫌な表情の赤ちゃんがモゾモゾと手足を動かしている。

 

その日私は息子を夫に預けて街で用事を済ませた帰り。普段目が離せぬ我が子との別行動で久方ぶりに味わう精神的な開放感、両手の稼働率自由度100%という最強コンディション、この絶好の機会もう古本を漁らぬのは大馬鹿モンでしょう!と意気揚々とこの場所に訪れていたのだった。

 

おぉ!同志がいる…!

 

最近では古本屋にも古書店にも女性客は大勢見掛けられるし、女性が古本屋店主であることも珍しくはなくなった。

だが、古本屋に乳幼児を連れた母親客を見かけることはほとんどない。

地方だけに限られたケースで都会に行けば案外多いのかもしれないが、少なくとも私にとってはこの日が初めての目撃だった。

いつ着火するかわからない時限爆弾のようなデリケートな生き物を抱えてわざわざ古本屋に立ち寄る母親は、よっぽど探し本があるのかもしくはよく眠る赤ちゃん連れの場合か、私のような古本狂いでなければなかなかいないだろう。

 

やがてぐずり始めた赤ちゃんの背中をポンポンと優しく叩きあやしながら、それでも諦めずに棚を凝視している必死なお母さんにすっかり自分の姿を重ねてしまった。休日とあって店内はそこそこの混雑具合。同じ通路で本を吟味する男性客達の視線が親子に注がれる。それと同時に気が気でない彼女の焦りがこちらにまでヒシヒシと伝わってきた。

こういう時、周囲があえて何も反応しないのが本人にとって一番気が楽なのだ。

「大丈夫!ここにいる全員も赤ん坊の頃泣きまくってたんだから!どうか貴女の古本時間が実りあるものになりますように!」心の声でエールを送り自分は黙々と漁書作業を楽しんだのだった。

 

私も子供が産まれてからしばらくはネットで古本を買う便利さや楽しさを満喫していた、というかそうせざるを得ない状況だったのだが、やはり圧倒的な物足りなさを感じていた。実際にこの目で背表紙をなぞっていくワクワクした感覚はネット通販では味わい難い。

ブックオフはコンビニエンスストア的な気楽さがあるので手軽に古本感覚を研ぎ澄ますにはもってこいの場所だ。古本浴という気分転換をする為に子連れ外出に慣れ始めたばかりの子供が生後半年以降は、結構な頻度で訪れていた。

買えるものが無くても、ただ沢山の本を眺めるだけで幸せだった。

 

とは言え、それも簡単ではなかった。

〝朝起きて支度をして電車に乗って古本屋に行って帰ってきた。〟

子供が生まれる前はこの一行の説明で済んでいた一連の流れが、乳幼児が加わると原稿用紙10枚分ほどの字数が必要となる濃厚な事態になるのである。

早朝起きて我が子のオムツを替え、朝食を作り食べさせ、床に盛大に散らばった食べこぼしを拾い上げ、自分は立ちながら飯を口に掻き込み、服を着替えさせ、洗濯やらの家事を猛ダッシュで済ませ、出掛ける支度を万全に整え、再びオムツを替えて、抱っこ紐を装着し、駅まで子供をあやしながら歩いて、、、、、、、、(続く)

 

おまけに古本屋に着くまで大人しくご機嫌だった子供が、店に入るや否や「ぶぅぇぁーーー!!!」とこの世の終わりのような雄叫びをあげ不機嫌を撒き散らすケースも多い。(これがまたすっごく多い。なぜに?)

そんな時は「なんでやねん…」と白目で天井の蛍光灯を見上げ、絶望感とやるせなさに包まれながら退店せざるをえない。古本に向かって走り出していた私の熱いハートはゴールのテープを切れぬまま暗闇の中を彷徨う羽目に。

反対に、子が道中寝てくれて心穏やかに店内に足を踏み入れた瞬間には竜宮城に招かれた浦島太郎のように幸福の目眩でクラクラするのだった。

ここまで書いてお分かりいただけたと思うが、膨大な体力と精神的労力を使って遂行しても無事に古本漁りにありつけるかはお子様次第、つまり毎回ロシアンルーレットなのである。

「今日は…イケそうか?ん?どうよ坊ちゃん。」と我が子の顔を覗き込む。まだ穢れなき瞳に反射して映るのは欲にまみれた母の顔。

そうして馬券を買うような気持ちで目的地までの切符を買い、世のギャンブラーの気持ちを束の間味わうのである。

 

ベビーカーや抱っこ紐がメインの0歳児時代は四苦八苦しながらもなんとか古本浴を楽しんでいたが、ここ最近はブックオフすらも随分ご無沙汰になりまたもやネット通販の古本ライフに回帰している。

二足歩行を会得した一歳児の行動力とパワーは私の予想をはるかに超えたとんでもなさだった。

泣いて己の欲求を訴えるのみだった生き物が、いよいよ自我が芽生え身体中を目一杯使っての感情表現をするようになったのだ。走りたい触りたい舐めたい疲れた嬉しい悲しいのありとあらゆる欲望を3頭身の小さな体をフルに使って披露するのである。外出の際は道端で自分のほどけた靴の紐すらも結ぶ猶予も与えられぬほど見守り体制を強化せねばならない状況になった。これではもう古本漁りどころではない。

 

古本屋に、子供が自由に遊べるキッズスペースがあったらなぁ、オムツ替えシートが付いたトイレが店内にあればいいな、スーパーやベビー用品店が隣にあれば買い物ついでに気楽に寄ってみることも出来るのにな…なんてマイノリティな要望は挙げ出したらキリがない。同時にそんな子連れの理想郷のような古本屋が今自分が住んでいる環境に出来る可能性も0だ。

自分が目の前の課題に工夫して対応するしかない現状、私はしばしの間我慢するという選択肢を選んだ。

 

『キャスト・アウェイ』というアメリカ映画で、無人島生活を終えた主人公(トムハンクス)が帰還を祝うパーティー会場に佇み、そこでおもむろにテーブルに置かれていた点火棒を手に取りカチカチと付いたり消えたりする火をぼんやりと見つめるシーンがある。なんとも言えない複雑な表情で、その様子見たさに私は何度もこの映画を観てしまう。

欲しいものが手軽に手に入ることの味気なさを考えながら、この古本漁り我慢時期を経てから今後味わうであろう古本体験は〝灼熱の太陽の下ギリギリまで我慢してから飲んだキンキンに冷えた生ビールの美味しさ〟にきっと近いぜ、と自分に言い聞かせている。

 

最近、一歳半になる子供が私の行動をよく真似るようになった。

音が鳴るプラスチック製のおもちゃの調子が悪いのでバンバン!と映りの悪いテレビを直すのと同じ塩梅で私が手のひらで叩いて直したのを見て、己も目を輝かせてそのおもちゃを同じように叩く。

幼子の観察眼というのもすごいもので、見たものをたちまち吸収してしまう。

私がクシャッと顔を歪ませて変な顔をすると目の前の子供も同じように顔をクシャッとさせる。ぬいぐるみを抱きしめて見せると棚からぬいぐるみを取り出しギューと頬擦りをする。

〝真似る〟は数ある成長過程の中でも学ぶ行為として特に重要らしい。

 

これを古本趣味に繋がるようどうにか活かせぬものか…とすぐ安直に結びつけるのが私の悪い点なのだが、最近少しだけわかったことがある。

ささやかな出来事を積み重ねていく日々の中で、楽しそうに趣味を謳歌している私の姿を見せ続けることがまさに大切ということ。口当たりの良い言葉でまとめたようだがこれはまさに真理だ。

子供の背中に私の価値観や意志を無理に背負わせることなく出来るナチュラルな古本教育の根っこに気付けたのが最近のトピックスだ。

 

ブックオフで奮闘する母親を姿を見かけた日の帰り道、私は以前見かけた親子のことも思い出していた。

屋外で開催されていた古本市での光景だ。

80歳は優に超えているであろう腰の曲がった白髪のお婆さんが一生懸命均一コーナーで本の背表紙を目で追っていた。それはもう食い入るように見つめていて、私は漁書しつつもその姿をチラチラと近くで観察せずにはいられなかった。

しばらくすると50代くらいの男性がお婆さんの側に近寄ってきた。

「母さん、それにする?ホラかして。」

息子らしき男性は彼女が手にしていた本達を手に取り素早く会計所に向かっていった。

「じゃあ行こうか。喉乾いたろ。どこかでお茶しよう。」

戻ってきた彼の手には母親が選んだ本と自分の買った本のビニール袋がそれぞれ提げられていた。促されるままゆっくりゆっくり歩き始める母親。その隣を歩調を合わせながら進む息子。それは優しく、愛おしい風景だった。

 

「いつか」という言葉には実現しない脆さが含まれているが、同時に未知数の可能性も秘められている。

「いつかあんな風に親子で古本漁りを出来たら最高だな」とポツリと呟きながら子供が待つ家路へと急いだのだった。

——————————–

カラサキ・アユミ

1988年福岡県生まれ。海と山に囲まれた地方都市在住。

幼少期からとにかく古本の事で頭が一杯な日々を過ごす。

肩書きの無い古本愛好者。友人は少ないが古本は沢山持っている。

大学卒業後はアパレル店員から老舗喫茶店のウェイトレスを経て、以降は古本にまつわる執筆活動等をしながら古本街道まっしぐらの自由気ままな生活を送っている。

(※2021年に第一子誕生、現在は子育てに奮闘中!)

著書に、古本漁りにまつわる四コマ漫画とエッセイを収録した『古本乙女の日々是口実』(皓星社)がある。

——————————–