2022.10.26
コラム
先日、母を連れて関西に行ってきた。秋は人を旅に誘う気配が充満している。
母にとって旅行はコロナ禍になって以来なのでかなり久々のイベントで、おまけに二人で泊まりがけの旅に行くのはもうかれこれ10数年ぶりだ。
日頃の感謝を込めた母へのプレゼント旅行でもあったので、夫は今回の母と娘の水入らずの時間を満喫するための留守番役としてアト坊の子守りを快諾してくれた。
旅情感を濃厚に味わうために行きがけは夜行フェリーを利用することにした。ウキウキが隠せない母と共に勇み足で船内に乗り込んだ。
出航と同時に船内の入浴施設でひとっ風呂浴びる。
「小さくなったねオッカサン…」とふざけながら母の背中を流した。
親の背中(それも裸)をまじまじと見る機会って大人になったらなかなか無いよなぁとぼんやり思いつつ、目の前の母の小さな背中に浮き出る背骨を眺めながら「あぁお互い歳を取ったんだねえ」としんみりしたのだった。
湯上がりにラウンジのソファでくつろぎながら、コンビニで買い込んだ酒やツマミやらでプチ宴会を楽しむ。キャッキャ言いながら飲み食いしたのち、酔い覚ましに熱いコーヒー片手に甲板に出て潮風に当たった。
63歳と33歳のはしゃぐ乙女達を乗せた船は深夜の海をグングン進む。
「良い旅にしようね。」
煌々と浮かぶお月様を見上げながら紙コップで乾杯したのだった。
そうして翌朝、寝不足&食べ過ぎでパンパンに顔が浮腫んだ妖怪親子が出来上がっていた。
降船後、電車を乗り継ぎ宿泊先のホテルに荷物を預け身軽になった時点でようやく二人とも頭のエンジンがかかり始めた。
見上げると雲ひとつない青空が広がっていた。
「あぁ、最高の古本日和だ…!」心の中で思い切り叫んだ。
そう、この日大阪天満宮で古本祭りが開催されている情報を私は見逃してはいなかった。今回の親子旅に便乗して立ち寄る気満々だった。
「さぁどこ行くどこ行く?」とスキップしながら前を進む母の背中を見つめながら「親孝行も大事やが…古本も大事なんや!母よ、許せ!」と拳を握りしめた。
「ほ、ほな、大阪人の気分を味わえる場所行こか〜!」エセ関西弁で誘導し何も知らぬ母を連れて目的地へと向かった。
やがて風にはためく古本まつりの幟旗を発見したと同時に、母の表情はみるみる呆れた表情に変化したのだった。
「まさかアンタ…」
ここまできて古本か⁉︎と続く言葉を遮るように「折角だし!ちょっとだけ!私が古本見てる間、商店街歩いたり周辺探検してたら?」ともっともな表情で母を促した。
大阪天満宮の真横には日本一長いと言われる天神橋筋商店街が通っており、そこには人情味溢れるお店が軒を連ねている。まさに大阪ならではの風景だ。
束の間、母に時間をつぶさせるには丁度良い場所だと想定していたのだった。
天満宮境内には古本、古本、古本がてんこ盛り。そしてそれらを貪るようにチェックし吟味する大勢の古本人の姿があった。天国のような風景だ。
ひゃー!こりゃ一日おっても時間が足りんぞ!
喜びの雄叫びを上げながら古本の渦にダイブしたのであった。
だが、場内の三分の一も見終えてない内に母が私の背後に近づいてきた。
気配を察知し振り向くと、何とも不満げな表情が目の前に立っていた。超ミーハーな観光地が好きな母にはこの近辺は物足りなかったようだ。
「もう30分以上は経ったよ。早く行こうよ。」
「グゥッ…」
今やっと調子が出てきた所なのに!まだまだ見たいよこっちは!
思い切って別行動できまいかと提案してみることにした。
母は私が関西で学生時代を過ごしていた頃もちょくちょく一人で遊びに来ていたので、流石にある程度土地勘は残っているだろうという判断もあった。
「あのさ、電車の乗り継ぎとかってわかる?一人で大阪城とか道頓堀とか…すぐそこの駅から簡単に行けるよ…?」
「わからん…何もわからん…」
「携帯にさ、電車の乗り換えアプリ入ってるじゃん?」
「操作の仕方がわからん…」
色々教えようとしてもわからないの一点張りで、この時ばかりは親の老いを目の当たりにしてしまった。同時に自分がいないと何もできない精神状態にある母に対して、小さな苛立ちも芽生えたのであった。昔はシャキシャキ何でも自分がスケジュールを仕切らないと気が済まなかった母が、まるで今は小さな子供のように映った。
しばらく諦めがつかない私の表情を見て察したのか、
「…もういいよ、私は一人でブラブラ歩いて観光して回るから。自力でどうにかするよ。」
そう切なげに言い放つ母の顔を見て、ハッとようやく冷静になった。
本来の旅のテーマは親孝行だったはずなのがいつの間にか、と言うか初っ端から古本漁りにすり替わっているではないか!!!!危ない危ない。
古本を前にすると肉親への情すらも消え失せてしまうのが本当に我ながら恐ろしい。
親孝行、それはつまり母が楽しく旅を満喫できるように最高の引率役を全うすること、よって己の欲求は二の次にすべし!
「アンタ古本やら自由に見て回りたいんやろ。こんな老いぼれがいるせいで…すまんねぇ。」
「なぁーに言ってんの!ごめんごめん。さぁ、次行こうか!」笑顔を作った。
母の背中をポンポンと叩きながら何度も後ろを振り向いて会場を出たのであった。〝大人になる〟とはこういうことなのかもしれない…。
その後お昼に美味しい鰻重を食べている時も、煌びやかな高層ビルから大阪の街を一望している時も、お洒落なカフェでお茶をしている時も、私の頭の中から古本祭りの風景が片時も離れることはなかった。
翌日は朝から奈良を散策した後に京都へと向かった。
旅も終盤に差し掛かり、昨日から蓋を閉めたままだった古本欲がここから出してくれと言わんばかりに私の胸の扉からドンドンと叩いていた。やはり折角の機会、諦められない気持ちがあった。
京都古書会館で即売会が開催されている情報は既にチェック済だった。
会場は京都御苑のすぐ側だったこともあり、京都らしい所に行きたい母には打ってつけの観光名所だし、迷うことも無かろうと思った私は早速短時間の別行動を提案した。
念の為、地図アプリを携帯に入れてあげることにした。不安げな母にしつこいくらい使い方を念入りに教えた。(ただ画面を開いて赤印が今自分の現在地がどこにあるのかを見るという至極簡単な操作なのだが、、、)
母と別れて一人意気揚々と歩き出しながらも、やはり胸はチクッチクリ。
現代版〝姥捨山〟を実演してしまったかのような気分になっていたのだった。
古書会館に足を踏み入れた瞬間も母の寂しげな表情だけは忘れないように努めた。あの顔は今この場に身を置く私の理性でもある。さぁ限られた時間で古本を漁るぞ!気合を入れて会場を練り歩いた。
誰かを待たしているという状況下の古本漁りほど心穏やかではない作業は、恐らく他には無いだろう。だが、豊かな古本文化が根付く関西という土地でこうして漁書作業に勤しめるのは何物にも代え難い楽しさがあった。
1時間半の古本浴を堪能したのち、送られてきた現在地の写真を見ながら小走りで向かう。げっそりした表情の母が立っていた。
「どうだった?楽しかった?」
「…ずっと砂利道を歩いてたよ。自転車に乗ってる人達がほとんどで、ぐんぐん追い抜かされたよ。」
この返答を聞いて、初めて私は自分の痛恨のミスに気づいたのだった。
京都御苑が母にとって時間を潰すには厳しい場所であったことに。
そこがどんな場所なのかもよく把握していなかったのだ。
「そんで道の途中で外に出て鴨川までテクテク歩いて…ずっと川を眺めていたよ。疲れちゃった。」
「ッ…!」押し寄せる怒涛の罪悪感。
戦利品の古本が入ったビニール袋を握る自分の手に汗がブワッと滲むのがわかった。
その後、お腹を空かした母を慌てて美味しいと評判の老舗洋食屋に連れて行き、冷えた瓶ビールと熱々のグリル定食で何とか楽しく旅の締めくくりを迎えるに至ったのだった。
穏やかな空気が流れる帰りの新幹線の車中、今回の旅で撮影した写真をお互い見せ合いっこをした。反省点は多くも楽しかった旅を振り返った。
母が撮影した膨大な数の写真の中に、とても好きな一枚があった。
初日の古本まつりの風景だ。沢山の人たちが本を探している後ろ姿。
そして、脇の方には今からまさに古本狩をせんと意気込む私が写りこんでいた。
ナルシストと言われればそれまでだが、私は自分を他面的に見るのも好きだ。
母が撮った写真に写る私は、子を持つ母の顔でもなく母を待たせる娘の顔でもなく〝好奇心に取り憑かれた人間の顔〟をしていた。
あぁ、自分こんな顔で古本見てるのかぁ…ふふっ…。
何だか急に可笑しさが込み上げてきた。
ふと隣に目をやると、一緒に携帯画面を覗き込んでいた母も同じようにニヤニヤ笑っていたのであった。
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カラサキ・アユミ
1988年福岡県生まれ。海と山に囲まれた地方都市在住。
幼少期からとにかく古本の事で頭が一杯な日々を過ごす。
肩書きの無い古本愛好者。友人は少ないが古本は沢山持っている。
大学卒業後はアパレル店員から老舗喫茶店のウェイトレスを経て、以降は古本にまつわる執筆活動等をしながら古本街道まっしぐらの自由気ままな生活を送っている。
(※2021年に第一子誕生、現在は子育てに奮闘中!)
著書に、古本漁りにまつわる四コマ漫画とエッセイを収録した『古本乙女の日々是口実』(皓星社)がある。
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