コラム

2022.09.27

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カラサキ・アユミ氏 コラム 子連れ古本者奇譚 第10回「誰だって〝プロ客〟になれるのだ」

1週間の昼飯を日の丸弁当で過ごし、削った食費とアルバイト代を使って好きなブランドの数万円する洋服を購入する。

これは大学時代の夫の体験談である。

 

数千円のブラウスを手に取りレジに向かおうと数歩進んだところで「いやいや、節約しなくちゃ。やっぱり我慢しよう。」と回れ右して商品を戻して店を出た後、古本にあっさり大散財してしまった。

これは私のつい最近の体験談だ。

 

ストイックな精神のもと倹約に努め好きな物を手に入れる夫と、時に理性と本能を使い分け衝動的に好きな物を手に入れる私。それらの消費行動は一見異なった空気を醸しているようだが、〝手に入れた時に噛み締める計り知れない喜びや幸福度〟は共通しているに違いない。

 

先日、地元のとあるブックイベントに出店者として参加させていただいた。

メインである京都の書店さんの出張販売コーナーでは、机に所狭しと並べ積み上げられた沢山の新刊達が眩しい光を放っていた。

どれも地元の新刊書店には置いていない珍しく面白そうな本達ばかりで、刺激的な本に飢えている地方の本好きにはたまらない展開になっていた。

やがて来場者の一人一人がゆっくりと、そしてじっくりと自分の琴線に触れる一冊を手に取り選んでいく。若い男女が手に数冊抱えて棚を真剣に眺めている姿がとりわけ印象的だった。普段の生活ではなかなか目にすることができない、目の前の静かな熱気に包まれたその美しい風景に私は感動していた。本と人との濃密な時間が流れていた。

 

「これも欲しいけど…全部買ったらすごい金額になっちゃう…でも今日買わないと後悔しそう…」

イベント当日に知り合った女性Aさんが新刊本が並ぶ平台の目の前で身悶えていた。手には既に3冊の本が抱えられている。

わかる、激しく共感。

かくいう私もこの日イベントで得た売上金を綺麗さっぱり全て新刊に溶かしてしまっていた。(むしろマイナスになっていた。)

大量の古本を売ったお金で新刊を買う。

錬金術の実演ショーを一人華麗に繰り広げたのであった。

頷く私を前にAさんは続ける。

「この本もあの本も欲しいけど…あぁ明日からもやししか食べれなくなっちゃう…」

 

そうなのだ。

綺麗事を抜きに正直に吐き出してしまうが、やはり本は高い。

内容を考えたら安いもの、一冊の本が生まれるまでの過程を考えれば納得のいく金額だとは頭の中で理解していても、日々の生活を引き合いに出して金額の重さを対峙させる理性は誰しもが持っているだろう。

新刊の単行本を3冊買った時点で5,000円は軽く飛んでいってしまう。写真集や装丁が凝ったものになると一冊3,000円を超えてしまうものもザラにある。文庫本も然り。

物価も上がり生活が決して楽にはならないこのご時世、好きな本をパッと何冊も買えない歯痒さを感じざるをえない暮らしにくい世の中になった。だが、本好きにとって本は嗜好品ではなく必需品だ。

よって書籍代を削ることは喉の渇きを潤す水が手に入らなくなるのと同様、かなりのストレスになる。

 

それにしても、魅力的な本を手にした瞬間の興奮や自分の物になった時の喜びは例えようがない。好きな本が手に入った瞬間に押し寄せる贅沢で上質な気持ち。だから無理をしてでも買ってしまうのだ。たとえ明日食べるご飯がなくてもこの本があれば幸せバラ色ハッピーだから大丈夫…そんな刹那的に生きる衝動を後押ししてくれる不思議な存在、それが我々本好きにとっての本。

財布に入ったお金を全部使ってしまっても後悔が残らないのが本の良いところだ。本は形として残るし(嵩張ってはしまうが)読むことで得る世界や発見は膨大だし、何より、好きな時に何度だって手に取り繰り返し読むこともできる。(読む時間がなくて積読のままになることも多々だが。)

言うなれば金の延べ棒よりも価値のある財産なのだ、少なくとも自分にとっては。

 

そんな話を肩を並べお互い語り合いながら結局、ジレンマに揺さぶられていたAさんはしばらくすると「…よし!」と気合を入れ、4,000円近くする写真集も新たに加えて数冊の本達を会計に差し出していた。

大枚をはたいて欲しかった本達を手に入れた後のAさんの高揚感と爽快感がみなぎる顔は、自分が本屋のコマーシャル監督だったら絶対に使いたいと思わせる極上の表情だった。(その顔を見て、私も相乗効果でまた本が欲しくなってきた。)

Aさんはじめ、この日それぞれ本を買っていくお客さんの顔はどの人も同じような表情で、「幸せを味わう人達」というタイトルで写真集を作りたいくらい皆々物欲と仲良く手を取り合っている様子が何とも楽しげだった。

そして、買った本が入ったビニール袋を持つ各自の手からは生命力が溢れ出しているのであった。

 

さて、その日の晩はトークイベントが開催され(「ローカルにスポットを当てた本商いについて」がテーマ)、それがまた思わず握り拳で前のめりになってしまうほどに始終面白い話が耳に飛び込んできた。

書店という商売の特徴、SNSが主流となった現代の商いの姿、消費者の意識変化など、新鮮な話題ばかり。

例えば、3,000円の本を一冊売るのと3,000円のトートバックを売るのとではどちらの方が利益に早く繋がるかなど(後者の方が消費者の財布の紐が緩くなる傾向にある)、物に対する人々の価値換算の仕方の話には「ふぅむ」と考えさせられてしまった。

なかでも〝プロ客〟という新たに知ったフレーズがとても印象に残った。

トークの中では「常にアンテナを張り嗅覚を研ぎ澄ませ、常に色んな場所(店)に単独で出向き楽しんでいる人物」のことを指していたのだが、なんともカッコイイ名称ではないか。

プロ客!プロ客!プロ客! 何度も口ずさみたくなる良い響き…。

 

話は変わるが、以前、別紙での連載で〝古本屋(本屋)にとって良いお客とは?〟というテーマで書いたことがある。

その中で私は「本を一冊でも買う人が良いお客」と至極真っ当な考えを熱っぽく綴った。要は、店に利益をもたらしてくれる人がそれに該当する、と。

店主に一方的に話すだけ話して満足して手ぶらで帰る人、店内の写真撮影だけして本も見ずに出ていく人、本の扱い含めマナーが悪い人…

驚くなかれ、店に訪れる人間模様は常識ある人から不可思議な人まで実に様々なのだ。特に昨今ではSNSでの情報拡散もあり、時に「えぇぇ⁉︎」と驚くような珍奇な行動を取るお客さんの存在を知ることもある。

又、新旧問わず古本屋さんが書いたエッセイや古本屋店主が発信するSNSにも必ずと言っていいほどお客とのやりとりが描かれていて、「こんなお客さんがいるんだなぁ」とそれがまた大変面白い。

常連、一見、玄人、素人、冷やかし…

一口にお客と言っても色んな種類に分けられるのも興味深い。

 

好奇心が騒ぎ、後日〝あなたの考えるプロ客とは〟と身近にいる他者に聞いてみた。

夫から返ってきたコメントは「一つの店に長年通い続けるお客。筋金入りの常連。」

知り合いの男子学生に尋ねると「普通の人より沢山買う人じゃないっすかやっぱり。プロだから勢いが凄そう。」とのこと。

なるほど、人によってイメージは様々だ。

自分はというと言葉を聞いて真っ先に思い浮かんだのが

「何にも縛られず好きな世界に取り憑かれている自分自身を楽しんでいるお客」だった。勿論最低限のマナーやルールを厳守する人であることも必須条件だ。だってプロだから。

本に関していえば「未知なる一冊の本との出会いの喜びを噛み締められる人」がまさにピッタリなように思えた。

訪れた店で、あるいは場所で、その空間の魅力を味わっている瞬間、そして好きな本を探し当てたその瞬間、普段ベールに包まれている〝プロ客〟の顔が露わになるのである。

 

そう、なんと素敵なことにプロ客には誰でもなれるのだ!

そして楽しむ喜びを知っている「プロ客」が、大なり小なり利益をもたらす「良い客」になると「ハイパー客」に!

 

私、足腰が立たなくなるまでハイパー客を極めたい…!

こうして人生目標がまた新たに一つ打ち立てられたのであった。

(近所でも有名な古本好きハイパーご隠居さんとしてルンルンしながら古本買いに出向く理想の自分像を想像してニヤニヤ。)

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県生まれ。海と山に囲まれた地方都市在住。

幼少期からとにかく古本の事で頭が一杯な日々を過ごす。

肩書きの無い古本愛好者。友人は少ないが古本は沢山持っている。

大学卒業後はアパレル店員から老舗喫茶店のウェイトレスを経て、以降は古本にまつわる執筆活動等をしながら古本街道まっしぐらの自由気ままな生活を送っている。

(※2021年に第一子誕生、現在は子育てに奮闘中!)

著書に、古本漁りにまつわる四コマ漫画とエッセイを収録した『古本乙女の日々是口実』(皓星社)がある。

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