コラム

2022.08.25

コラム

カラサキ・アユミ氏 コラム 子連れ古本者奇譚 第9回「真夏の東京、古本達にサヨナラ告げて」

 

蝉が鳴き狂う八月某日、ようやく昼寝を始めた息子の隣で、私は手に汗を握りながらずっと携帯の画面と睨めっこしていた。

Googleマップを開いてはその後に電車の乗り換え検索画面を開く。

この動作をひたすら繰り返す。頭の中のモーターは稼働領域を超え、もはや知恵熱が出そうになっていた。

「やはりどう考えても無理か…。何か、何か方法は無いのか。」

深いため息を漏らしながら、先ほどから酷使している眼を検索結果が表示された画面から離し、宙をぼんやりと眺める。

この数日〝お盆の帰省にかこつけた古本漁り〟というインポッシブル案件をどうにかクリアできないか必死に画策していたのだった。

遡ること数ヶ月前、夫がその高額さに戦慄きながら汗ばむ指先で購入ボタンを押し、無事に盆の東京行きの航空チケットを取った6月半ば。夫の実家は茨城県なのだが、通過地点とは言え久方ぶりに東京の地に降り立つとなるとこちらも自然と気持ちが浮き足立ってきた。

「あのさ、東京でちょろっと寄り道出来たりしないかなぁ…。」と、すかさず軽めのジャブを打つ感じで夫の様子を伺ってみた。

勿論、寄り道=古本屋及び古本にまつわる催事を意味する。

「は?何言ってんの?アト坊もいるし無理に決まってんじゃん。」

やはり即答か…。いや、わかってはいた。だがしかし、いつ いかなる状況であっても淡い期待の花を咲かせたっていいじゃあないか。

「あのさ、今回の帰省は滅多に会えない両親に孫の顔を見せに行くのが目的なんだからね。」と間髪入れずに釘を刺された。

うむ、ごもっとも。おっしゃる通り。私ももう子を持つ親という立場だ。さすがに床に寝転がり手足をジタバタさせて「チェッ!折角トーキョーに行くのにさぁ!古本屋行きたいよー!」と、おもちゃを買って欲しいが為に顔を真っ赤にして駄々をこねる子供のような真似はしなかった。地団駄を踏もうとする衝動をすんでのところでグッと堪えた。

しかし、大人の決断をしたものの、名残惜しい気持ちは消えることなく日々は流れていったのであった。

やがて、さぁ来週には帰省が迫っているというタイミングになると、ムクムクとこの諦められない気持ちが膨らんできた。

そうして私の悪あがき(携帯と睨めっこ)が始まったのである。

仮に1時間だけ自由時間があるとすれば上野駅(ここから茨城行きの常磐線に乗るので)を起点にどこの古本屋に行くことができるのか。

だが、いざ調べれば調べるほど頭の中の糸がこんがらがるような状態に陥った。

なんせ各所に点在している古本屋と現地の位置関係が全く理解出来ていない上に、地方とは比べ物にならない電車の路線の多さときた。子供を連れて限られた短時間で見知らぬ土地を移動する難しさを携帯画面越しに痛感したのであった。

 

夫の故郷へは、福岡の我が家を朝4時半に出発した場合、最短でも到着するのは昼の1時だ。飛行機に乗り、電車に長時間揺られた後に別の電車に乗り換え、最寄り駅からは車で迎えに来てもらわねばならない。

山と川に囲まれた広大な田園風景広がる、絵に描いたような美しくのどかな田舎に夫の実家はある。勿論、自販機も半径1キロ以内に無い。コンビニもスーパーも車無しでは行けない。

高校時代、夫は自転車を最寄り駅と乗り換え駅にそれぞれ配置し、それら2台を駆使して通学していたそうだ。自宅から歩いて数分のバス停から1時間とかからず通学生活を送っていた自分からすると大変アンビリーバボーな事実だった。

 

では茨城滞在中、実家を起点にして古本に触れる機会は作れぬものだろうか、と発想を切り替えてみた。

そんなことを考えていた矢先に、お盆期間中に栃木は宇都宮の百貨店で大きな古本即売会が催されるという情報が目に飛び込んできた。

試しに携帯の地図で会場の住所を入力し場所を確認する。

表示された地点は夫の実家の場所から山を挟んだ位置に示されており、携帯の小さな画面越しに見た平面地図だと双方の距離はかなり近いように感じられた。

茨城県と栃木県の位置関係もぼんやりとしかわかっていなかった自分にとって、それは思いがけないチャンスのように映った。

「これは、もしやイケるかも…⁈」

喉をゴクリと鳴らしながら、夫の実家のマーク地点と宇都宮の即売会場までの移動経路をすぐさま検索した。

ーーーーーーーーーーーー

公共交通機関で2時間半

車で高速を利用して1時間半

徒歩16時間

ーーーーーーーーーーーー

検索結果が出た瞬間、ものの数秒で私の喜悦は儚く散った。

ここに至り、やっと茨城が所持する広大な土地の恐ろしさを知ったのであった。車や電車利用でせいぜい30〜40分くらいかなと想像していたがとんでもなかった。私は完全に茨城を甘くみていた。

おまけに交通費も片道3,000円はくだらない。なんてこった。

「この山が!この山を切り開いた交通の便があれば一瞬で栃木なのに!この山が邪魔なんだよぉ!大回りするルートしかないじゃん!」

悲しみのぶつけどころが地形にまで及んだ。

これで完全に万策は尽きた。だが、一応想像だけはしてみた。

「お義父さん、あのぉ〜、古本漁りに行きたいんで車出してもらっていいですかぁ〜?」もしくは「お義母さん、ちょっと古本買いに行くんで半日ほど子供の面倒見てもらっていいですかぁ?」

……いやいやいや、久しぶりに会う義理の両親にこんな図々しい頼み事をする嫁なんてこの世の中のどこにいる⁈ ないないない‼︎

シミュレーションしながら自分で自分にツッコミを入れてしまった。

ちなみに夫の両親はとても優しい。私が古本狂いであることも勿論ご存知なのだが、あえて話題に出さず胸の引き出しにそっと仕舞ってくれている。芋が好きな私の為に、美味しい干し芋をいつも大量に段ボールに入れて送ってくださる。

そんな大切な二人にこんなトンチキなお願いは出来ない…!

ましてや私だけ抜け出して外出するなんてとんでもない。

 

もう…諦めよう。

お盆は古本欲を断ち切り、お義父さんお義母さんとアト坊の楽しい思い出作りに全力投球するんや!そうしよう!

 

やがて帰省当日を迎えた。

子供を連れての長距離移動は年末以来なので、前日はなんと緊張のあまり一睡も出来なかった。なんせ子連れの長距離移動は様々な関門をクリアせねばならない。1歳も過ぎると出来ることがグンと多くなって自我も芽生え、おまけにじっとしてはいられない。行きの飛行機の中で、電車の中で、阿鼻叫喚の図になる可能性は十分にあり得る!

そんな最悪の事態を想定しながら臨んだが、幸いなことにそれらの不安は杞憂に終わった。(心配する母をよそにずっとニコニコとお利口に過ごしてくれていたアト坊であった。さすが我が息子!)

 

さて心に余裕が出来てくると蓋を閉じていた古本欲もひょっこり顔を出し始めてきた。

山手線に揺られながら眺める車窓。慌ただしく行き交う大勢の人々の姿や、鉄の帝国と言わんばかりの高層ビル群が目の前を通り過ぎて行く。「あぁ、今自分は東京にいるんだ。古本魔都に足を踏み入れているのだ…。」と感慨に耽った。

 

乗り換えの上野駅から茨城行きの電車を待っている間、ホームから夏の青空を見上げる。

大都会の片隅で静かに次の持ち主を待つ古本達が私を誘い呼ぶ声が聞こえてくる…ような気がして、唇をキュッと噛み締めた。

そして奇しくもこの日は高円寺の西部古書会館で雑本市が開催されている日だった。まさに今の私はお預けを食らった犬のような心境だった。

だが、同時に仕方がないと納得する気持ちもあった。

二足歩行がまだ若葉マークの重さ10キロを超す子供を抱っこしての移動、それもお盆の人出が多い雑踏の中。

そんな状況下で幾つもの電車の乗り換えをこなして古本を漁りに赴くのは精神的にも肉体的にも流石に無理がある。そして何より、この暑さの中大人の都合に付き合わされる我が子も不憫だ。

そう、現実には情熱だけではどうすることも出来ぬこともままあるのだ。こうして私は東京の空の下でやっと冷静になれたのだった。

やがて温風を吹き上げながら茨城行きの特急列車がやってきた。

「さらば…!」心の中で東京に存在する古本達に別れを告げ、大きく一歩を踏み出し車内に乗り込む。

冷房が効いた座席にやっと落ち着くと、アト坊もどこかホッとしたような表情に。冷たいお茶を飲ませながら「うん、今回は無理をしなくて良かった。これで正解だったんだ。」と素直に感じていた。

そんな私の心情を察した夫がポツリと言葉をかけてくれた。

「いつかまたね。楽しみは逃げないよ。」

 

こうして気持ちが新たになった私は、夏休みの子供のようにワクワクしながら夫の両親が待つ家へと向かったのであった。

 

——————————–

カラサキ・アユミ

1988年福岡県生まれ。海と山に囲まれた地方都市在住。

幼少期からとにかく古本の事で頭が一杯な日々を過ごす。

肩書きの無い古本愛好者。友人は少ないが古本は沢山持っている。

大学卒業後はアパレル店員から老舗喫茶店のウェイトレスを経て、以降は古本にまつわる執筆活動等をしながら古本街道まっしぐらの自由気ままな生活を送っている。

(※2021年に第一子誕生、現在は子育てに奮闘中!)

著書に、古本漁りにまつわる四コマ漫画とエッセイを収録した『古本乙女の日々是口実』(皓星社)がある。

——————————–