コラム

2020.04.29

コラム

古本屋見聞録6 岡崎武志

均一箱の文学全集

由々しき事態となってきた。4月20日段階で、拡大するコロナ禍の影響が古本屋という業態にも影響を及ぼすようになってきた。神保町を始め、都内の多くの店が休業を余儀なくされているのである。いやあ、困った困った。「新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言および休業要請を受け、4月16日より5月6日まで店舗を「休業」致します」とは、都内某店がホームページに出した告知。他店もだいだい、同様の意向である。とくに都の要請で営業自粛を求められる店舗に、古本屋が指定されてしまったことが大きい。100㎡以下を対象外とするという条件がついて、大型チェーン新古書店以外でそれほどの規模を有する個人店はないが、「古本屋」が名指しされた影響は大きい。4月16日から連休明けの5月6日まで休業すると、協力金として単一店舗の場合は50万円、2店舗以上の場合は100万円が支払われるとのことで、それならと決定した店も多くあると思われる。

同じく「本」を取り扱う新刊書店はセーフで、古本屋がなぜアウトか。「不要不急」のキーワードがまかり通り、後者が「趣味的」である、というのが理由だそうだ。このことは議論してもしょうがない。古本屋へ行かない人の間で、そういうイメージが抱かれているという点は認識しておきたい。

駅からは少し離れた10坪程度の広さを持つ都内某店を以前に取材した時、やってくるお客さんの話を店主からいろいろ聞いた。メモが残っているので、ここで紹介しておきたい。

とにかく古本屋にはいろいろな客がやって来る。それは、この商売を始める前には想像もつかなかったようなことだった。70代の年輩男性客は、来るたびに池内紀の本を買っていく。いい趣味だ。聞くと「仕事をやめて、今は時間がたっぷりある。たくさん本を読める時間があることがうれしい。だから読む。古本屋はいっぱい本が買えて、いっぱい読める楽しさがある」。年金生活者にとって、なかなか新刊書店で「いっぱい本」を買う経済的余裕はないかと思われる。「いっぱい本」を買う楽しさがあるということを古本屋が教えてくれる。

こちらは若い女性。「旧仮名遣いで書かれた本が読みたい」と言う。うーんと店主は考え込んだ。そういう需要にどうこたえるか。漱石だって古い版なら旧仮名の本がある。考えたあげく、間違いのないところで「幸田露伴」を奨めた。露伴なら「旧仮名」で読む方が雰囲気もある。なるほど。

古い文学全集を持ち込んだ客がある。「図書館でも引き取ってもらえない。古本屋でも引き取ってもらえない。しかし、捨てるにはしのびない」と、すがるように言う。同店でも買い取りはできないが、客の気持ちはよく分かるのである。結局、誰かの役に立てばと金を取らずに運び込んできた。客の意志を生かし、100円で店頭の均一箱に放り込んでおいた。すると、忘れた頃に、1冊2冊とぽつぽつ売れていく。店主は改めて思うのだ。「捨てればただのゴミ。しかし、1冊100円でも誰かの手にわたれば、また生きていく」。

 

古本が売れた時代

この古本屋における多様な嗜好性を「趣味的」と切り捨てればそれまでのこと。ただし、書物文化にとっては、多く「有要有急」であるとも思われるのだ。そんなことを強く思うのは、青木正美『古書と生きた人生曼陀羅図』(日本古書通信社)を読んだせいもある。1933年東京生まれの著者は、53年から葛飾区堀切で「青木書店」を開業、店は息子さんに譲ったが、健筆で古書関係の著書多数の人物なのだ。本書では、戦後から現代まで、主に下町で営業した古本屋店主たちの姿を描く。これがめっぽう面白い。

東京の山の手、下町の定義と区分は難しいが、いま荒っぽく足立、荒川、葛飾、江東、墨田各区を念頭において話を進めれば、細い路地、小さな工場、元気のいい商店街、低層住宅と木造アパートの群れが映像として頭に浮かぶ。いわゆる「庶民」の町を指し、かつては貸本屋、古本屋がたくさん点在した。青木さんの調査によれば、昭和16年の組合員名簿には、上記の区に相当する地域に、300以上の古本屋が存在した。現在はせいぜいその10分の1ぐらいではないか。とにかく、古本がよく売れた時代があったのだ。

サトウ書店・佐藤芳次郎は明治末年生まれ。露店営業から始め、昭和14年店舗を持つ。戦時中は工場に徴用され、敗戦後の昭和25年、千住新橋北詰に「サトウ書店」を再開。この時、青木さんは古本好きの客の側だった17歳。「これほど客で埋まった古本屋を見たことがなかった」と書く。特に娯楽雑誌が飛ぶように売れた。「すでにテレビ放映は始まっていたが、まだまだ下町の人たちの娯楽の中心は読書だった」。今から考えると夢のような話だが、子どもたちは月刊だった少年少女雑誌に食いつき、若い男女は各100万部以上の雑誌だった『平凡』『明星』の発売を心待ちにした。風呂(銭湯)帰りの労働者は、古本屋に立ち寄り、読み物雑誌や時代小説、推理小説を購い、一杯ひっかけながら就寝までの時間を読書に費やしたのである。古本は売れて当然。棚がごっそり空いたら、そこに補充すれば済んだのである。これは店主もやりがいがあっただろう。

売り買いが盛んで店の商品の回転率がいいと、買い取りの値段も今よりよかったと聞く。人気商品ならまたすぐ売れると分かっているから、高めに買っても利益が出た。「薄利多売」なんて言葉が生きていたのである。ご承知の通り、現在でも「薄利」の商売ではあるが、「多売」が通用しなくなった。私小説作家の小山清(1911  ~65)に「落穂拾い」という古本屋小説の傑作がある。著者と思われる「私」は売れない小説家で、貧しく暮らしているが、駅前近くの小さな古本屋「緑陰書房」へ行くのを楽しみにしている。店主は高校を卒業して開業した少女で、古本屋を始めた理由を「わたしはわがままだからお勤めには向かないわ」と言った。この健気な少女と、もう若くない「私」とのささやかではあるが心温まる交流を描く。戦中戦後しばらく、高度成長期あたりまでの東京の町の片隅に、このような小さなドラマが古本屋を舞台に展開されたのではないか、とひそかに想像してみるのである。

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岡崎武志(おかざき・たけし)

 

1957年大阪府枚方市生まれ。1990年単身上京。雑誌編集者を経てフリーに。古本ネタ、書評などを中心に執筆。さかんに神保町かいわいに出没。「神保町ライター」と名乗ったこともある。著作に『女子の古本屋』(ちくま文庫)、『古本道入門』(中公文庫)、『蔵書の苦し

 

み』(光文社知恵の森文庫)、『ここが私の東京』(扶桑社)など多数。近著に『これからはソファーに寝転んで』(春陽堂書店)がある。

 

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