2020.04.12
コラム
なんだか混沌とした世の中の空気、もう吸いに吸いすぎて胸が爆発しそうな状態を何とか堪えてはやり過ごす、モヤのような微かな不安の影を心の何処かに抱えながら見えないふりをして日常を過ごす。そんな日々が続いています。
そして不要不急の外出を避け、休日は自宅に籠る事が最良の行為であるという“常識”も浸透しつつあります。
なんだかもどかしい気持ちに囚われてしまいますが、発想を転換してしまえばこんな時こそ長年買い溜めてきた古本達のページをめくるチャンスです。きっと私と同じように部屋の本棚や又は床に積んだ蔵書に改めて熱い視線を向けた古本者の方々はかなり多いのではないでしょうか。しかし、結局は玄関に向かい、つっかけを履いてフラフラと散歩に出てしまう自分が居ました。いくら時間を潰す本が大量にあるとはいえ家で長い時間じっとしていると、まるでグラついた机の上に立ち危なげにバランスを取りながら電球を取り替えているかのような心持ちでムズムズしてくるからです。元来、子供の頃から落ち着きのない私は静かに過ごすという習慣に疎遠なまま今日まで人生を歩んできました。幸い、今は海と山に囲まれた小さな街の外れに住んでいます。そんな訳で人の往来がないお気に入りの自然の散歩道が沢山あります。近所の山道を歩きながら、思いっきり深呼吸をしたり目に入るものを観察したり、色んなことを連想したり、過去を振り返ったり、未来の事を想ったりします。又、こうした何気ない散歩は日常を客観視する時間になり得る事も多いです。普段、当たり前すぎて見過ごしていることや意識していなかった事柄に気付かされたりもします。時に埋没していた記憶が呼び覚まされ、ハッとする事もあります。今自分が抱えている霞みがかった複雑な思いが具体的にどういったものであるのかが明確になる瞬間もあったりします。
枯葉を踏み歩きながら、私はある古本屋のことを思い出し始めていたのでした。
高校3年の受験生時代、私には息抜きの場所がありました。当時通っていた塾に行く道中にあったK書店という昔ながらの街の古本屋で、店の前には真っ白いワゴンに100円の文庫本や単行本が並べられており、ガラス張りのサッシ扉の向こうには店の奥まで続く本棚を照らすオレンジがかった照明の光が温かな雰囲気を放っていました。ここで古本を観察したり採取したりするのがひとときの心の安らぎになっていたのでした。
とは言え財布事情もあり、もっぱら屋外の均一ワゴンを覗いては時々面白げな背表紙を選んで買うのが当時の私には精一杯でした。サッシを開けて店内に入るのは会計をする時だけで、ワゴンの中に気に入った本が見当たらない時はそのまま入店する事なくその場を離れていったのでした。店内には更に気になる本や魅力的な本が並んでいることはわかっていて、それらをじっくり眺めてみたいという気持ちは猛烈にありました。しかしそれらを手に入れるだけの経済力がない現状、そして欲しいのに買えないという歯痒さを味わいたくないという気持ち。ましてや受験戦線に身を置く自分が参考書でなく古本にうつつを抜かす事がとんでもない道楽に浸っているように思えたからでした。
ある日、会計待ちをしている間にレジ前から体を動かさず目線だけを店内でキョロキョロさせていた時でした。その様子を見ていたお店の奥さんが「店の中もゆっくり見て行ったら?」とお釣りを準備しながら私に声を掛けてくれたのです。咄嗟の会話に「え! いえ、でも… 買えないので… あ、なんかすみません…」と私がしどろもどろに答えると奥さんは大きな目をさらにまん丸く見開いて笑い始めました。「ハハ! 買えなくったって見るだけでもいいのよ! 見るのはタダなんだから! ハーハッハッハ! いいじゃないの、別に。将来高給取りになったら沢山買いに来て頂戴よ。ね! ハハハ!」と、それはそれは豪快な調子で言い放ってくれたのでした。その後ろでは物静かな店主のおじさんが何やら本の手入れをしながら小さく笑って頷いていました。こうして奥さんに笑い飛ばされた後、なんだか自分の心の奥底に隠してあった気持ちが丸ごと引っ張り出され、そして気負っていた部分を取り除いて貰ったような気分になったのでした。
それから大学進学で地元を離れた後も、少ないアルバイト代を財布に入れてK書店詣をするのが帰省した際の楽しみになっていました。半年に数回程度しか訪れる事がなかったにも関わらず毎回お店に行くと「あらぁ! お久しぶりねぇ〜!」と笑顔で出迎えてくれる奥さん、そして軽く会釈をしてくれる店主のおじさんの姿がありました。こうして“地元にK店がある”というのは私にとって絶対的に“当たり前の事”になっていたのでした。
やがて大学生活もあっという間に3年の月日が経ち、春休みに地元に帰省したある日「さてちょっくら行ってみるか」と、街に出ていつも通りK店に向かうとなんだか様子がおかしい事に気が付きました。店まで続く一本道、いつもなら遠巻きに姿を見せていた屋外の均一本ワゴンが見当たらないのです。まさか… と思いつつも「もしかしたら休業日なだけかもしれない」そうドキドキ胸を抑えながら歩くスピードを上げました。しかし店の前まで辿り着いた瞬間飛び込んできたのはシャッターに貼られた“テナント募集”の張り紙だったのでした。私はしばらく呆然としたままその場に立ち尽くしてしまいました。あの時のショックは今でも思い出すたびに胸がキュッと締め付けられます。当たり前にあると思っていた存在がある日突然自分の前から消えてしまったという喪失感をこの時に私は初めて知ったのでした。
あの気のいい奥さんはどこにいってしまったのだろう。いつも静かに帳場に座っていた店主のおじさんはどうしているのだろう。あの均一ワゴンも店内の風景をもうこの目で見ることも、棚に並ぶ本達を手に取ることも出来ないんだ。あの場所はもう二度と帰って来ない。なぜ閉店したのかいつ閉店したのか、時々顔を覗かせる一介の客でしかなかった私には店の事情を知るすべはありませんでした。
自分がいつかこの世からいなくなるのと同様に、自分の好きな場所も又、いつかはなくなってしまう、そしてそれはいつどうやって訪れるかわからない。これは当たり前に過ぎる日常に潜む事実でもあります。
悲しい思い出をぼんやり振り返りながら、やがて山道を抜け、周囲に畑が広がる緩やかな傾斜の下り坂を歩いていくと苔だらけの狛犬が出迎えてくれる小さな神社へと辿り着いたのでした。平日の夕暮れ時、いつもは犬を散歩させているお爺さんや畑仕事を終えて境内の石垣に腰掛けて談話しているお婆ちゃん達が居ますが、この日は誰一人おらず砂利の上を踏み歩く私の足音だけが境内に響き渡りました。
普段は通り過ぎるだけだったその神社の鳥居をくぐり、帰りに缶ジュースでも買うかと出掛けにポケットに突っ込んだ百円玉を取り出してしばらく手の平に置いて眺めました。やがてそれを握りしめ、念をかけるようにその拳をおデコに当てながら私は目を閉じました。この空の下に存在する沢山の古本屋の事を想いながら。困難を強いられながらも懸命に今日もお店を守っている店主達の姿を浮かべながら。次の瞬間お賽銭箱に投げ入れ、目をカッと見開いたままパンパンッと勢い良く手を合わせ祈りました。
困った時の神頼み、とはいえ勿論百円玉一枚と私の念でこの不穏な世の情勢を一掃してもらえるなんて思ってもいません。これはむしろ神様を前に我が身に気合を入れたという方が相応しいかもしれません。お参りを終えた後、不思議と心中は先ほどまでざわついていた状態から穏やかさを取り戻していました。
自分はお客として足繁く通えない今、古本屋にとってはちっぽけで無力な存在です。それでも今日を生きて明日も生きて、そして大好きな古本屋という場所にまた足を運べるように身も心も懐も常に準備万端にしておく事が今の自分が出来る最良の過ごし方なのだと、そうはっきりとした心持ちで、西日に照らされた狛犬のつぶらな鼻の穴を眺めながら深く深く息を吸い込んで吐き出したのでした。
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カラサキ・アユミ
1988年福岡県に生まれる。幼少期よりお小遣いを古本に投資して過ごす。
奈良大学文化財学科を卒業後、(株)コム・デ・ギャルソンに入社。
7年間販売を学んだ後に退職。
より一層濃く楽しい古本道を歩むべく血気盛んな現在である。
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