2022.04.26
コラム
地元で開催されるフリーマーケットで古本を売ってみることにした。
一箱古本市や古書即売会をはじめ本好きが集うイベントにはこれまで何度か出店した経験があるのだが、いずれも静かな熱気に包まれ、本と対話するかのように一生懸命自分の琴線に触れる一冊を、丁寧に探すお客さん達の姿が目立った。
「では、本を買う予定のなかった人達の視界の中に古本を広げて売ってみたら、果たしてどんな光景が見れるのだろうか。何か違いが見つかるだろうか。」という漠然とした、小さな好奇心が私の中に芽生えていた。子供からお年寄りまで集う地域のフリーマーケットはそれを観察するには打って付けのイベントのように思えた。
出産を機に少しずつ整理をしてきた不要な本を段ボール10箱にまとめて(それでもまだまだ減らない我が家の蔵書…)当日会場に向かった。
大判写真集から単行本に文庫本、雑誌に漫画、現代の本を中心にジャンル様々な大量の本達を全て100円均一で販売する事にした。儲け度外視のまさに持ってけドロボー!価格だ。(値付けをする暇が無かったというのが正直な所だったが、このまま自宅で眠らせておくよりは誰かの元に嫁いだ方が本も幸せだろうし、何よりこの金額なら気軽に興味を持ってもらい易いだろうと見込んだのだった。)
やるからには徹底的にと、以前ノリでネットで購入した古本市幟旗も持参して臨んだ。宣伝には十分な存在感になった。
さて、フリマあるあるなのだが、開始前に出店物のチェックをして回る気の早すぎるフリマハンターがどの会場にも必ず1人か2人はいる。今回は70代くらいの老夫婦だった。巨大なお団子のビン底眼鏡の奥さん、真っ白な顎髭を生やした仙人のような旦那さん。2人ともかなり強烈な雰囲気を醸している。
大体、早朝に出没するフリマハンターにはクセの強い人が多いように思う。長年培った観察眼なのでこの傾向は確かだ。
開始時間に向けて各出店者が準備で慌ただしくしている最中に売り物の入った段ボールや袋の中を大胆に、そして当然のように覗いたり触ったりして回っている。どの出店者さんも品出し作業を中断させられて困り顔で対応している。
シートに広げる前から箱の中をあれこれと物色されると厄介だなぁ…と危惧していた私のところにもやがて老夫婦がやってきた。
2人は予想外の勢いで段ボールに手を突っ込まんとしてきた。「ぬぬっ!」と素早く箱に手を添えて2人の行動を制しつつ「今から準備をするんで!まだ始まるまでかなり時間はありますし、ね。」と優しい口調でやんわりと諭す。ここで調子が狂うと今日1日の流れまで狂いそうな気がしてならなかったし、何より綺麗に陳列を終えてからスタートをきりたかった。
だが事態は思わぬ方向にダイブした。
「ほんならここで待っとくわ、ね、お父さん」「うん、そーやな」
かくして、老夫婦に見守られながら荷解きをする羽目となった。頬を伝う汗がマスクに吸収されていき何だか心地悪い。
空になった段ボールを隅に積み上げる作業を終えて振り向くと、案の定早々と我慢の限界を迎えた2人が地面に座り込んで本を見始めていた。
「私らが本並べるの手伝ってあげっから!」と免罪符のようなセリフを軽快に飛ばしながらザクザク本を漁って積み上げていっては陳列を乱していく。旦那さんに至っては少年のような目で漫画(手塚治虫の火の鳥)を体操座りで読み耽っていた。
その姿を見て爽やかな朝の青空を仰いだ。
「もう、彼らを止める術は…無い…。」
このフリーダムさ、本好きに特化した秩序あるイベントだったら恐らくお目にかかれない光景ではないだろうか。
諦めた私は深呼吸をし、気を取り直して黙々と乱れていく本を見やすいように整えたり品出し作業を続けながらフリマの開始時間を待った。
独特な風貌の老夫婦が占領している状態で果たしてお客さんは自分のブースを覗いてくれるのだろうかと内心ハラハラしていたのだが、心配をよそに開始早々、我が古本販売所には人だかりができた。一般のフリマらしい衣類やおもちゃを商品に出しているブースがほとんどの中、やはり本が並ぶ姿は目立ったのだろうか。もしくは本を漁る老夫婦の姿が目立っていたのか。
不思議そうに足を止めて遠巻きに眺める人、物見遊山で確認しに来る人、興味津々に本を手に取る人、老若男女いろんな反応や表情が賑やかに飛び交った。やはり100円という価格帯がキャッチーなのか、バンバンと撃つように本が売れていく。お金を受け取りながら「やっぱり本を読む人ってこんなにいるんだ…!」と高揚感に包まれた。
「置き場所に困るしなぁ」と単行本一冊を迷いに迷って戻す人もいれば、本が並ぶ風景が珍しいのかバシャバシャと携帯片手に本には一切触れず写真を撮る人もいたり、3冊で100円にしてくれと非常識な値切り交渉をしてくる人もいたりやら、予想の斜め上をいく人々のリアクションにも驚きの連続だった。
そして開始前から居座っていた老夫婦はその後10冊ほど買って帰ってくれた。猫好きなのだろう、猫の写真集や猫が登場する小説やらを大量の本の中から上手に見つけ出していた。奥さんは「面白そうな本、沢山見つかったわ。ありがと。」と言いながら年季の入った巾着袋から千円札を取り出した。
受け取った千円札を私は思わずギュッと握りしめてしまった。
買ってくれたからというわけでなく、この老夫婦も立ち振る舞いに個性があっただけで自分と同じ〝本好き〟だったのだ。
老夫婦の後ろ姿を見送りながら、つい先ほどまで彼らを怪訝に思っていた自分がどうしようもなく恥ずかしくてたまらなくなった。
あぁ、私ってば…!人を見かけで判断するなんて…!
自責の念に駆られていた私の前に、やがて杖をついたお爺さんがやってきた。
白髪頭はボサボサ、お世辞にも綺麗とは言えないボロボロのジャンバーに、毛玉だらけのジャージ。そして素足に穴が空いた靴を履いている。
(以下、翁と呼ぶことにする。)
翁「西村京太郎の本は無いんか。」
私「すいません、この中にはありませんね…。」
翁「わしは○△★×□〜で〜¥@:$なんじゃ。」
私「あ、あぁ…そうなんですね〜」
どれだけ一生懸命耳を全集中させても翁が喋っている8割方が聞き取れない。年齢はなんと90歳。どうやらご近所に住んでいるらしい。
「時代劇の本は無いんか。チャンバラの本。」
「すみません、それも…。」
残念ながら見当たらなかった。
翁は目当ての本が無いとわかっても立ち去る気配はなく、
「何かないかのぅ。何か…。」
杖を地面に置き震える膝に両手を添えて踏ん張るように床に並べた本の背表紙を食い入るように見つめ始めた。そしてその間も一心に喋り続けている。恐らく自分の好みについて話しているのだろうが、ほぼ何と言っているのか聞き取れない。心の中でため息を吐く自分がいた。
しかし、先ほどの老夫婦の姿と、この目の前にいる本に飢えた1人の御老人の姿が重なった。そう、きっと彼も私と一緒で本好きなのだ。
聞き取れる限り、翁の言葉をヒントに趣向に合いそうな本を探っては中身を広げて見せた。その度に「そんなもんワシは好きじゃない。」と素気無い言葉を投げ返された。なかなか手厳しい。それでも諦めずに色々本の説明をしながら2時間は経っただろうか。他のお客さんの対応をしながらの作業だったので心底疲れたのは言うまでもない。
だが驚くことに、最終的に漫画や昭和初期の週刊誌や文庫本やら10冊近くの本が翁の元に嫁ぐことに決まった。
「あんたのせいで荷物が重くなったやないか。」と話す翁の表情はほとんどマスクで隠れて全貌は伺えなかったが、確かに目は嬉しそうに笑っていた。最初の険しい眼差しからは想像できなかったこの満足そうな目を見た瞬間、私は今日という1日の意味を見出せた気がした。
「パソコンやら携帯やら持っとらん。年寄りにはよくわからん。昔はここらにも本屋も古本屋もあったのにもう全部なくなってしもうた。電車やらバスに乗る体力ももうない。本が好きなのに買いに行けんくなった。」
本が入ったトートバックを引きずりながら去っていく翁の背中を見ながら、先ほど彼が漏らしていた言葉を私は何度も思い返していた。
こうしてこの日私は、古本を通して普段遭遇し得ない濃い出来事を味わったわけなのだが、〝本好きはこうだ〟とこれまで知らず知らずのうちにイメージのレッテルを貼っていた己にハッと気づかされた体験にもなった。
そう、本と人との関わりにはそもそも形式なんて無かったのである。
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カラサキ・アユミ
1988年福岡県生まれ。海と山に囲まれた地方都市在住。
幼少期からとにかく古本の事で頭が一杯な日々を過ごす。
肩書きの無い古本愛好者。友人は少ないが古本は沢山持っている。
大学卒業後はアパレル店員から老舗喫茶店のウェイトレスを経て、以降は古本にまつわる執筆活動等をしながら古本街道まっしぐらの自由気ままな生活を送っている。
(※2021年に第一子誕生、現在は子育てに奮闘中!)
著書に、古本漁りにまつわる四コマ漫画とエッセイを収録した『古本乙女の日々是口実』(皓星社)がある。
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