コラム

2021.12.23

コラム

カラサキ・アユミ氏 コラム 子連れ古本者奇譚 第1回「子連れ古本者奇譚、開幕」

 

いよいよ新しい年がスタートとなった。

時の流れは実に早いもので、昨年春に産まれた小さな小さな息子はあっという間にぷくぷくと肥えてお地蔵さんのような姿の生後7ヶ月に。アト坊と呼んでいる。

 

母親という立場になった今、子育てをしながら古本趣味を充実させる難しさを痛感する日々だ。出産後アト坊を連れて何度か近場の古本屋やブックオフ訪問を試みたものの…乳飲児を抱えての古本漁り、これがもう想像していた以上になかなかの重労働。機嫌やオムツにミルク、子の様子を常に気にかけながらの行動になるので始終焦りっぱなしの精神状態。それに伴い通常より倍の速さで消耗する体力。お店に入った瞬間に泣かれでもしたら「はい!アウト〜!退場!」と無情にも脳内に鳴り響くホイッスルの音。

 

しかし携帯画面越しのネットでの漁書作業だけでは満たされなくなってしまった我が古本欲。やはり店に赴き棚に並ぶ本達に直に触れ、己の審美眼を頼りに琴線に触れる一冊を探索する作業に勝る快感はないのである。

そうして辿り着いた手段が、〝昨日の敵は今日の友〟作戦。我が趣味道において古本阻止派の強敵であった夫の協力を何とか得ることで、産後は古本趣味を細々と満喫することになった。

 

再スタートしたこの連載では、母として1人の古本好きとして赤子と古本との悲喜交交な日常をありのまま書いていきたい。子供の成長とともにきっと様々なカタチに変化していくであろう私の新たな古本ライフ、どうか同じ古本趣味を持つ読者の皆様も一緒に苦笑いしながら楽しんでもらえたら嬉しい。

 

それでは早速、採れたて新鮮な我が古本体験記を綴らせてもらいたい。

昨年の冬、出産後初めて子供を連れて夫と家族三人で遠出に挑戦した。お目当ての美術館まで高速を走ること数時間、その間大人しく眠ってくれていたアト坊は目的地に到着した頃には元気いっぱいモードに。抱っこ紐に大人しく抱かれ始終ご機嫌で無事に展覧会を一緒に楽しむことが出来た。

美術館を出た頃には正午をまわっており、昼食場所を探しがてらベビーカーに乗せて散策することに。ちなみにこの日の私の脳内には、なんと古本の〝ふ〟の字も浮かんでいなかった。見知らぬ土地での予測不能な赤子との外出、緊張感の方が上回りこんな状況で古本漁りなんて出来るはずもなかろうと初めから諦めて今回の遠出に臨んだのであった。なんて母性溢れる正常な思考!

しかし…さすが私も古本の神に愛された身(恐るべきナルシスト精神)、放っておいてもらえるはずもなく、まさかまさかの古本の方から出迎えに来てくれるというミラクルが起きた。

だって、土地勘もない場所を当てもなく歩いている道中に古本が売られている現場に偶然バッタリ出くわすもの?これを運命と言わずしてなんと言うのか!?

 

それは人影まばらな商店街、眩い古本光景が突如私の目の前にその姿を現した。昔ながらの洋品店に併設された摩訶不思議な無人古本販売所。新旧ミクスチャーされた古本達が無造作に並ぶ棚、あまり整理されていない感じでジャンルもバラバラ、店内奥へと続く薄暗い蛍光灯に照らされた茶けた背表紙群。もう見るからにワクワクする、まさに狩猟本能が掻き立てられる風景であった。

胸のトキメキ、高まる鼓動、ギラつく瞳。おぉ久しぶりだワこの感覚!目覚めし古本ハンターの血潮。光に群がる蛾のように店内へと吸い寄せられていく我が肉体。

「5分だけ…」

並んで歩いていた夫にそう言い残し、気が付けば30分以上が経過。

もはや制限時間という概念が脳内から抹消された頃、店内奥に触手を伸ばしていると強烈な視線を感じた。ハッと横に目を向けると…商店街の通りから店内の私を真っ直ぐ見つめる息子と、ベビーカーのハンドルを握りながら無表情で冷めた視線をこちらに向ける夫が立っていた。薄暗い店内から遠巻きに見えるその姿はまるでホラー映画のワンシーンのよう。

今ここで中断するか残りの棚を全部探索するか…!全身を駆け抜ける一瞬の葛藤。まさに母性と古本愛の一騎打ち勝負。だが勝敗はすぐに決まった。

「ちょ、ちょっと待っててね!すぐッ…すぐ終わるから!」

電光石火の如く目の前の古本を選択した申し訳なさ、不甲斐なさや焦り諸々の感情を凝縮注入したいつもの常套句を、私は大声で数メートル先にいる夫に放った。道行く人が何事かと驚いた目を向けながら通り過ぎていく。

やがて夫は何も発さず無表情で私の顔を見つめたままベビーカーを押し出し、視界からゆっくりと消えていったのであった。背筋がゾクリ。これは寒さのせいか…それとも…。

 

その後店内を猛ダッシュでチェックし終え、料金ボックスに購入した古本の代金を入れて慌てて店外に出ると夫と子供の姿がどこにも見当たらない。

「とうとう見放されたか…!」焦りながら辺りをキョロキョロ見回していると鐘の音が聞こえてきた。

商店街の中心部分の広場では巨大なクリスマスツリーが飾られており、ちょうどアト坊と同じ月齢くらいの赤ちゃんが笑顔のお母さんに抱っこされて、お父さんに煌びやかなツリーを前に記念写真を撮ってもらっている様子が目に入った。そして広場のベンチに座りベビーカーを揺らす夫の姿も見つけた。古本を両手に抱え、全身全霊で申し訳なさそうな表情を浮かべながら息を切らせ駆け寄り、ベビーカーの中を覗き込む。寒さで頬を赤らめてスヤスヤと眠りについている息子の顔があった。

しかしホッとしたのも束の間、隣に並ぶ夫の静かな怒りのオーラを放つ顔は恐怖のあまり直視できなかった。

「さっきまで泣いてて大変だったんだから…。お腹も空いたし…。」

「ッ…本当にすみませんッ…!」

虚しく我々親子を包み込む商店街のBGMのクリスマスソング。

かたや子供との素敵な思い出作りを楽しむ親子、かたや腹をすかせ寒さに震える夫と我が子を残し夢中に古本を漁っていた女。

 

なんとか気を取り直して地元の人で賑わう定食屋で美味しくご飯を食べ終えた頃には夫の怒りも鎮火され、ようやく穏やかな空気が流れ始めた。

その様子を確認し、もはや内に秘めていた古本欲に火が付いてしまっていた私は、調子に乗って他の古本屋の所在を密かに携帯で調べた。すると、今いる場所からそう遠くない場所に昔ながらの古本屋が一軒あることが判明した。駄目もとで夫にお伺いを立てたところ、私の悲壮感漂う反省顔が効いたのかアト坊の事も配慮して15分だけという約束で車で寄ってもらえることに!

 

移動後、駐車場に停まるや否や猛スピードで車から飛び出し、お目当ての古本屋に飛び込んだ。古本屋めがけて小走りする33歳の女、ここにあり。そう、既にこの瞬間から制限時間15分のゴングの鐘は鳴り響いているのだ。

だが、勇んで入店したこのお店、な・なんと古本の値段がどこにも記載されていなかった。まさかの一冊一冊店主さんに確認をせねばならない緊張感必須のスタイルに動揺しつつ、私の手には既に気になる数冊の本が収まっていた。ぐぬぬぬ…値段を聞く→値段を知る→買うか否かを判断するの3ステップが必要になるのか…数分のタイムロスが予想されるな…仕方あるまい、他の棚もじっくり見たいがもうここで打ち止めだ…!と下唇を噛み締めながら手に持った本達を店主氏に差し出す。

さぁ値段を確認してもらっている最中も気が気でない。夫と子を待たせた上に、また約束を破るような駄目な母親にはなりたくない!(と思いつつ店主氏の回答を待っている間も他に何かないか棚をキョロキョロと必死に見回していた欲深い自分。)

しかし、とうとうその瞬間はやってきてしまった。気配を感じ恐る恐る後ろを振り向くと、なかなか戻ってこない私に痺れを切らした夫が入り口ドアのガラス越しに息子を抱っこしながら、氷点下の冷気を放つような眼差しでこちらを見つめているではないか。全身から冷や汗が溢れ出た。

寒空の下、抱かれた息子の鼻水が西陽に照らされてキラキラしている。

「母ちゃん…僕と父ちゃんを放っておいて一体何してんだろう。」と言わんばかりのアト坊のキョトンとした無垢な眼差しがガラス越しに私の罪悪感の濃度を更に濃くしてくる。

「もう終わりますので!」緊迫した表情とジェスチャーで必死に伝える私。

(その様子を眼鏡をクイっとしながら不審げに見つめる店主。)

こうしてドタバタ喜劇(はたまた悲劇か)のような久々の我が古本漁りはこれにて閉幕した。

どうしようもない罪悪感に包まれていた帰りの車中、私の膝に置かれた戦利品の古本達が入ったビニール袋が振動でカサカサとなるたびに、チャイルドシートから身を乗り出して興味津々にそれを眺めているアト坊の様子を見ていると「…今度はどんな店でどんな古本に出会えるのかな。」といつの間にかルンルン気分になっている懲りない自分がいたのだった。

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県生まれ。海と山に囲まれた地方都市在住。

幼少期からとにかく古本の事で頭が一杯な日々を過ごす。

肩書きの無い古本愛好者。友人は少ないが古本は沢山持っている。

大学卒業後はアパレル店員から老舗喫茶店のウェイトレスを経て、以降は古本にまつわる執筆活動等をしながら古本街道まっしぐらの自由気ままな生活を送っている。

(※2021年に第一子誕生、現在は子育てに奮闘中!)

著書に、古本漁りにまつわる四コマ漫画とエッセイを収録した『古本乙女の日々是口実』(皓星社)がある。

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