コラム

2020.01.26

コラム

古本屋見聞録3 岡崎武志

男も本も背中で語る

じつはこの1年ぐらい、こんなに古本を買わないことってわが生涯で珍しい。まったく買わないわけではない。切れたタバコを買うぐらいには、1週間に数冊とかは買っている。最盛期はそんなものではなかった。いちいちカウントしているわけではないから、正確なところは分からないが、おそらく月に買うのは100冊以上。ときに数百冊。ほぼ毎日、どこかの古本屋へ顔を出して均一(店頭の廉価品)を漁り、週末には神田、五反田、高円寺で開かれる古書会館の古書展(一般客向け古本市)や、デパート展などへも通っていた。

自分で読む、親しむうちはそんなに買う必要はない。路上で素人が本を持ち寄って売るフリマ形式の古本市「一箱古本市」が各所で開かれ、そこに店主として参加するようになってからバカ買いが加速してしまったのである。つまり、自分のため、というより商品の仕入れとして古本を買うようになった。売れ筋と踏んだら、すでに持っている本でも買う。それも何度も買う。「いちおう買っておくか」の「いちおう」が曲者で、ほとんど歯止めがなくなってしまった。

以前住んでいた市の公民館みたいな場所で年に一度開かれる古本バザーは、値段が思いっきり安い(2冊で100円とか)ということで恰好の草刈り場となってしまった。一度に50、60冊買うのは当たり前になって、古き良き読書人時代の底が抜けてしまった。年に1000冊単位で蔵書が増殖していく端緒がこれである。「一箱古本市」で売れると言っても、持ち込めるのはせいぜい50冊で、完売したこともあるが、多くは半分くらいしか売れない。残るのは不良在庫となる。おもしろいもので、売れ残ったといっても、本は生鮮食料品のように品質や価値が劣化するわけではないのに、なぜか2度目3度目の出馬をしても売れないことが多かった。輝きを失うのであろうか。じつに不思議である。

もう、5年か6年前から、いっさいの「一箱古本市」系の出店から手を引いた。行けば、未知の読者や知り合いに大勢会えて、それだけでも楽しいのだが、ひどく疲れを覚えるようになってきた。仕入れや交通費、出店料や雑費を引いて一日の利益が5000円切るとなると、やっぱり本業のもの書きを優先させたい、と思うようになってくる。そんなわけで各種古本市や古書会館の古書展へも足が向かなくなったのである。神田や五反田へは、もう3年ぐらい行ってないのではないか。ずいぶんとお見限りね、本当に。

それでもまったく買わないわけではなく、書評家と名乗る通り、ひんぱんに各出版社から新刊の寄贈もある。岩から染み出る水のように、乾いたままというわけにはいかない。近日中に、知り合いの古本屋さんに来てもらって、何度目かの蔵書大量処分を行う。30本はある本棚はすべて埋まり、それと同等の量が床にはみ出している。階段にも本は積み上げられ、私が仕事場兼書庫にしている地下で息を引き取っても、階上へ死体を運び出せない事態となってしまっている。これはいけませんねえ。

とは言いながら、禁酒した男が酒屋の前に来ると、つい鼻の穴を開かせるように古本屋へは依然として立ち寄るし、棚も熱心に眺める。これは野球選手で言えば「バットの素振り」みたいなもので、棚の背文字を追う、チェックすることが古本道における「精進」なのだ。この行為の積み重ねが、古本的思考や知識を育てていく。古本の情報はまず本の背表紙から多く得られることは経験上分かっている。同じ書体で冷たく並べられた書誌用法は並列で、そこに記された以上のことを与えない。函入り、函なしからカバーの紙質、タイトル文字の書体、色など、背は多くを語る。男と同じく、背で人生は語られるのだ。

 

「ネコが飢えちゃってねえ」

ところで先日、早稲田の某店に立ち寄った。早稲田の古本屋街は高田馬場から早稲田まで、早稲田通り沿いと界隈に最盛期なら40軒もの古本屋が立ち並び、神保町に次ぐ古本屋街を形成していたが、この20年ほどで櫛の歯がこぼれるように減少していった。現在、店売りをしているのはその半分もないのではないか。某店は店売りを続けるうちの1軒で、1968年の『古書店地図』(図書新聞)に記載はなく、私が熱心に早稲田古本屋街へ通った1990年代、1996年刊の『全国古本屋地図』(日本古書通信社)にはある。店の主人は2代目で、気安く言葉を交わせる仲である。この日もあれこれとおしゃべりを。聞くと年齢は40代後半だという。高卒でこの道へ入ったから、それでも30年選手だ。そうか、もうそんな歳になったか。ものの30分ほどの滞在であったが、3名の来店者があった。一人は杖をついたご老人で、店頭の均一台で100円の本を1冊手に持ち、悪い足を運びながらレジまでゆっくり近づいてきた。帰られてから「あんな不自由な足で、それでも古本を買っていく人もいるんだね」と店主に話しかけると「あれはうちの大家さんなんですよ」と。これは驚いた。

2人目は珍しく若い20代の女の子。店頭均一にも、店内の棚にも目もくれずレジへ近づいてくる。探求書でもあるのかと思ったら「あのう、携帯を落としてしまったんですが、この近くに交番はありますか?」と聞いてきた。なあんだ。店主は丁寧に、複数の交番を教えていたが、礼を言ってさっさと出ていった。お愛想に文庫1冊でも買っていけばいいのに。「帳場に一日座っていると、客以外にも、いろんな人が来るんですよ」と店主。店や道を尋ねにくる客はけっこう多いとか。なるほどなあ。小売業の宿命であろうか。3人目の男性は、ずいぶん熱心に棚を見ていたが、これも買わずに出ていった。私を含め、30分で4人の客があって、買ったのは私と大家さんだけ。いやあ、これは大変ですよ。

もうずいぶん前だが、同じようにこの店で店主と喋っている時、手に紙袋、帽子、眼鏡、痩身のご老人が「ネコが飢えちゃって、ネコが飢えちゃってねえ」と呟きながら入店してきた場面に遭遇した。さて、ここで問題です。いったいこのご老人は、何をしに店へ入ってきたでしょうか? 分かるわけないよね。私も分からなかった。答えは、本を売りにみえたのだった。初めてではないだろう。しかし、本を売るってことに恥じらいがある。そこで「飼っているネコが腹を空かせて、そのエサ代が必要だから本を売るのだ」と、ご老人は言いたいのだ。本当は自分が腹を空かせているのだろうが、武士の一分というものがある。それを「ネコ」に仮託した。これはもう「文学」ではあるまいか。

私が好んで顔見知りの古本屋店主と喋りたがるのは、そこから本では得られない、生の情報が得られるからだ。こんな楽しいこと、やめられません。この日も定期的に早稲田大学構内で開かれている古本市の情報を聞いた。早稲田古本屋街の店売り以外での主力であった高田馬場駅前「ビッグボックス」、馬場下町「穴八幡宮」境内の古本市が撤退となり、窮地にあった中での貴重な催事だ。露店にテントを張ってのワゴン販売で集客力がある。私も何度か行っている。店主によると、前は、私のようなコテコテの古本おじさんが押し寄せていたが、最近は学生が多くなってきた、とのことである。これは意外だった。早稲田古本屋街の窮乏は、何より、かつては古本を求めてそぞろ歩く大学生が来なくなったことにある。4年間、早稲田大学へ通って、足元の古本屋街へ足を踏み入れたことがない学生が大半となった。私はそのことを憂えていたが、大学構内の古本市には客として戻ってきているというのである。

我々の時代と変わったのは、レジでカード決済をする学生が多いこと。生まれた時から携帯とネット社会にある平成生まれの若者たちにとって、現金で買い物をする習慣が、速やかに失われつつあるのか。駅改札をスイカでくぐりぬける以外、いまだに現金主義の私には、まったくあずかり知らぬ世界である。しかし、その額は全体の売り上げの中で、バカにならないのだという。そういえば、別の古本屋にいて、学生らしき娘が本を片手にレジで「カード使えますか」と聞いて、「いや、うちは使えないね」と言われて、本をもとの棚へ戻したのを目撃したことがある。そういうことになっていたんですね。

 

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岡崎武志(おかざき・たけし)

1957年大阪府枚方市生まれ。1990年単身上京。雑誌編集者を経て

フリーに。古本ネタ、書評などを中心に執筆。さかんに神保町かいわい

に出没。「神保町ライター」と名乗ったこともある。著作に『女子の古

本屋』(ちくま文庫)、『古本道入門』(中公文庫)、『蔵書の苦し

み』(光文社知恵の森文庫)、『ここが私の東京』(扶桑社)など多

数。近著に『これからはソファーに寝転んで』(春陽堂書店)がある。

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