2021.05.10
コラム
先日、人里離れた山間部にある本屋(新刊本の他に古本や雑貨も置いている)を訪れた。以前から気になっていたものの場所が場所なだけになかなか行く機会が作れぬままだったのだが丁度出先の道中立ち寄れる事になった。雑誌に度々取り上げられており、本好き界隈で話題になっている店らしい。なるほど、のどかな緑生い茂る道を車で走っていくと遠巻きにお店の駐車場に収まりきらない車が何台も道端に路駐している光景が目に飛び込んできた。
店内に入ると老若幅広い年齢層の女性客を中心に賑わっており、静かな熱気に包まれていた。誰もが熱心に棚に並ぶ本を見つめたり、手にとって眺めたりしている。
本屋でお客さんが真剣に本を見るという当たり前の光景、不思議な事に何だか新鮮な気持ちが湧き起こったのだった。
が、しばらくすると「カシャッカシャッ」とシャッター音が響き渡った。
「あぁ…やはりここでもか…」と先程までの新鮮な気持ちは掻き消え、振り向くと今時の若い女の子二人組が店内に入るなり一生懸命携帯で撮影をしている。
「すごーい、可愛い〜」「ね〜」と店内のディスプレイに感心しながらも本には目もくれない。しばらくして満足したように立ち去った彼女達の背中を、帳場で静かに作業をしておられた店主さんはチラリと一瞥しただけで何事もなかったようにまた手元に目線を戻していた。恐らく日常茶飯事の光景なのだろうな、とその様子を見て感じた。
お店の窓から再び聞こえるシャッター音。首を伸ばすと、店の外観と記念撮影をする先ほどの女の子達の姿が見えた。
書店(または古書店)でこのような場面に今まで何度遭遇してきただろうか。
これまでサービス業(アパレル)と飲食業(喫茶店)を通して客商売なるものを体験してきた身としては様々なモラルに欠けたお客に遭遇してきたのもあり、〝世の中って色んな人がいるんやなぁ〟という認識はあらかた学んできたつもりではあるが、こと古本屋(ここではブックカフェや新刊本を取り扱う店も含む)では共通のマナー違反のお客を見かける事が面白いくらいとても多い。それが先述の〝撮影行為〟である。店主本人に話を伺えばもっと様々なマナー違反行為が浮上してくるのであろうが一介の客である立場の自分にはなかなか知り得ない。それにしても大体雑誌やネットで取り上げられているような話題のお店に赴くと、当たり前のように〝撮影行為〟を見かける。もういっそ「本を購入した方のみ撮影可」という注意書きを作ってもいいんじゃないかというお店もあるだろう。古本屋店主達によるSNSの呟きでもこうした類のお客に対する苦い意見を度々目にすることもある。店主に承諾を得ずに店内の撮影をする、撮影だけして商品には目もくれない、置いてある商品の本を撮影小道具のように雑に扱う等、まるでテーマパークか観光地のようにお店に訪れるお客がいかに多いのかがうかがえる。
これまで本がひしめく狭い通路で子供に絵本(商品)を持たせて必死に撮影に励む親の姿や、インスタントカメラで周囲にお客がいるのも構わずフラッシュをバシバシ焚きながら本棚の前でポーズを取って撮影するカップルといった強烈なマナー違反のお客と店で遭遇した事もあるが、トータルで見て私の体験上〝撮影行為〟を行うお客で圧倒的に多く見かけるのが10代〜30代の若い女性だ。
以前、知り合いの古書店主から神田の古本まつりの期間中に本を探さずに〝古書が山積み〟の風景だけを撮影する若い女性客がひっきりなしに来店してとうとう「店内撮影禁止」の張り紙まで貼る始末になったという話も伺った事がある。
若い女性を中心にそうした傾向が見られるのは今の時代だからこそかもしれない。
SNSが重要なコミュニケーション・ツールになった昨今では飲食店によっては注文した商品をインスタグラムやツイッターでタグ付けして載せてくれれば割引きします等、宣伝効果を狙ってお客の撮影行為を推奨している所も多い。その感覚が浸透すると写真撮影を軽い気持ちで行うようになるのは自然な流れだろうし、書店においては〝こんな場所に行きました〟という個人の記録としてSNSで投稿する用に撮影をする人がきっとほとんどだろう。
又、近年のファッション雑誌ではカフェや純喫茶と同等のイメージで撮影場所として書店や古本屋が起用されるケースも多く見受けられるようになった。モデルが流行のファッションを身にまとい本棚の前で本を片手に可愛らしくポージングする。これらの誌面が、本のある空間をお洒落…言うなれば〝映える〟対象として認識させる起爆剤になっているのは間違いないだろう。
SNSでも「#本好きと繋がりたい#写真で伝えたい私の世界#本のある暮らし」などのハッシュタグが付けられた書店や古書店の写真がアップされているのを見ると、店の存在が様々な表現ツールとして活用されているのがわかる。
そこには〝この空間にいる私〟という、個人を演出する舞台としての書店が映し出されている。
だが、同じように本の風景がある丸善や紀伊國屋など新刊書店で撮影をしようとする人はほぼいない。それは誰もが目にする事ができる日常風景だからだろう。
人は、ムードだったりその情景だったりそこに非日常を感じ取った瞬間に写真を撮りたい欲に駆られるのではないだろうか。古本屋を始めとした本が溢れた個性的な空間は現代を生きる彼女達にとってはきっと日常から離れた異質な場所に映るのだろう。
ここまで書いておいて「じゃあアンタはどうなのさ」と指摘されると、実際私自身も訪れた古本屋で撮影をするケースは圧倒的に多い。しかしそこには自分なりのポリシーが存在するのは声を大にして言いたい。
私のマイルール(鉄の掟ともいう)は「その店で買い物を必ずした後に店主の承諾を得て撮影をさせてもらう」である。ちなみにどうしても欲しい本に出合えず買い物をしなかった店やお客が多くいる店の場合は撮影はしないことにしている。
そして私の場合、好んで訪れるのがお世辞にも綺麗とは言えない昔ながらの古書店(そして大体店主がご高齢)がほとんどなので先ほど述べたようなうら若き女性達が撮影に勤しむ場面に遭遇したことがない。なので撮影やSNSに掲載の許可をいただく際も店主さんから驚きの声が必ず返ってくる。
「えっ…こんな汚い店を撮ってどうするんですか…? えぇ、構いませんよ。こんな店で良かったらどうぞどうぞ…」
「足を悪くしてから在庫の整理が行き届かなくなってこんなに片付かないままになっちゃって…」「インターネット自体よくわからないもんで…」「常連のお客さんも亡くなったり病気やらで来れなくなったりしてこの店も寂しくなりました…」など撮影をしながら店主さんからポロリと様々な話を伺うことも多い。
私の場合、撮影の理由はまずは記録用に、そして使命感に駆られての2つだ。
ネットに情報が溢れているこの世でも、それでもまだ知りたいと思う情報が得られないケースも多い。ネットに精通している今時のお店に関しては宣伝にも力を注いでいる場合が多いので調べればお店の存在や詳細情報を容易く知ることが出来る。だがそれ以外の店に関してはなかなか困難だったりする。先ほど書いたように私が好む昔ながらの店、特に地方の古本屋はネットにその詳細が載っていなかったり、店の存在自体を知れる術がなかったりする。古書組合に加入していない店に関しては「日本の古本屋」にも掲載がないのでもはや自分の足で地道に調べるしか方法がない。そのため、個人のブログやSNSが情報収集の唯一の頼みの綱となる。
なので人知れずひっそり営業している古本屋に出合ったら「こんなお店があるんだよ!」と全国のどこかにいるであろう見知らぬ同志(古本好き)に知らせたくなるのだ。私の投稿が誰か一人にでも心に響いてそのお店の存在が知られ、誰かが店に赴き本を買うキッカケになれば最高ではないか。
それでも〝そっとしといてやれ〟という人達も少なからずいるはずだから私のこうした行為も迷惑だと捉えられることもあるかもしれないが…。しかし実店舗の販売がメインのお店はお客がお金を落とさない限り営業を続ける事が難しいのもまた現実だ。
話が少し外れてしまった。
果たして何が正解か不正解かをここで説くのは置いておくとしてハッキリと言えるのは、やはりお店に対して敬意を払う姿勢は絶対的に大切であるということだ。お客という立場であっても、お店を営業して生活を営む店主がそこにいるということを決して忘れてはならない。お店に対してモラルやマナーを無視した上にましてや対価を払わずに美味しいとこ取りをするのは最も恥ずかしい行為だ。と、まぁ今回は何だか批判的な内容になってしまった。
でも、そういった認識が当たり前の世の中になればいいなと本当に切実に思う。お店側もお客側もお互いが気分良く過ごせれば、そこに並ぶ本達も生き生きしてくるに違いないから。
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カラサキ・アユミ
1988年福岡県に生まれる。幼少期よりお小遣いを古本に投資して過ごす。
奈良大学文化財学科を卒業後、(株)コム・デ・ギャルソンに入社。
7年間販売を学んだ後に退職。
より一層濃く楽しい古本道を歩むべく血気盛んな現在である。
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