コラム

2021.04.13

コラム

カラサキ・アユミ氏 コラム 「古本者が見つめた東京という街」

以前東京に行ったのはいつだったけ。

そんな事をふと考えながら渋谷のスクランブル交差点が映し出されたテレビのニュースを見つめていた。

 

東京。この街ほど千差万別のイメージを誰しもに持たせている場所は日本において他にないのではないだろうか。

東京に長らく住み念願のマイホームを購入した兄は「東京と言っても郊外は地方と変わらないぜ。まぁ住みやすいよ」と慣れた口調で話していた。

2年前に地元を離れて東京で職を見付けひとり暮らしを始めた友人は「全てがあるけど実態がない街だ」と先日電話で話した際に哲学的な事を言っていた。

まだ東京には行ったことがないという知り合いの大学生の男の子は「いつか行きたいです! なんかキラキラしてますよね」と目を輝かせて答えた。

 

私にとっては東京とはその印象が常に変遷を遂げ続けてきた街だった。

初めて東京の地を訪れたのは大学1年の19歳の時だ。夜行バスから降り立った明け方の新宿。ゴミを我が物顔でそこら中に撒き散らすカラス達が出迎えてくれた歌舞伎町の吉野家で朝ご飯の牛丼を掻き込み、近くのマクドナルドで命綱でもある携帯の充電をしながらうつらうつらと座りながら仮眠を取った。

右も左もわからなかった私は真っ先に神保町へと向かった。古本が好きな者にとってその名は聖地のような響きを纏う街。ところが無事に到着したものの、まだどの店も開店前ということで街中が静けさに包まれていた。

街が動き始める時間までチェーン店の珈琲ショップで暇を潰すことにした。人々の出勤風景を窓ガラス越しに眺めながら珈琲を口に運ぶ。だんだんと時間が経つごとに期待で胸が膨らんでいった。

 

憧れだった神保町。ところがどうだろう、いざ開店した古書店の前に立つと圧倒される自分がいた。まだ古本だけでなく全ての事に関して知識も経験も浅い田舎者の身にとって神保町に連なる店達は未知なる〝格式高い正統派古書店〟のように映り、最初は店先の均一棚すらも妙な緊張感を持って恐る恐る覗き込んだ。

2軒目に訪れた店では腰が〝く〟の字に曲がったお爺さんが食い入るような眼差しで横並びにうず高く積まれた専門書を凝視している姿を見かけて小さな感動が走った。こうしていくつかの店を見終えた頃には次第に街の空気に慣れてきた感覚となり、本来の調子を取り戻したかのように案内所でもらった地図を片手に店から店へとあちこち貪るように練り歩いた。

 

せっかく来たのだから、と少ない軍資金で買える範囲の古本を土産代わりに買い込んだ。そして上京した初日に荷物を増やしてしまった大変さに後々気づいた私は己の計画性のなさや旅への不慣れ具合を悔やみながらそれらの戦利品をリュックに詰めた状態でヒィヒィ言いながら東京の空の下をさまよったのであった。

1週間の滞在だったが貧乏学生だった私にはホテルを取る金銭的余裕があるはずもなく、毎夜ネットカフェを渡り歩いた。3食はコンビニのパンで手軽に済ませ、雑誌で見た話題の書店や古書店を巡り、自分にとって東京という街のイメージを構築していた場所を片っ端から見て回った。無計画で身体がボロボロになった旅だったが若さもあってか存分に刺激を吸収し楽しむことが出来たのであった。

初めての東京は漠然としていて得体が知れないが何だか夢や希望が詰まった異郷という印象を私に残した。

 

大学を卒業しアパレル会社の社員になってからは年2回開催される展示会のための東京への日帰り出張があり、内容は青山のオフィスの中で朝から晩まで分厚い絵型用紙とペンを片手に発注作業を行うというものだった。次のシーズンに展開される洋服達が大量にラックに並べられた情景は壮観で、これらを目にする興奮や喜びは何ものにも変え難かったが殺気立ったたくさんの社員達が行き交う慌ただしい作業場で毎回張り詰めた空気の中で行う仕事は胃がとてつもなくキリキリするものだった。

昼食を取る暇もなく時間は過ぎ、棒のようになった足を引きずりながらオフィスを出る頃には真っ暗な空が広がっていた。地下鉄までの道中、いかにも東京らしいお洒落なショップが連なる道を歩き煌びやかなネオンを恨めしげに横目に眺めながら明日の仕事のために最終の飛行機に乗り込み帰路に着かねばならない自分の姿が店のウィンドウに何だか寂しげに映った。

連休が取りづらい職業柄だった事もあり、この出張以外で東京を訪れる機会をほとんど作ることが出来なかった当時の私にとって、東京は学生時代とは異なりどんよりとした暗いイメージが常に纏わりついた街と化していた。

 

フリーランスになってからはこのイメージが一転して眩い明るさに変化したのは言うまでもない。自由気ままに好きな時に大好きな古本目的で上京できるようになったからである。これまで仕事の都合で涙をのんで諦めていた都内各所の即売会にも参戦を果たす事が叶い、体力が許す限り古書店巡りに時間を費やす事も出来るようになった。

中でも、かねて念願だった西部古書会館や南部古書会館で開催されるマニアックな即売会に初めて足を踏み入れた時の感動は未だに忘れられない。屋外の平台にずらりとバナナの叩き売りのごとく雑多に並べられたおびただしい量の古本達、無言でそれらの本を目をギラつかせて物色する来場者達、身動きが取れないほどの混雑具合と凄まじい熱気。それまで地方での即売会の参戦経験はあったもののここまで無秩序で混沌とした状況は初体験であった。

 

やはり東京での古本屋巡りは一味違った楽しさがある。なんと言っても店の数が地方とは比べ物にならないほどに凄い。各沿線に古本屋が複数点在しているので短時間で多くの古本屋を見て回る事が出来るのが最大の魅力だ。購入した古本達をコンビニからまとめて自宅に発送するというスキルも東京で学んだのであった。

古本漁りは疲れる。もはや体力の回復が最重要のアラサーの身になった事もあり、以前のようにネットカフェを利用せず通常のビジネスホテルより料金が安くあがる和風のラブホテル(都内には現役の連れ込み旅館が多く残っている)を見つけてはそこで寝泊まりするようになった。晩は銭湯におもむき熱々の湯に浸かり疲れを癒し、偶然見つけた大衆酒場の暖簾をくぐり冷えたビールと何品かのツマミで空腹を満たす。これがまた何とも言えない多幸感。

住んだらどんなに日々楽しかろうかと毎回滞在中は愉快な気分で過ごしていた。

 

最後に上京したのは昨年の早春。都内で開催された古書即売会3つを半日で行脚した。西部古書会館、渋谷の東急東横古本市そして東京古書会館での即売会。

西部古書会館では来場者同士無言で押し合いへし合いの戦いを繰り広げ体を揉みくちゃにしながら棚を物色し、渋谷ではデパートで開催された即売会とあってクレジットカードが使える事もあり、翌月からモヤシと水で飢えを凌がねばならない羽目になることも忘れ大散財。最終地点の東京古書会館での即売会では残りの体力を振り絞って漁書作業に臨み、財布の残金が数百円となる結果を迎えたのであった。

 

帰路につく飛行機の中、窓から東京のネオンを眼下に眺めながら私はここに住んでいたらきっと欲望に呑み込まれきっと破産してしまい生きてはいけない……。そう改めて痛感してしまうのだった。

あまりにも魅力的で欲しい物が東京には溢れ過ぎている。

ここでは自分の欲求と戦いながら生きていかねばならない。ある意味なんて過酷な場所だろうか。東京に住んでいる古本好きの人々は一体どのように理性を保って暮らしているのだろうか。毎回そんな事を考えているうちに飛行機は着陸するのだった。

最寄りの空港の駐車場に停めていた車に乗り込み自宅に向かう道中、灯りもまばらな通い慣れた田舎道を車で走りながらつい数時間前までいた東京の風景を思い出していた。私のような古本狂いの人間には不自由で物足りないぐらいの場所がちょうど良いのかもしれない。

初めて東京を訪れてから十数年、今の私にとって東京はしみじみと自分を見つめ返す鏡のような摩訶不思議な場所になっていたのだった。

それにしても、そろそろ自分の欲望を放し飼いしにおもむきたいものだ。

テレビから目を離し、ぼんやりと窓の外の空を眺めた。

 

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県に生まれる。幼少期よりお小遣いを古本に投資して過ごす。

奈良大学文化財学科を卒業後、(株)コム・デ・ギャルソンに入社。

7年間販売を学んだ後に退職。

より一層濃く楽しい古本道を歩むべく血気盛んな現在である。

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