2021.03.12
コラム
馴染みの立ち飲み屋の女将さんから思いがけず貴重な古本達を譲っていただくというハートフルな体験を綴った前回。今回はその後の出来事を紹介したい。
頂戴した本達を悦に浸りながらひとしきり眺めた後、それら大量の本をまた紙袋に戻し敢えて人目につく台所の机の上にデデンと置いた。もちろんこれは夫を意識しての行動だ。
コロナ禍になって以来、これまでのように古本漁りに遠出するのは言語道断と言わんばかりの圧力をかけられ続けた結果なのだろう、衝動的にスカッとしたいという気持ちが私の中に沸き起こったのだった。夫に対してささやかなジャブを喰らわせたいという感情も若干あった。
彼の意見や姿勢はこのご時世において至極真っ当なものであるのに、唯一の趣味を抑制させられた私にとっては古本漁りを禁ずる夫の姿はもはやプロレスのヒール役にしか映らなくなっていたのだった。
さて夕方、帰宅した夫は私の予想通り机の上に鎮座する紙袋を目にすると声を荒げた。「ちょっと!! これはまさか…古本買いに行った!?」
「そーらかかった!」
隣室でくつろいでいた私の身を、仕掛けた罠に獲物が食いついた時のような高揚感が包んだ。
「ふふふふ…これはねぇ、ご近所の人のご厚意で譲ってもらったんですわ」
余裕を浮かべた笑みでユラリと夫の前に登場した私は事の成り行きを饒舌に語り始めた。最初は半信半疑で話を聞いていた夫もやがて諦めたような表情になり、その顔を見て私は「勝った!」と戦ってもいないくせに謎の満足感を得たのであった。
責められることなく古本を堂々と室内に持ち込めたぞ!!!
そう、コロナ禍以前は古本屋行脚から帰還した際は戦利品の古本が入った袋を一旦庭先の植木の茂みに隠して帰宅し、夫が寝静まった夜中にソッと玄関のドアを開けて屋内に持ち込むという苦労が幾度となくあった。旅先から購入した古本を配送する際も夫のいない時間帯を指定するのが必須だった。こうしたこれまでの体験を振り返ると喜びもひとしおとなった。
調子に乗った私はさらに話を続けた。
「しかもね、あのね、この本はね、○千円! これなんか○万円なんだよ! ほら、見て見て。こんな高い値段が付けられてる本なんだよ! すごいでしょ! 全部タダで貰えたんだよ!」
一冊一冊を手に取り、「日本の古本屋」のサイトが表示された携帯の画面をみせながら夫に熱弁。まるで子供が昆虫採集の成果を親に自慢しているかのような光景である。
苦労せずに得ることが出来たこのラッキー極まりない喜びを誰でも良いから自慢したい…! どうせ古本に興味がない夫からしたら「また物を増やしやがって…」という反応しか貰えないだろうとはわかっていながらも私の喋る口は止まらなかった。
ところが思いもかけない反応が返ってきた。
先ほどから広げられた本達をしばらく食い入るように黙って眺めていた夫が「こうゆう価値のある本だったら家にいくらでもあっていいよ」と言い放ったのである!
口角はやや上がり、その瞳の奥には明らかにギラついた光が微かに揺らめいていた。普段は基本無表情かつリアクション薄めがトレードマークのあの夫が!!
夫との付き合いはかれこれもう十数年になるのだが、初めて見た表情であった。
「この人、こんな顔するんや…」
思わず圧倒された私はしばらくその顔を見ながら以前あった出来事を思い出した。とある美術展に赴いた際、ショーケースに飾られていた資料に大正時代に発行された娯楽雑誌があった。それと同じ物を私が所有していると何気なく話した時にも夫は「えっ…そうなの。すごいね」と素直に驚き、しばし興味深げにショーケースに釘付けになっていたことがあったのだ。恐らく彼の目には美術館に展示されるような本=高価な本というイメージに繋がったのだろう。実際はそこまで高額な古書価で取引されているような本ではなかったのだが、古本世界に触れたことのない者には特別に価値があるものとして映ったのかもしれない。
「このテの本を安く見つけたら手に入れていくのはとても良いと思う」
私の携帯を手に日本の古本屋のサイト画面をスクロールしながら夫は呟いた。
ここで夫の言う〝このテの本〟とはズバリ高い古書価が付けられている本であるのは明白だ。あぁ、リアルな価値という物差しがこれほどまでに古本買いの理由に説得力を持たせるとは! まさか肯定的な言葉が夫の口から飛び出すとは思ってもみなかったのであった。
「価値があるものを手元に置いておくのって意味があることだし。財産になるでしょ。それにいざ何かあった時に確実に売ることも出来るわけだし」
夫が淡々と述べた理論を聞いて「それって〝せどり〟的なことじゃんか…!」と咄嗟に非難めいた声色で叫んでしまった。
自分が好きかどうかは別にして、明らかに高額で売れるであろう希少価値のある古本が安く売られているのを探して転売する営利目的の〝せどり〟行為は、本来私がやりたいことではないからだ(というか、せどりに必要な経験値や知識や技量を持ち合わせていないのでやろうと思っても出来ることではないのだが…)。
「俺は俺の考えを言ったまで」
再び通常モードに戻った夫はクルリと背をむけ隣室のリビングへと去っていったのであった。
確かに、これまで私が買い集めてきた本といえば〝私個人にとっては知的な財産として貴重な価値を持つ〟とはいえ〝世間一般的にはマイノリティーな存在で価値もあまり大々的に認められていない〟類の本ばかりだった。例えば昭和のお色気雑誌や大衆雑誌を中心とした俗に言うB級ランクの珍奇なジャンル等。
「これは今の時代ではあまり価値は認められてないが、後世に残すことによって必ずきっと資料的価値が出てくるダイアモンドの原石なのだよ!」といくら私が豪語したところで夫から見れば古本を購入する上での詭弁としか聞こえなかったのは確かにうなずける。自分が面白い! と思う物が他者にとってはゴミのような存在だったり関心を得るに至らなかったりするのはよくあることだ。
それにしてもこの一連の流れで「価値とは一体何なのだろう」と改めて考えさせられた。同じ対象物でも価値が確立しているかどうかで捉え方が全く異なるという生々しい事実。目に見えないものと言っても具体的に値段が付けられた時点で価値は視覚化され、その金額が物に対する印象を決める判断材料になる。考えれば考えるほど答えが枝分かれして出口が見えない深海のような世界である。
いずれにしても人の数だけ古本に対する価値観がある事がよぉくわかった。
ザックリ表現すると、本とは、例えば女将さんにとっては「読む物」、夫にとっては「値段が付けられた物」であり、私にとっては「自分の精神的嗜好品」というわけだ。
夫との会話によって、長らくの禁欲生活でくすぶっていた闘争心に何だか火がついたような心持ちになった私は「世間での価値とか関係なく私は自分が面白いなと思えるワクワクするような本だけをこれからも集めていくから! そこんとこ夜露死苦ぅ!」と隣室に向かって力強く宣戦布告した。
返事がわりに夫の大きなため息だけがドア越しに聞こえてきた。
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カラサキ・アユミ
1988年福岡県に生まれる。幼少期よりお小遣いを古本に投資して過ごす。
奈良大学文化財学科を卒業後、(株)コム・デ・ギャルソンに入社。
7年間販売を学んだ後に退職。
より一層濃く楽しい古本道を歩むべく血気盛んな現在である。
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