あなたの本を未来へつなぐ
2019.12.01
古書店インタビュー
「10代の頃から、人生の最後には古本屋をやろうと決めていたんです」
いくつもの荒波を越えて、小林秀夫さんはその夢を叶えた。
お店の名前は「プリシアター・ポストシアター」。演劇好きの人たちに立ち寄ってほしいという願いが込められている。
店舗を構えたのは、武蔵境駅から南に歩いて10分ほどの静かな住宅街。
併設するふたつの倉庫には、まだ手つかずの古書が大量に収められている。
今も仲間たちとの古本屋めぐりを欠かさないという小林さん。
これからの計画を語るその姿は、少年のように瑞々しかった。
── 演劇に関心を持つようになったきっかけを教えていただけますか?
小林 古本屋の店主が言うことではないけど、子どもの頃から集中力がなくて、本を読むのがきらいだったんです。
ページを開いてもすぐ途中で投げ出しちゃって。
高校生になって、星新一なんかは面白く読むようになりました。一つひとつの物語が短いので、苦にならないんですね。
それで、他に何か読むものがないかなと探しているときに、たまたま読み始めたのがシェイクスピアの戯曲。
内容自体は決して簡単ではないんだけれども、一般の小説に比べるとページ数も文字数も少ないから、読んでいるうちにすぐ終わる。
気がついたらどっぷりハマっていました。
店主の小林秀夫さん。店内に飾られた劇団「浪漫劇場」(三島由紀夫主宰)の公演ポスターの前で
── 戯曲は実際の上演と切り離せないと思うのですが、舞台にも興味はあったのですか?
小林 1975年に大学に入学して、最初は英会話サークルにいたんだけど、夏休みの期間だけ活動がないんですね。
ちょうどそのとき、「シェイクスピア英語劇研究会」という別のサークルにいた友人に声をかけられました。
「役者が足りないから手伝ってくれないか」と。
英語の発音は勉強できるし、好きだった戯曲も実践できるということで、芝居にはまり込んでしまう。
4年間、勉強そっちのけで、英語劇ばかりやっていました。
── 大学卒業後は、どのような仕事に就かれたのですか?
小林 正直なところ、あまりに芝居に没頭しすぎて、就職活動を一切していませんでした。
本当は大学の研究室に残ろうかなと思ったんだけど、家庭の事情でそれはダメで。ひとまず近所の学習塾で働きながら、戯曲を読んだりしていました。
このままでいいのかなという不安があったのと、もともと旅行をするのが好きだったのもあって、
1981年の暮れに旅行業務取扱主任者(現在は「旅行業務取扱管理者」)の資格を取得。翌年から5年間、旅行会社で働きました。
30歳になった年に、こつこつ貯めたお金で念願だったイギリスへ留学して、1年間、シェイクスピアが生まれた国で芝居を見まくりました。
その後、オランダのアムステルダム、アメリカのニューヨーク、サンフランシスコ、そしてハワイに寄って帰国。
ミュージカルやオペラを含めると、その年に見た舞台芸術は80本にのぼります。
── ヨーロッパやアメリカで舞台を見るときには、ご自分でチケットを手配されたのですか?
小林 そうです。当時はインターネットもまだなかったので、現地で情報を探すしかありませんでした。
不思議なもので、ロンドンのとある興行チケット販売会社を利用したのがきっかけとなって、そこの日本代理店を僕がやることになるんです。1989年のことでした。
── それからしばらくはチケット代理店の代表として働かれていたのですか?
小林 19年間やりました。それだけ長く続けていれば、いくつか大きな転機があるわけですよね。
2000年代に入ってから、インターネットの普及で利用者が減り始めていました。
そこに追い打ちをかけるように起きたのが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件です。
海外へ渡航する人が激減したことで、僕の会社の1ヶ月あたりの売上も7割落ち込んだ。
それが数ヶ月も続くと、資金繰りがめちゃくちゃになる。
借金をしてはお金を返しながら、なんとかやりくりしていました。
プリシアター・ポストシアターの店内の様子
── 危機的な状況はどれくらい続いたんですか?
小林 5年以上かけて、どうにか事業を立て直したところに、今度は2008年9月のリーマン・ショック。
それまで毎年のように海外旅行へ行っていた人たちの足が止まる。当然、興行チケットも売れなくなります。
もう会社を維持していくのは無理だと判断して、2009年6月に自主廃業。実はこの苦境の真っ只中で、僕の古本屋は生まれました。
2000年代に入って客離れが深刻になり出した頃のことです。他社との差別化を図るため、演劇の台本や古いパンフレットをチケット販売のオプションとして付けようと考えました。
まとまった量の本をそろえるには、自分で店をやるに越したことはない。
そこで、2007年9月にネット販売の古本屋を開業。翌年の3月には古書組合にも加入して、本格的に演劇関連の資料を集めるようになりました。
チケット代理店を廃業したときに残ったのは、この大量の本だったんです。その後すぐに借りた事務所兼倉庫を、2013年から今に至るまで、実店舗として使っています。
── 月ごとに店舗の営業日数にばらつきがあるようですが、これには何か理由があるのですか?
小林 「古本まつり」などの催事に参加することが多くて、その準備や搬入作業で店を閉めなきゃいけない日があるんです。
ただ、これからは少しずつでも状況を変えたいと思っています。
催事はどうしても気候に左右されがちです。
当日に雨が降れば、本を濡らす危険もあるし、お客さんの数も減る。
極端な話、諸経費と売上を比べてみて、プラスマイナスゼロになるときもあります。本は売れてなくなっていくけど、実入りがない。
もちろん、催事をうまく活かす方法はいくらでもあるのでしょうけど、本の持ち運びを頻繁に繰り返すのも、体力的にちょっとつらくなってきたかなと思っているところです。
── 今、もっとも力を入れてやりたいことは何ですか?
小林 もともとは演劇に関する本を扱うお店としてスタートしたんだけど、現状として売上の99%は一般書なんです。
特に催事やなんかでは、直球の専門書はなかなか売れない。回転の早い本から取りかかっていると、本来の得意分野が後回しになってしまいます。
その結果、演劇関連の古書やパンフレット、プレスリリースなど、2万点あまりのアイテムが未整理のまま倉庫の奥で眠っている。
この宝の山を自分でもう一度掘り起こして、売れる状態にするのが当面の目標です。
いわば、古本屋を始めたときの原点である“演劇専門書店”に回帰しようと思っています。これまで買ってきた本を、本当に必要としてくれる人に届けたいからね。
倉庫から文庫の均一ワゴンを運び出す小林さん
── 今の仕事を、これからもずっと続けていこうと思われているのですか?
小林 僕は63歳になったばかりなんだけど、古本屋は75歳でやめようと思っているんです。ネットで店を始めてから今年で12年目なので、ちょうど折り返し地点にあたる。
いよいよスタートした後半戦。最後の12年で、店売りに切り替えていきます。催事への参加を今の半分くらいに減らして、その分、実店舗を開ける。お客さんに来てもらいたいし、買取にも精力的に取り組みます。
捨てるに忍びない人たちから本を預かって、整理する。古本屋は、本の“おくりびと”だと僕は思っています。出版市場が年々縮小するような時代だからこそ、行き場を失った本を受けとめる最後の砦が必要なんです。
※「プリシアター・ポストシアター」を訪れる際には、ホームページ(https://pretheatre.ocnk.net/)で店舗の営業日をご確認ください。
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