コラム

2021.01.12

コラム

カラサキ・アユミ氏 コラム 「変わること、変わらないこと」

2021年の初夢は実に奇妙なものだった。

添乗員の格好をした女性の後ろを歩いていた自分。やがて「どうぞこちらへお進みください」と促され進むと火曜サスペンス劇場に登場しそうな風景が目の前に広がった。昔訪れた福井の東尋坊によく似ている。波しぶきがたつ断崖絶壁から身を乗り出すと崖の中腹へと続く階段が目に入った。好奇心のまま下って行くと思いがけない光景に出くわした。

海にそそり立つ岸壁には木製の本棚が埋め込まれており、それらが横一列にずらりと並んでいるではないか。そして棚にはおびただしい量の古本が詰め込まれているのである。圧巻である。本棚の前にはかろうじて岩の足場があり細心の注意を払えば横に伝っていけそうだ。私はエジプトの壁画に描かれた人物のようなポーズで横這いになって崖の道無き道を嬉々として進んだ。足のつま先を岩に乗せ、本棚の棚板を指先で力強く掴みながらロッククライミングの如き姿勢で陳列された本を凝視していく。遥か下の方ではザパーンザパーン! と荒波が勢いよく岸壁に打ち付けられている。落ちたら完全に即死だろう。時折吹き上げてくる強風で体がぐらつく度にヒヤッとする。しかし死ぬかもしれないという恐怖を全身で感じながらも私は引き返すことなく尚もイキイキと歩を進め必死に古本を眺め続けるのであった……。

 

毎年初詣に行ったら運試しのような感覚で必ずおみくじを引く。今年は〝中吉〟を引いた。なかなか良いことばかりが書き記されているではないか。フフフン♬ とニヤついていたのも束の間、肝心の箇所に目をやると表情が一気に強張った。「旅行……。遠方に行くのはやめておけ」と。何だって⁉︎ また我慢……、まだ我慢しなければならぬのかぁ‼︎‼︎‼︎ 悶々としながら紐に結ぼうとしたおみくじは手汗で破れてしまった。

 

この連載もスタートしてちょうど一年を迎えた。古本の事を綴っている最中はこの上なく幸福だ。古本が無い人生なんて灰色だ……。そんな気持ちにしみじみ浸りながら振り返ってみた。

昨年は右を向いてもコロナ、左を向いてもコロナだった。

まだ報道がそこまで白熱していなかった頃に何度か古本屋巡りの一人旅に繰り出したものの、色濃く自粛ムードが漂う時期になるとこれまで当たり前に楽しんでいた古本漁りがほぼ出来なくなるという苦難を強いられた。

三度の飯より古本が大好きな自分にとってはステイホームで得られる刺激など塵にも等しく、休日は死んだ魚のような目で自宅の窓から雲を観察したり飼い猫に喋りかけたりしていた。積もり積もる欲求。心の寂しさを埋めるように口に詰め込まれるスナック菓子。体重だけは健やかに増え続けた。

でもっ、新しい年になったら何かしら希望の光が見えて変化があるに違いない! そんな淡い期待をもっていたからこそ長きにわたる自粛も我慢してこられたのであった。

 

しかしどうだ、〝苦境の中で古本漁りに挑む〟初夢といい、おみくじといい、今年を暗喩するかのような暗雲立ち込めたる啓示は‼︎‼︎

 

私の住んでいる地方では品揃えが豊富な本屋も古本屋も絶滅危惧種のような存在で、電車やバスに1時間以上揺られるか、もしくは県外に出るかしないことにはまず本にはありつけない。よって古本漁りに赴く時は1日がかりで狩に行くのと同様の覚悟と気合の入りようである。未知なる出合いが至上の喜びという感覚派の者にとって、あらかじめ把握している書名を注文するネットの買い物では満腹感を得ることは出来ない。私が古本趣味を楽しむ上では〝長距離移動が不可欠〟なのであった。不便と手間がかかるのが田舎在住者の辛い所だ。

このような環境下に身を置くからこそ必然的に、古本屋や古書即売会に恵まれた都市に住まう古本民に嫉妬と羨望の眼差しを向けずにはいられなかった。

 

その感覚は自由に外出もままならないコロナ下において尚一層濃いものとなった。

SNSという自宅に居ながらにして好きな時に誰かと繋がることができる便利なツール。これは時として焦燥感を駆りたてる存在になる。

携帯でTwitterのアプリを開くと戦利品の写真付きで「今日は古本屋をハシゴしてこんな古本を買った」「感染症対策に気を付けて即売会に行ってきました」と都市に住まう古本愛好者陣の幸福感に満ちた呟きが燦然たる輝きを放って連日我が眼に飛び込んでくるではないか。グゥぅぅ……、羨ましい、羨まし過ぎる‼︎ 古本に関するツイートを目にする度にパブロフの犬状態に陥ったのであった。

 

古本趣味とは元来孤独を背負って個人で楽しむ世界だ。ウイルスに犯された現世界において最強の娯楽趣味ではなかろうか。

また、古本屋は本を買う場所であり喋ったりする場所ではない。密になるシチュエーションも稀であるし、よってクラスターが発生する確率はほぼゼロに近いだろう。マスクを着用したり消毒をしたり客が感染対策さえ徹底していれば問題はないはずである。

うむ。そうだそうだ、だから大丈夫だぁ。と長丁場の我慢態勢に痺れを切らした私の胸中では楽観的な意識が段々と強まってきた。

 

そんな思いも引き金となり「みんなも気をつけながら趣味を楽しんでいるわけだし、私も……」といそいそと身支度を整えて外出をしようとしていたある日。玄関に立ちはだかる夫の姿があった。既にこちらの行動を見透かしているような冷徹の眼差し。敵の奇襲に思わず怯んだ私は冷や汗を垂らして夫と対峙した。

 

これまで圧勝していた夫との古本口論も、コロナ下では事態が瞬く間に逆転した。愛する古本においてだけは口が達者だった私もいよいよ〝言い訳〟の残弾が尽きてしまったのである。

夫から見ると今も昔も古本漁りなんて不要不急以外の何ものでもない。いや、世間一般的に見てもその通りだろう。しかも自宅には既に本が溢れている状態だ。

それらを読まないうちにまた新たに本を買いに行く。一体何のため? 自分のアイデンティティを確立するため? はん、馬鹿言ってんじゃないよ! この状況下で感染のリスクを背負ってまで行くこたぁないだろ! 大人にならんかい!

無言で佇む夫から発せられる圧から逃れることは出来なかった。

 

〝出歩く〟という行為自体にもはやマイナスなイメージが付き纏う新しい生活様式。この常識を突きつけられてはもう勝ち目がないのは分かりきっていた。

私に残された道はただひたすら建前抜きのストレートボールを相手に投げ続けるのみだった。

「私から古本趣味を奪ったら何も残らないんだよ! もう我慢できないんだよぉ……。古本に触れて無さ過ぎてもう気が狂いそうだ! うぁぁぁぁぁ!!! 黙って行かせてくれ! 後生だよ!」

床に手をついて叫んだ。薬が切れた中毒者のような奇態である。そして何を感じたのか飼っている猫が近付いてきて私が背負っていたリュックで爪を研ぎ始めた(お前まで……、やめろ、やめてくれぇぇぇ!)。

真っ赤な顔、必死な表情で熱く思いの丈を叫び続ける私をしばらく引き気味に眺めていた夫は「今は黙って大人しく過ごすしか道はないんだよ」とポツリと言い残し猫を抱きかかえリビングに去って行った。つけられたテレビからは感染者数の増加を報道するキャスターの声が無情にも響き渡ったのであった。

 

当たって砕け散る……。この行為をコロナ下に何度繰り返しただろうか。

そうして年が明け、私は相変わらず、窓辺から空を眺める日々を送っている。たまに近所を散歩しながら大空を飛ぶスズメ達を目にしては「鳥になりたい……」と呟いてみたり、スーパーで「古本を買いに行けないんだからこれぐらいいいだろ」とちょっと高めのスナック菓子を虚な目でカゴに放り投げたりしている。

 

コロナ下の約一年で気付いたことがある。

不自由な環境や過酷な状況こそが不屈の精神を育むのであると。

葛藤し、もがき苦しむ私の根底にあるのは紛れもなく古本への愛である。

世間一般の生活様式は変わった。しかし、私のこの古本への愛だけは変わることはないし、ゆえに〝新しい生活様式〟にすぐさま器用に適応など出来るはずがない。

そんなことに気づいた上で過ごしていく2021年。希望の光が差し込むのをただただ切に願うばかりだ。

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県に生まれる。幼少期よりお小遣いを古本に投資して過ごす。

奈良大学文化財学科を卒業後、(株)コム・デ・ギャルソンに入社。

7年間販売を学んだ後に退職。

より一層濃く楽しい古本道を歩むべく血気盛んな現在である。

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