コラム

2020.12.10

コラム

カラサキ・アユミ氏 コラム 「愛すべき古本戦士たち」の巻 

ことの発端は、同世代〜先輩世代の古本趣味を持つ知人男性らとの世間話。

たまたまとある古本屋(以下C店と称す)が話題に上がった。そこは、昔ながらの佇まいの店で、独身の60代男性店主が営んでいる。

 

「そうそう、このあいだ行った時に疲れたらこれに座って下さいねって店主さんに椅子を出してもらいましたよ」

「先日お店に行ったらまだ2回目の来店だったのに店主のおじさんが覚えてくれていて挨拶の言葉をかけてもらえたからなんだか嬉しかったなぁ」

「初めて行ったのに会計した後にお茶を出してくれて世間話をした」

 

「なぬぬぬ…!?」

彼らからこのような人の温もり溢れる体験談を聞くやいなや、感動するどころか私の心中はざわめいた。どよめいたと表現する方が近いかも知れない。

C店は、私も通い慣れた店である。毎回訪れた際には必ずと言って良いほど結構な量の買い物をしている。しかしこれまでただの一度も知人らが体験したような対応をされたことはなかったのである! むしろ、何十回目の来店であっても、毎回「初めまして」と言わんばかりに無表情で機械的な対応をする店主しか印象にない。

彼らの話を聞くまでは、私もそれを気に留めることはなかった。この淡々とした客への応対こそがこのお店のスタイルであり日常的な光景であると勝手に把握して、勝手に納得してたからである。

しかしこの時、それが違っていたという事実を知ってしまった。普段は「単独行動サイコー!」と一匹狼スタイルを謳歌しているくせに、やはり他者と比較せざるをえない状況となると、まるで荒野に取り残された一匹の羊のように動揺してしまう私なのであった。

「私が女だから対応が違うんですかね!? ちょっとショック!」と思わず声を荒げてしまった。「いやぁ、女性のお客さんって珍しいみたいだし…。店主のおじさん、シャイな性格なだけなんじゃないの?」と、私よりも遥かに来店回数が少ないのに店主からは既にお得意様対応を受けている知人男性がフォローの言葉を投げかけてきた。

いいや、そんなんではない。思い返せば、毎回私に向けられるあの眼差し、あの隙を見せぬ態度。「女の分際で古本界にお遊びで近づくでない。ここは崇高なる男の世界。ワシはお前さんを、古本道を歩む修行者としては認めんぞ…。この得体のしれぬ生き物め…」。きっとこう思われているに違いない。アタシが何したってのよ! 女人禁制…。まるで相撲ではないか! ググぅ…。

 

被害者意識もここまで極端に上り詰めると、もはやシュールな喜劇のシナリオに昇華するものである。脳内の土俵でひとりシコを踏み続けた私が冷静さを取り戻すまでには、しばらくの時間が必要であった。

 

念を押しておくと、私には店主と仲良しになりたいだとか、店主から特別扱いされたいだとか、そんな願望は皆無だ。古本漁りが目的なのに挨拶以外に店主とコミュニケーションを取るなんて! 気を使う上に漁書に集中できないシチュエーションはなるべく避けたい…。どちらかというと、私は古本屋店内における人間交流は希薄で良いと考えるタイプの人間なのである。

 

ただ、性別が異なるというだけでこんなにも極端に店主の接し方に差が出るものかと衝撃を受けたのだ。

 

古本界に未だ根付く男性社会という名の影。その濃さを改めて意識させられた一件であったと同時に、過去の出来事を振り返るきっかけにもなったのであった。確かに、思い返してみるとこれまでも何軒かの古本屋で先のような〝店主が持つ女性フィルター〟を通したであろう対応(会話であったり態度であったり)に違和感を抱いたことは幾度かあった。ただ、その時は他者(男性客)と比較する余地がなかったので特に考察もせず、素通りしてきたわけだ。

最近では即売会会場だと当たり前に女性の姿も見受けられるし、何より女性が営む古本屋の数も大変多くなった。流行りのカルチャー雑誌に取り上げられる古書店なんて店主もフランクな人柄の方が多い印象で、「男女の垣根を越えて古本ワールドを楽しんで行こうぜ」という濃厚な空気をプンプン漂わせている。しかし私が好んで出向く地方の小さな古本屋や昔ながらの古本屋では、しばしば〝女性に対して独特の先入観や偏ったイメージを持つ男性店主〟と遭遇する。

 

考え方は十人十色とはいえ、この男性店主らが共通して持っている特殊な女性観は一体どのように構築されたのだろう?

 

「これから開業したいっていう若い奴にはね、古本屋をやるんだったら先に嫁さんを貰ってからにしとけってアドバイスしてるんだよ」と知り合いの大御所古本屋店主(50代独身)が以前話していた場面がふと脳裏に浮かんだ。その場に居た私は、単なるジョークのつもりだろうと興味本位でその理由を氏に尋ねたのだった。

「なんでって…。古本屋になったら女性との縁なんて皆無だし、孤独にひとり寂しく儲からない商売に身を費やして人生終えるしかないんだよ…」

投げやりで憂いをひめた自虐的な店主の表情がなんとも言えなかった。

 

また、別のある人のことも思い出した。

私が古本趣味において最も畏敬の念を抱いている御仁が地元にいる。

まさに〝浮世離れ〟という言葉に手足が生えて歩いているようなその人は、見た目も中国の巻物に描かれている仙人のような姿形。365日素足にサンダルを履き、同じ服装をして生活をしておられる。自らの縄張りにある古本屋のチェックは日々欠かさず、古本の催事がどこそこで開催されるとなると必ず初日の朝一番に出没し、細やかな指捌きと軽やかな身のこなしで品物を物色してまわるのだ。両親の代から住んでいるという都市部に程近い閑静な住宅街の古くて大きな屋敷にひとりで暮らし、古本や古物やらが室内に収まらず、玄関先にまで溢れ出ているので、通りがかった人が骨董屋と勘違いして足を踏み入れてくることも度々らしい。最寄りのスーパーで買う半額のシールが貼られた弁当が毎夜の夕餉だそうだ。「あんな美味しい物を半額で食えるなんて最高!」と嬉しそうに話す御仁だが、自分の審美眼にかなった古本には投資を惜しまない。

己の趣味の為にここまで自由に純粋に楽しく人生を歩んでいる人に私は未だかつて出会ったことがない。

女性経験はない、と遠回しに話しながらクシャッと皺だらけの照れ笑いをするその瞳はとても70に近いお歳とは考えられない。まるで汚れを知らない少年のような潤沢な光を放っている。

「この人は、本物の天使なのかもしれない…」

時折お話しさせていただく度に、私はそう強く感じずにはいられなかったのであった。

 

古本のみならずその他の世界においても共通して言えることだが、趣味人が歩む道は大まかに2本に分かれる。常識と折り合いをつけながら趣味を適度に楽しむという〝人の道〟と、他者の目線や常識を無視してその世界に埋没する〝修羅の道〟だ。

凡人の私は残念ながら修羅の道を歩む度胸はない…。よって前者の道を歩んでいる人間になる。そう、様々な社会的な意識や常識的行為から逸脱した修羅の道は、誰もが歩めるわけではないのだ。

古本界における男性店主が持つ特殊な女性観とは、もしかすると古本を恋人として修羅の道を歩み続けてきた古本戦士らが築き上げてきたものなのではなかろうか。

 

知性溢れる彼らはそのストイックな姿勢ゆえに手に入れられたものが多くある反面、得られなかったものも勿論あるに違いない。

例えば本では得られない知識や体験。それが生身の女性との関わりや女性体験だと仮定する。となると、時間の積み重なりと共に独自の見識や価値観が自然と構築されるのは言わずもがなだ。そこには古典的な女性像や神格化された女性像、そして得体の知れない恐怖の対象としての女性像もあるだろう。

なるほど、そう考えるとこれまでC店店主も含めた一部の古本屋店主達から受けた対応は、妙に納得できるような気がする。彼らはみな、表向きこそ飄々と生きていながら、その素性は古本戦士なのかもしれない…。

 

今度C店に訪れたら「こんにちは」の挨拶の声に思わず力が入りそうだ。

たとえ店主からは笑顔で応えてもらえないとしても。

 

 

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カラサキ・アユミ

1988年福岡県に生まれる。幼少期よりお小遣いを古本に投資して過ごす。

奈良大学文化財学科を卒業後、(株)コム・デ・ギャルソンに入社。

7年間販売を学んだ後に退職。

より一層濃く楽しい古本道を歩むべく血気盛んな現在である。

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